質的心理学研究
Online ISSN : 2435-7065
11 巻, 1 号
選択された号の論文の9件中1~9を表示しています
  • 急性期看護場面のワークの研究
    前田 泰樹, 西村 ユミ
    2012 年 11 巻 1 号 p. 7-25
    発行日: 2012年
    公開日: 2020/07/08
    ジャーナル フリー
    本稿では,急性期病棟での緩和ケアにおける看護師たちの実践を記述する。具体的には,複数の参加者たちが協働しつつ行っている,患者の痛みを理解し,情報を共有し,痛みをコントロールしていくという,「人びとの方法論(エスノメソドロジー)」を,以下のように明らかにした。まず,看護師へのインタビューから,1 人のがん患者になされた緩和ケアの経過を示し,「最初のころ」との比較において,「今は結構落ち着いている状態」であると報告されていることを確認した。次に,この理解がどのように共有されているのか,緩和ケアカンファレンスのビデオ分析を行った。そこでは,患者本人の言葉が,経験のある看護師によって痛みがないことを例証する資料として引用されていた。この本人の言葉に沿って理解を共有する方法には,経験の浅い看護師への教育的側面もみられた。さらに,レスキューを用いたことを報告する,朝の申し送り場面のビデオ分析を行った。実際に経験した夜勤の看護師による報告には,本人の痛みの訴えが表情とともに引用されていた。この痛みの理解の共有を前提に,痛みのコントロールと生活上のケアの方針が,調停されていることがわかった。最後に,投薬管理の方法をフィールドノーツに基づいて分析し,1 人の看護師が 1 人の患者に投薬を行うというワーク自体が,管理室を中心とした複数の参加者たちによる協働実践に支えられていることを示した。
  • 障がい者のきょうだいの語り合いからみえるもの
    原田 満里子, 能智 正博
    2012 年 11 巻 1 号 p. 26-44
    発行日: 2012年
    公開日: 2020/07/08
    ジャーナル フリー
    本研究は,障がい者のきょうだい同士による語り合いから,障がい者のきょうだいを生きるとはどういうことかを明らかにすることを試みたものである。青年期にいるきょうだい 2 名と第一著者が複数回にわたる語り合いを行なった。語り合いでは,語りは共同構築されるという視点を生かし,インタビュアーもきょうだい体験をもつ者として自己呈示しながら継続的に進められた。データの分析においてはそれぞれの過去の生き方と将来の生き方を特徴づけるいくつかの面がとりあげられ,語り方や語り合いの過程にも注目した考察がなされた。結果として,3 人のきょうだいとしての経験は多様であるにもかかわらず,その根底には障がいを抱える兄弟姉妹の生を抜きにした人生を歩むことの困難さが共通する特徴として浮かび上がってきた。そこにはまた,障がいを抱える兄弟姉妹の生も分け合い自らのものとして引き受ける「二重のライフストーリー」を生きているという一面があると考えられた。その一方,個人差として明らかになったのは,自立して生きようとする志向性の強さとそれに伴う葛藤の深刻さの違いである。しかし,自立の意味を問い直し,社会の中で相互依存的に生きることを見据えることで,個人として生きるかきょうだいや家族と共に生きるかという二者択一的な選択肢の幅を拡げていけるのではないかと考えられた。
  • 先天性心疾患とともに生きる人々の“転機”の語りを聞くということ
    鈴木 智之
    2012 年 11 巻 1 号 p. 45-62
    発行日: 2012年
    公開日: 2020/07/08
    ジャーナル フリー
    成人となった先天性心疾患者が社会生活において直面する諸問題を明らかにするために,私たちは,生活史の中での病いの経験に照準化したインタビュー調査を行ってきた。その中で,多くの協力者から,これまでの生活の中で経験した“転機”の物語が語られた。しかし,その語りを十分に聞き取ることは私たちにとって必ずしも容易なことではない。その困難は,インタビュー場面の設定の形式とそれに伴う枠づけ効果に由来するものであるが,同時に私たちの選択した研究の方法論,すなわちナラティヴアプローチそれ自体によってもたらされたものでもある。語り(ナラティヴ)は個々人の時間的経験を把握する上で優れた方法であるが,ある時点で,特定の視点から語られた物語がその人の経験の重要な局面を全て包摂するわけではない。物語の主要な筋を構成する出来事の間に,殊更言及されるべきことが起こらなかった空白の時間が残される。しかしながら,語られた転機の物語を了解するためには,そこで語られなかった時間のありようを十分に了解することが必要になる。生活史の転換が生じるためには,単に引き金となる出来事が生じるだけでは不十分であり,これを準備する条件が整っていなければならないからである。したがって,転機の語りを聞きとるためには,私たちの想像力を動員して,しばしば“滞る時間”としてイメージされる物語の空白を補っていかねばならない。
