日本教科教育学会誌
Online ISSN : 2424-1784
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12 巻, 2 号
選択された号の論文の5件中1~5を表示しています
  • 小池 直己
    原稿種別: 本文
    1987 年 12 巻 2 号 p. 51-56
    発行日: 1987/09/30
    公開日: 2018/05/08
    ジャーナル フリー
    これまで放送英語を教材とした研究を「放送英語の教育的効果に関する研究(I)〜(IV)」として本学会誌に発表してきたが,その研究では放送英語を教材としたdictation誤答分析,作文指導,文体指導,listeningの指導を具体的に考察してきた。それらの研究を踏まえて,本報告では英語音声学の視点から,放送英語聴解の難点や,学習者が間違えやすい発音を分析し,放送英語を教材とした効果的な音声指導を考えてみた。研究調査の資料として用いたデータは,大東文化大学外国語学部英語学科3年生74名を対象としたもので,彼等がL.L.の授業で特に頻繁に犯したdictationの誤りを取上げて,英語音声学的視点から分析したものである。
  • 伊東 亮三, 吉川 幸男
    原稿種別: 本文
    1987 年 12 巻 2 号 p. 57-62
    発行日: 1987/09/30
    公開日: 2018/05/08
    ジャーナル フリー
    教科教育学の研究として評価研究を行うにあたり急務なことは,テスト問題作成の方法論を確立することである。いわゆる受験産業の発達により,今日では莫大な量のテスト問題が作成されているにもかかわらず,その作成の方法論を理論的に説いたものはなく,こうした現状が授業とテストを分離させ,授業がテストに依存し,テストのための受験授業を現出させている。社会科においてはこの傾向か特に著しい。本小論では,社会科のテストが本来的に授業の評価手段として,あるいは学力の測定手段として効果的に実施されるための問題作成の手続きを理論的に考察する。テスト問題の全体構想は,問題作成者のもっている教授内容の構造に規定され,問題の形式は,問題作成者が前提としている学習形態に規定される。まさにこのような意味で,テスト問題は問題作成者の社会科観,教材観,生徒観のそのままの反映なのである。
  • 小川 正賢
    原稿種別: 本文
    1987 年 12 巻 2 号 p. 63-68
    発行日: 1987/09/30
    公開日: 2018/05/08
    ジャーナル フリー
    授業分析では,授業実施以前に,分析しようという意思があるのが通例である。それゆえ,原理的には,分析に必要な情報はすべて収集可能である。しかし現実には,授業終了後に分析する必要性を感じることもないではない。この場合,従来の授業分析法は利用できない。そこでこのような事例に適用できる授業分析法を開発する必要が生じる。本研究の目的はこのような分析法の一つとして,理科授業の形態を類型化する方法を開発することにある。ここでは,小学5年「たねの発芽」単元の三クラスの授業形態を類型化するために,各授業を受講した全児童のノートの内容分析を行った。その結果,本研究で定義した「理科授業における八種類の授業過程」に対する,ノート記載事項の頻度分布パターンが,その授業形態を類型化する一つの指標となることがわかった。
  • 縫部 義憲
    原稿種別: 本文
    1987 年 12 巻 2 号 p. 69-73
    発行日: 1987/09/30
    公開日: 2018/05/08
    ジャーナル フリー
    外国人留学生のカルチャー・ショック対策とその指導法が日本語教育で問題になっている。これは,異文化理解教育の中心的問題でもある。日本文化はかなりの特異性を持っている。つまり,日本文化が「情」と「人間関係」を基調とするのに対して非日本文化は「論理」が中心的位置を占めている。このために日本語を学ぶ外国人学習者は様々なカルチャー・ショックを受け,悩むことになる。異文化理解教育の基本は,まず違いを知ることから始め,その違いの背景的理解を深め(違いに対する気ずき),その上に立って違いに対する寛容さを養成することである。この寛容さの中味は,共感的理解と受容である。こうして,真の国際感覚が形成される。これが異文化理解教育の目標である。筆者の実験教育によれば,文化間の違いを強調するだけでは国際感覚は十分育成できない。異文化理解教育にあたり,日本人教師が留意しなくてはいけないことが3つある(鈴木1975)。1つは,日本人は,伝統的に外国の文化をその国民と切り離して摂取することに慣れていることである。そして,それを単なる「物」として日本流にアレンジし,変形して自分の物にしてしまう。このことは,上記の異文化理解教育の大きな障害になりかねない。2つは,日本社会の徹底した同質性に関してである。言語,文化,人種,風俗習慣,などにおいて,ほぼ同質性がこれほどまでに浸透している社会はない。このことは,違いに対する寛容が欠けていることを示す。3つは,外国人は決して日本人のように流暢に日本語が話せないと信じていることである。このような日本人の態度が外国人留学生に大きな不満を与えていることを知るべきである。
  • 川上 昭吾, 多鹿 秀継
    原稿種別: 本文
    1987 年 12 巻 2 号 p. 75-80
    発行日: 1987/09/30
    公開日: 2018/05/08
    ジャーナル フリー
    中学校第1学年生徒が花の形態を学習するについて,先行オーガナイザの有無が及ぼす学習効果を,成績の上位群と下位群とて比較した。その結果次の二点が明らかになった。1.保持テストでは,成績上位と下位群間で遂行の差が見られ,先行オーガナイザの有無では差が見られなかった。2.転移テストでは,成績上位-下位群間,および,先行オーガナイザの有-無群間で遂行の差が見られた。上記の結果から,先行オーガナイザを用いた一つの授業の有効性が明らかにされた。
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