質的心理学研究
Online ISSN : 2435-7065
15 巻, 1 号
選択された号の論文の10件中1~10を表示しています
  • 「ネットいじめ」言説の興隆期に着目して
    香川 七海
    2016 年 15 巻 1 号 p. 7-25
    発行日: 2016年
    公開日: 2020/07/10
    ジャーナル フリー
    「ネットいじめ」は,2007 年前後に登場した新しい教育問題のひとつである。この「ネットいじめ」を防止することを意図する「ネットいじめ」言説のなかで,インターネットを媒介とした他者との〈出会い〉という青少年の行為は,教育関係者たちから批判され,指導の対象とされてきた。しかし,生活指導論の観点から従来指摘されていたように,大人たちがある行為を批判的に取り扱うことで,青少年は,そうした行為の存在をひた隠しにするという傾向があるから,インターネットを媒介とした出会いという行為にも,そうした傾向と重なる現象が見られるかもしれない。こうした問題意識から,本稿では,「ネットいじめ」言説が興隆した時期に,中高生として学校生活を送っていた女性4人へのインタビュー調査をもとにして,彼女らが〈出会い〉の経験をどのように意味づけているのかということを検討した。その結果,調査対象者たちは,インターネット利用に伴うリスクと世間からの評価を意識しつつ,保護者や教師などの大人からの批判を意識し,彼らに心配をかけまいと自身の行為を隠蔽するということが明らかとなった。また,調査対象者たちが,インターネット利用による犯罪被害者の表象と自己を同一視されることを忌避する傾向が,よりその隠蔽を加速させているという実態も浮かび上がってきた。
  • ある保育者の語りから見る自主保育という育ちの場
    菅野 幸恵, 米山 晶
    2016 年 15 巻 1 号 p. 26-46
    発行日: 2016年
    公開日: 2020/07/10
    ジャーナル フリー
    本研究では,乳幼児期の子どもの育ちの場のひとつとして自主保育を取り上げた。自主保育とは親たちが交代で乳幼児を預かり合う保育活動のことである。自主保育グループで働いていた保育者にインタビューを行い,彼女の語りから,彼女がどのように自主保育をとらえていたのかを明らかにし,自主保育という子どもの育ちの場の可能性について考察した。彼女の語り方に着目したところ,「OB の存在」「比較」という視点を見出した。OB は活動を続けていく上で参照する対象であり,参照することで日々の活動の意味を確認していることが考えられた。比較の語りには,「否定的参照」「既存の保育との比較」があった。大人目線の関わりを否定したり,既存の保育との比較を行うことによって,自主保育という実践の存在意義を確認していることが考えられた。そこから彼女のとらえた自主保育という育ちの場の特徴を,多様性,役割のない関係性,見守る姿勢の三点から考察し,その特徴を現役世代のみならず OB を含めた異世代で共有・実践する自主保育という共同体の独自性を指摘した。
  • 意味ある他者との関わりを足場として
    三浦 麻依子, 川島 大輔, 竹本 克己
    2016 年 15 巻 1 号 p. 47-64
    発行日: 2016年
    公開日: 2020/07/10
    ジャーナル フリー
    聴覚障害児を子にもつ親は,子どもとのコミュニケーションに不安を感じやすく,そのことが子どものことばの育ちや社会情緒的発達に悪影響をもたらすことが指摘されている。本研究は,聾学校乳幼児教育相談における参与観察から,聴覚障害児とその母親,そして教師によるコミュニケーションのあり様について考察を行ったものである。エピソード記録からその変容の実際を追った結果,子どもとのコミュニケーションに不安を感じやすい母親が,乳幼児教育相談における教師の支援を通じて,母子間のコミュニケーションを変容させていくプロセスが描出された。とくに,意味ある他者としての教師が,子どもや母親の気持ちを感じとろうとすることによって,その心の動きに沿った応答が可能になり,それが足場となって母子間の相互的コミュニケーションが促されることが,エピソードから明らかになった。またエピソードの記述と省察を通じて,教師も揺らぎや戸惑いを抱えながら関わっている様子が詳らかとなった。支援を行う上で,こうしたエピソードを記述し,自らの実践を省察することの重要性が改めて浮き彫りとなった。
  • 協同での学習過程における認知的道具の使用をめぐる事例分析
    岸野 麻衣
    2016 年 15 巻 1 号 p. 65-81
    発行日: 2016年
    公開日: 2020/07/10