  • 父の闘病に寄り添う体験の記述から
    藤井 真樹
    2012 年 11 巻 1 号 p. 63-80
    発行日: 2012年
    公開日: 2020/07/08
    ジャーナル フリー
    臨床の場において重要となる他者の理解を支えるつながりは,一般的に共感という現象として認識されてきた。しかし,実際に生身の人間が経験する他者とのつながりは,必ずしもこの「概念としての共感」に回収されるものではないだろう。一生活主体としての筆者のこの気づきをもとに,本研究では,人と人とのあいだに生じる実感としてのつながりについて,共感という概念で表現される以前の「共にある」こととして捉え,父の闘病生活に寄り添うこととなった筆者の経験の記述から,その内実を模索した。その結果,他者とのつながりの実感となりうる「共にある」ことの内実について,(1)知覚する身体に基づく間主観的な交流を生きること,(2)互いに自己内で完結しない対自・対他としての相互的な主体として生きること,という経験の位相を明らかにした。このつながりについての新たな見解により,臨床の場で求められる態度として,従来の共感概念が第一義としてきた他者を「わかる」ことを二次的なものとして位置づけ直し,他者と同じ一つの世界を生きることの重要性に言及した。
  • 項目自己生成型 QOL 評価法である SEIQOL-DW を用いて
    福田 茉莉, サトウ タツヤ
    2012 年 11 巻 1 号 p. 81-95
    発行日: 2012年
    公開日: 2020/07/08
    ジャーナル フリー
    1980 年以降,医療保健領域では QOL の重要性が高まっている。この分野で最も多く用いられている QOL 概念は健康関連 QOL である。しかし健康関連 QOL は機能面を重視したものが多く,患者の主観的 QOL に一致しないことが指摘されている。特に QOL 概念を難治性や進行性の疾患に用いる場合には,QOL 向上が患者に提供する医療ケアの目標となるためこの問題は深刻化する。よって,本研究では患者を主体とした QOL 評価法として開発された SEIQOL-DW を用いて継続的な QOL 調査を実施した。対象者はデュシェンヌ型筋ジストロフィー患者の A氏である。継続的な調査を実施した結果,A 氏の QOL は変容することが明らかになった。また QOL の変容には,A 氏の病状の進行だけでなく環境の変化が影響していた。SEIQOL-DW を通して患者の個別性に注目する試みは,患者の生活空間や環境,病い経験へのより深い理解を促し,より適切で具体的な医療・看護のケア介入を可能にする。
  • 在宅療養の場の厚い記述から
    日高 友郎, 水月 昭道, サトウ タツヤ
    2012 年 11 巻 1 号 p. 96-114
    発行日: 2012年
    公開日: 2020/07/08
    ジャーナル フリー
    本研究は医療の文脈から離れた在宅療養の場における,進行性・難治性の神経難病である筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者の生の様相を,患者と周囲の人々との関わり合いも含めて描き出すことを目的としたものである。全身性の重篤な症状を持ちながらも活発な情報発信を行う例外的事例としての 1 人の ALS 患者に注目し,療養生活の場の療養様式ならびに支援の重要な担い手を参与観察によって明らかにすることを狙いとした。分析 1 では場の全体像の記述を通じ,「患者」ではない「生活者」としての位相,場に通底する規範である「他律の回避」,それらの背景にある患者のコミュニケーションの可能性が示された。分析 2 においては支援の中心的担い手である技術ピアサポータが「ローカル・ノレッジ」に基づき,日用品をカスタマイズすることで安価かつ効果的にコミュニケーション支援を行っていることが示された。本論文は病者の生の分厚い記述を行う「ライフ・エスノグラフィ」の試みである。
  • 渡辺 恒夫
    2012 年 11 巻 1 号 p. 116-135
    発行日: 2012年
    公開日: 2020/07/08
    ジャーナル フリー
