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ポピュラー音楽研究
Online ISSN : 1883-5945
Print ISSN : 1343-9251
ISSN-L : 1343-9251
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9 巻 (2005)
8 巻 (2004)
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6 巻 (2002)
5 巻 (2001)
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路上演奏者の公共感覚
心斎橋の弾き語りシンガーを事例として
木島 由晶
2006 年 10 巻 p. 16-39
発行日: 2006年
公開日: 2009/10/29
DOI
https://doi.org/10.11385/jaspmpms1997.10.16
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近年の路上演奏は、都市部における青年文化の文脈で捉えられやすい。本稿はこの観点を継承し、大阪有数の都市である心斎橋周辺をモデル・ケースとして、路上文化の今日的な様相を示す。分析の前半では、169名分のインタビュー・データを整理して演者の意識の傾向を把握する。これをふまえて後半では、フィールド・リサーチの知見を導入して路上文化の特色を位置づける。以上の分析から得られた知見は、つぎの3点である。(1)路上文化が定着した要因には、通行人に対する意識の低下よりも、路上に対する安心感の高まりが大きい。(2)路上で自由に演奏してもよいという感覚は、今日では演者当人をこえて、演者をとりまく警察や自治体の側に波及している。(3)こうした状況の変化は、演者の二極化傾向を促進させる。一方は、通行人を意識しないで気ままに演奏を楽しむスタイルであり、他方は、通行人を強く意識してレコード・デビューを目指すスタイルである。
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(3878K)
「黒い響き」との微妙な距離
公民権運動期の代表的演説の音楽性の分析
久保田 翠
2006 年 10 巻 p. 40-57
発行日: 2006年
公開日: 2009/10/29
DOI
https://doi.org/10.11385/jaspmpms1997.10.40
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本稿は20世紀中葉を代表する2人のアフリカ系アメリカ人の演説の音楽的分析である。より先行する世代の説教師CLフランクリンの説教は、興奮してくるにつれ、ブルース的な音階をなぞる様を呈したが、この種の「黒人音楽」的特徴を、M.L.キングJr.とマルコムXが、どのように保持または逸脱しているかを調査し、可能な範囲で記譜を試みた。その結果、前者ではピッチの上昇によって漸次的に感情を盛り上げていく手法が明らかであり、後者では一定のテンポとピッチで矢継ぎ早に発し続けるアタックの強い音節が、時にシャッフル・ビートに漸近しながら、スウィングに似た刺激をもたらしていることが理解された。
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(1900K)
沖縄音楽レコード制作における〈媒介者〉としての普久原朝喜
1920-40年代・丸福レコードの実践を通して
高橋 美樹
2006 年 10 巻 p. 58-79
発行日: 2006年
公開日: 2009/10/29
DOI
https://doi.org/10.11385/jaspmpms1997.10.58
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本稿の目的は1920-40年代に沖縄出身の普久原朝喜が丸福レコードにおける〈媒介者〉として、どのような実践をしていたのか明らかにすることである。制作者としての役割を果たしながら、歌手・演奏家、聴衆を仲介する人物として、朝喜の実践を分析した。結論は以下の3点である。第1に、朝喜はレコードを沖縄、日本、海外における沖縄系エスニック・コミュニティに向けて発信するスタイル、つまり〈内向き〉発信スタイルに基づきレコードを発売していた。第2に、レコード制作は沖縄固有のローカル性に富み、聴衆と販路は国境を越え流動化していた。ただし、丸福レコードの活動は国という地理的な境界は越えたが、沖縄人という民族的な境界は越えていなかった。第3に、大阪在住の朝喜の存在は沖縄移民の中継地として機能していた。朝喜は沖縄、日本、海外における沖縄系ネットワークを有効に活用し、レコード制作販売に反映させることで商業的成功を成し遂げたといえる。
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(3983K)
愛と殺人を歌うカントリーミュージック
田中 健二
2006 年 10 巻 p. 80-95
発行日: 2006年
公開日: 2009/10/29
DOI
https://doi.org/10.11385/jaspmpms1997.10.80
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アメリカの伝統的カントリーミュージックの歌詞の中には、暴力と死を歌ったものがある。男が女を理由も言わずに惨殺する歌詞がよく見られる。なぜなのか。カントリーミュージックの成立・発展過程を考えれば、アメリカの南部性も考察しなければならないことが分かる。その南部の人達の内面的精神を、いくつかの歌詞を例にとり、本論文では論じていく。そして南部のゴシック性をともなった歌詞は現代カントリーにまで受け継がれているのだろうか。現代アメリカのカントリー歌詞が南部の人達の気質を継承しつつ、時には荒々しい男の描写を好んで歌う実態を検証する。カントリーミュージック歌詞の残忍性と多様性を、その継続性の観点から検証する。
