本論考では,戦間期におけるイングランド銀行の諸政策の中でも最も特徴的な活動と言われる同行の産業介入について,その端緒となったアームストロング社への介入に焦点を当てて再検討する.特に,本論考では従来の研究で着目されてこなかった商業銀行業務との連続性と,同時代英国における「産業合理化」運動との関連性という観点から評価する.これらの新たな視点から考察した結果として,アームストロング社への介入において以下の事実が指摘される.第一に,アームストロング社への介入にあたって,イングランド銀行は商業銀行業務の延長線上にある方針として,民間企業としての収益性,競争力を重視して同社を再編していた.第二に,イングランド銀行のアームストロング社への介入にあたって,「産業合理化」という同時代に流行した議論はその初期から一貫して重要視されていた.「産業合理化」を重視した結果として,イングランド銀行はアームストロング社を,特に兵器業界と鉄鋼業界においては,各産業においてプレイヤーの数を減らす業界再編に重きを置いた形で再編していた.
本稿は,第二次大戦後のアメリカにおいて実施された退役軍人福祉の展開過程を,排除の側面に着目しながら検討する.これまでの先行研究では,1944年6月22日に立法化された復員兵援護法の,戦後アメリカ社会に対する影響をめぐり議論が蓄積されてきた.近年ではとりわけ,戦後の復員支援プログラムの実施過程における差別的な実態が検証されてきた.しかしながら,いずれの主要な研究も,差別に対して抗議した団体側の史料に基づき検討していたため,退役軍人福祉プログラムを管轄した退役軍人庁内での議論,そして団体と行政側との双方向的な関係性については十分な分析がなされていない.本論文では,あらたに退役軍人庁内の未公刊史料を検討することで,第二次大戦後のアメリカにおいて,社会的な団体からの改革要求を受けた退役軍人庁が,差別的な運営体制の是正に向けて取り組みだしていく過程を明らかにする.