    ジャーナル フリー
    発達障害やそれに準じる「問題」のある子どもに対して,従来の研究では,個別の支援や学級への関わり方の指導等が明らかにされてきた。教室での学習活動とは別に指導を行って適応させようとしてきたこれらに対して,本研究では授業において学級成員が協同で学習していく活動に焦点を当て,「問題」とされがちな子どもの学習も可能となっていた授業の構造を検討した。ある小学校5年生の学級で,読み書きや集中力に問題があり衝動的に課題から逃避したり周りに不適切な言動を示したりして発達障害の特徴に当てはまるところがあるとされていた子どもを取り上げ,授業場面のエピソードを質的に分析した。その結果,この子どもに対して,班内・学級内で班員やほかの子どもたちが共に認知的道具を探り当て用いることで,この子の注意や認知が周囲に支えられ,衝動性を示さずに学習活動に参加することが可能になっていた。この背景には,子ども同士で互いの認知的道具を用い合う授業の構成や,聴き手が発表者側に立ってその思考を支える風土があり,協同で学習していく授業の可能性が示唆された。
  • 村田 観弥
    2016 年 15 巻 1 号 p. 84-103
    発行日: 2016年
    公開日: 2020/07/10
    ジャーナル フリー
    「発達障害」という現象及びその用語が我々の日常に深く浸透している。何故ここまで急激な広がりを見せるのか。本論の目的は,筆者自身の経験世界を掘り起こし,その概念の意味・作用を明示することである。1年以上のフィールドワークから得た記録群(フィールドノーツ/会話記録/インタビューデータ)を元に,現象学的解釈学を援用した循環型のテクスト解釈法による研究経過の一端を提示する。筆者は,発達障害とされる研究協力者との「関係」において,複数の役割(研究者・友人・支援者)を演じ,その態度を変容させている。そこには,筆者自身の固執や問題意識,周囲からの役割期待から生じる,不安・葛藤・対立・軋轢がある。筆者は,それらを回避するために「発達障害」を「翻訳機能」「緩衝機能」「拘束機能」「同定-繋属機能」を持つ多義的な概念として用いていた。自らの存在と常識的世界を守る装置としての言葉の使用,及び「関係」への影響についての相互作用が明らかとなった。
  • 生活に馴染んでいく“症状”
    坂井 志織
    2016 年 15 巻 1 号 p. 104-123
    発行日: 2016年
    公開日: 2020/07/10
    ジャーナル フリー
    本研究は,慢性硬膜下血腫と診断される前の患者経験に焦点をあて,認知症と間違われやすい本疾患が,どのように経験されているのかを,患者視点から明らかにすることを目的とした。結果は,3名の患者へのインタビューを,「患者の語り」記述で示し追体験からの理解を試み,以下の考察がなされた。まず,失敗しながらも行為が達成でき,連続して同じことが起きないために,異変を知らせるそれらの出来事が,日常生活の多様性に容易に紛れていた。更に,老年期にある患者にとっては,異変が“老いにまつわる出来事”として意味づけられていた。そして,外来受診時には強い倦怠感や言語障害が出現し,既に主体的に訴えることが難しい状態となっていた。それが“症状を訴える主が本人から家族に逆転”し,本人が自覚していないように周囲に映る背景として示された。最後に,「患者の語り」記述という方法により,より広い患者体験の記述可能性が拓かれたと考えられる。
  • 手話を用いたインタビューの会話分析から
    広津 侑実子, 能智 正博
    2016 年 15 巻 1 号 p. 124-141
    発行日: 2016年
    公開日: 2020/07/10
    ジャーナル フリー
    本研究では,ろう者と聴者が手話を介して対話をする際に生じる齟齬やそれに対する修復について分析し,共通理解に至るための方策について検討した。分析対象は聴者である第一著者 H が実施した,ろう者 A さんへの2度のインタビュー場面で,インタビューではそれぞれ,日本語対応手話と日本手話が用いられた。会話分析を援用して検討した結果,この対話は表現のチャンネル,カテゴリー化,インタビュー状況という3側面の影響を受けていることが明らかになった。すなわち,音声日本語と手話が混在することで両者のやりとりに齟齬が生じやすいこと,日本手話を介した場合,ろう者はいきいきと語れる一方,聴者の側の理解と表出には滞りがありインタビュアーとしての機能も低下することが見出された。また,聴き手が「ろう者」か「聴者」かといったカテゴリー分けをしてしまった場合,話し手の意図や思いが伝わらず,会話が滞ってしまう傾向も観察された。最後に,ろう者と聴者の間でなされる手話インタビューは一種の異文化コミュニケーションであると考えられ,感覚的なものも含めた複数の表現や,インタビュー状況やカテゴリー化といったインタビュー全体に注意を向けることで相互理解が促進されることが示唆された。