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(1761K)
〈参加〉する聴衆-フジロックフェスティバルにおけるケーススタディ-
永井 純一
2006 年 10 巻 p. 96-111
発行日: 2006年
公開日: 2009/10/29
DOI
https://doi.org/10.11385/jaspmpms1997.10.96
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近年、ロックフェスティバルをはじめとする音楽イベントが隆盛である。それらは、かつてのようにカウンターカルチャーの決起集会的なものではなく、レジャー感覚で楽しむものとして定着しつつある。そこでは、ポピュラー音楽の新たな受容のスタイルが生み出されている。このとき聴衆は「参加者」として新たな意味が付与され、主催者とともにフェスティバルを作り上げるような、積極的な存在として捉えられている。音楽受容が多様化するなか、こうした現象はポピュラー音楽研究のさまざまな観点から論じられるべき、興味深い現象であるといえよう。本報告では彼らのエスノグラフィ通じて、現代の積極的な聴衆としてのロックフェスティバルの参加者像を描くことを目的とする。
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(2218K)
日本におけるミュージックビデオ受容空間の生成過程
エアチェック・マニアの実践を通して
溝尻 真也
2006 年 10 巻 p. 112-127
発行日: 2006年
公開日: 2009/10/29
DOI
https://doi.org/10.11385/jaspmpms1997.10.112
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ミュージックビデオ(MV)は、1980年代以降日本でも広く受容されるようになったが、特に1980年代半ばの日本におけるMV受容の拡大に極めて大きな役割を果たしたのが、MVを紹介するテレビ音楽番組と、ビデオを用いてそれを録画しコレクションしようとするマニアの存在であった。こうしたマニアの出現には1950年代末から続くFM放送受容の流れがあり、MV番組の生成プロセスとは、こうしたポリティクスの中で、それまでとは異なった形のテレビ音楽番組が生成されていくプロセスであった。本論は、こうしたマニアという場とビデオというメディア・テクノロジーとのかかわりが、いかにMVを受容する場を形成していったのかを明らかにするものである。
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(3204K)
新聞記事・雑誌記事等にみる「インディーズ」概念の定着週程
川島 漸
2006 年 10 巻 p. 128-142
発行日: 2006年
公開日: 2009/10/29
DOI
https://doi.org/10.11385/jaspmpms1997.10.128
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(1562K)
ハワイの「日本の歌」と懐メロ・ブーム
カラオケの時代と二世楽団への懐古
中原 ゆかり
2006 年 10 巻 p. 143-152
発行日: 2006年
公開日: 2009/10/29
DOI
https://doi.org/10.11385/jaspmpms1997.10.143
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(1198K)
文化の公的支援とポピュラー文化
宮本 直美
2006 年 10 巻 p. 153-162
発行日: 2006年
公開日: 2009/10/29
DOI
https://doi.org/10.11385/jaspmpms1997.10.153
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(1251K)
[書評論文] 太鼓歌は聞こえない、ので、耳はかせない 石橋純著『太鼓歌に耳をかせ:カリブの港町の「黒人」文化運動とヴェネズエラ民主政治』、松籟社、2006年
今田 匡彦
2006 年 10 巻 p. 163-170
発行日: 2006年
公開日: 2009/10/29
DOI
https://doi.org/10.11385/jaspmpms1997.10.163
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(724K)
[書評論文] 井上貴子著『近代インドにおける音楽学と芸能の変容』、青弓社、2006年
田井 竜一
2006 年 10 巻 p. 171-175
発行日: 2006年
公開日: 2009/10/29
DOI
https://doi.org/10.11385/jaspmpms1997.10.171
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(697K)
[書評論文] 増田聡著『その音楽の〈作者〉とは誰か-リミックス・産業・著作権』、みすず書房、2005年
戸澤 義夫
2006 年 10 巻 p. 176-180
発行日: 2006年
公開日: 2009/10/29
DOI
https://doi.org/10.11385/jaspmpms1997.10.176
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(653K)
JASPM17大会報告
2006 年 10 巻 p. 184-196
発行日: 2006年
公開日: 2009/10/29
DOI
https://doi.org/10.11385/jaspmpms1997.10.184
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