    自我体験は,最初,現象学者シュピーゲルベルグによって 1964 年に研究報告が出されたが,現在は日本の心理学者によって現象学的ではない方法で研究されている。本研究は,この体験現象を現象学的に研究するための枠組みを描くことを目的とする。過去の自我体験研究をいかにして現象学的な研究へと読み替え,作り変えていったらよいかの議論を行ったのち,ジオルジ(Giorgi, 2009)の,フッサールの方法を質的研究の系譜に位置づけて修正した方法に学びつつ,まず,6 歳にして自我を自覚することで自分が神であることに気付いたという,鮮烈な自我体験事例の現象学的分析を行った。次に,精神医学における現象学的分析と比較するために,自己の自明性の喪失を主訴とする木村(1973)の統合失調症事例との比較を行った。さらに,自我体験の類縁現象である独我論的体験と,統合失調症および自閉症スペクトラム中の独我論的事例を,現象学的に分析比較した。最後に,レンプ(Rempp, 2005/1992)による発達モデルを参考にし,ブランケンブルグ(Blankenburg, 1978/1971)の言う「統合失調症性のエポケー」の考察に基づき,自我体験も独我論的体験も「発達性エポケー」に源泉があるという知見を提起した。現象学的エポケーを企てる哲学者でもなく,精神病理学的エポケーに苦しむ統合失調症や自閉症の患者でもなくとも,「正常」な精神発達過程の途中で,とりわけ児童期に,私たちは,自己の自明性の破れを,つまり自然発生的なエポケーを,経験することがあるのである。
  • 語りの形式とずれの分析
    東村 知子
    2012 年 11 巻 1 号 p. 136-155
    発行日: 2012年
    公開日: 2020/07/08
    ジャーナル フリー
    本研究は,障害者の母親の語りから,子どもの自立をめぐって母親が生きる世界を明らかにし,障害者の自立について考察したものである。就労したばかりの子をもつふたりの母親に対して,福祉施設職員を交えたグループインタビューと個別インタビューを行い,語りの形式,およびゆらぎとずれに焦点をあてて分析を行った。その結果,特徴的な語り方として,1)他者の存在,2)語りの中の時間,3)語りの共同構成とその綻び,4)笑い,5)ふたりの母親の語り方の違い,の 5 点を見出し,そのような語り方をすることがもつ意味について考察した。さらに,2 つのインタビューにおける語りのずれと,聴き手とのずれから,「親亡き後」という未来が「語りえないこと」として母親の語りの中に存在していたこと,ふたりの母親がいま娘との関係の転換点に立っていることを明らかにした。以上をふまえ,1)子どもの就労と自立をめぐる母親たちの語りにおいて,「現在の視点」の語りと「未来の視点」の語りがせめぎあっていること,2)「子どもの自立への願い」が矛盾をはらむものであり,それを解く鍵が「他者性をもった他者」という新たな親子関係の構築にあること,3)母親が子どもの自立を目標とし,それについて語ることのもつ意味,の 3 点について論じた。
  • 施設と家庭をむすぶ職員の実践に着目して
    高橋 菜穂子, やまだ ようこ
    2012 年 11 巻 1 号 p. 156-175
    発行日: 2012年
    公開日: 2020/07/08
    ジャーナル フリー
    本稿は,児童養護施設を中心として,家庭,児童相談所,学校のむすびつきにおいてどのような支援が展開されているのかを明らかにすることを目的とし,その実践のあり方を,2 つの異なるモデルを用いて質的に分析したものである。まず,児童養護施設の支援の枠組みとなる〈基本枠組みモデル〉を作成し,それをもとに 3 つの児童養護施設の 8 人の職員にインタビューを行った。その中で,今回は特に家庭とのむすびつきにおける支援に焦点をあて分析を行った。家庭とのむすびつきは,家族関係の複雑さ,家庭復帰の困難さ,子どもに与える影響の大きさなど,さまざまな要因を含み,インタビューで,実践への葛藤や迷いを含みつつ重層的にそのありようが語られたため,厚く記述する必要があると考えたためである。その中で職員が施設における日常的支援の〈実践者〉としての役割と,家庭とのむすびをうみだす〈媒介者〉としての役割を往還している様子を明らかにし,その視点を組み込んだ〈基本構図モデル〉を作成した。さらに,インタビューの中で語られた事例について,〈基本構図モデル〉にもとづいて考察し,職員が中心となり,子どもと母親の間のむすびつきが生みだされる様子を描いた。
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