  • 「葛藤の物語」から「しなやかな実践の物語」へ
    沼田 あや子
    2016 年 15 巻 1 号 p. 142-158
    発行日: 2016年
    公開日: 2020/07/10
    ジャーナル フリー
    本研究は,発達障害児の母親が語る,子と父親(夫)と暮らす日常生活のエピソードに着目し,母親が家族との関わりのなかでどのように生きているかを描き出す試みである。母親の日常生活の意味世界に近づこうとする本研究は,従来の障害児の母親のストレス研究が問題発見・解決型の研究とすると,物語発掘型の研究といえる。発達障害児を育てる母親にインタビューをおこない,母親-子,母親-父親の二つの関わりについて,それぞれの語りを修正版グラウンデッド・セオリー・アプローチ(M-GTA)で分析した。その結果,母親は子との関わりにおいて,「障害児」というより「我が子」を知りたいという思いを軸に,専心的な二者関係で子とつながっていた。父親との関係では,足並みが揃わずとも母親は心のなかで折り合いをつけることでつながりを保っていた。二つの結果から,家族というフィールドにおいて主体的に子や父親と関わり,日々の課題に対して自ら考え,乗り切ろうと実践し続ける母親の姿が浮かび上がってきた。本研究は,従来の障害児の母親研究で描かれてきた「葛藤の物語」ではない,平穏な日々を願いながら家族をつないでゆく母親の「しなやかな実践の物語」を発掘した。
  • 向 晃佑
    2016 年 15 巻 1 号 p. 159-170
    発行日: 2016年
    公開日: 2020/07/10
    ジャーナル フリー
    イップスは競技中必要な動作が練習場面においても上手くいかなくなるという点であがりやスランプと異なる特有の状態であり,このことが原因で競技を辞めている選手が多く存在している。本稿ではイップス状態に陥る前からイップス状態から抜け出すまでの過程に着目し,複数の体験を比較し,その心理的プロセスを類型化することを目的とした。野球における送球イップスの経験のある7名の男性の調査協力者を対象に半構造化面接を行い,複線径路・等至性モデル(TEM)を用いて分析を行った。結果として,イップスの症状は「限定的な場面で暴投が続く段階」と「送球全般で暴投が続く段階」の2段階に分けられた。またイップス経験者は「暴投の原因を精神的なものと思う」という経験をしていた。この経験は暴投の原因が技術的なものか精神的なものかという葛藤の苦しみを軽減する一方で,暴投を繰り返す悪循環を強化するような経験であることが示された。イップス状態から抜け出す過程においては,できる送球を繰り返し成功体験を積み重ねていく,時間的な間を置くといった送球に対する捉え方が変化するような経験の有効性,また周囲の理解が早期克服につながることが示された。
  • 一柳 智紀
    2016 年 15 巻 1 号 p. 193-216
    発行日: 2016年
    公開日: 2020/07/10
    ジャーナル フリー
    本研究の目的は,思考の外化を促す道具としてのワークシートの配布方法の相違が,小グループでの問題解決過程に及ぼす影響を明らかにすることである。大学生4人からなるグループを対象に実験を実施し,一方をグループで1つワークシートを配布する単一配布群,もう一方を学習者各自にワークシートを配布する各自配布群とし,両者の問題解決過程を質的に検討した。結果,単一配布群ではワークシート上の外的表象について全員で共同注視や指差しを行うことで,内容を確認,共有しながら理解を形成していた。ここから単一配布群においては,ワークシートが話し合いを通したグループとしての理解形成を媒介していることが示された。ただし,全員がワークシートに自身の考えを外化するわけではなく,外化にかかわる役割分担が生じていた。一方,各自配布群では全員が各自のワークシートに自身の考えを外化していた。また,他者のワークシートを指差したり自身のワークシートをグループの中央に寄せたりすることで,他者から援助を受けたり理解を共有したりしていた。さらには,他者のワークシートから考えを持ち帰り,自分のワークシートにその理解を書き加えることで,課題に対する自身の理解を精緻にしていた。ここから各自配布群においては,ワークシートが各学習者の理解形成を媒介していることが示された。
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