集団力学
Online ISSN : 2187-2872
ISSN-L : 2187-2872
31 巻
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編集委員・編集方針
英語論文
  • An Attempt of Engaged Ethnography
    Cahya Widiyanto
    2014 年 31 巻 p. 125-174
    発行日: 2014/12/28
    公開日: 2014/03/01
    ジャーナル フリー
    This paper is the next sequence of ethnography of a movement of the farmer community in Daleman, Java, Indonesia (Cahya, 2011). It specifically described the process of the ethnographic reflective dialog conducted in Daleman community while the revitalization movement was in progress. Although the reflective dialog resulted in some tensions amongst the participants, it succeeded in rebuilding the awareness and the spirit of togetherness of the community. The long and complicated process of reflective dialog enabled the members of Daleman community to develop their awareness to learn from the events they had experienced. This kind of dialog also inspired them to generate and continue the movement they had made. The story in this ethnography gives an important lesson that a reflective dialog plays very important roles in preserving the continuation of the movement of the community revitalization.
日本語論文(英語抄録付)
  • 増田 達志
    2014 年 31 巻 p. 3-71
    発行日: 2014/12/28
    公開日: 2014/01/24
    ジャーナル フリー
     本論文では、中国内モンゴル自治区における沙漠化防止活動を取り上げ、20 年間の取り組みの中で、活動内容や参加者のネットワークがどのように変化していったかについて、グループ・ダイナミックスの視点による分析と考察を行った。これを通じて、当該活動の発展の可能性とその方向性について検討をおこなう。また、当該活動のみならず、環境保全活動や地域活性化の取り組みに対して、活動団体、現地コミュニティ、外部からの参加者などによるインターローカルなネットワーク構築の視点を提供することを試みる。
     内モンゴル沙漠化防止活動は、20 年間の取り組みを通じて、その形を大きく変化させている。沙漠化防止活動を農業開発による環境ビジネスとして進めていった初期の段階から、農業開発の失敗を経て、流動沙丘の緑化と循環型集落運営システムの構築という地域づくり活動へと基本方針が変更された。また、最初は活動団体単独でなされていた取り組みが、多くの人が交流するネットワークへと発展している。こうした変化は、活動を通じて深められた交流の中から生まれてきたと考えられる。
     20 年間にわたって形を変えながら発展してきた沙漠化防止活動は、現在、停滞状態に陥って いる。直接的には活動資金の不足と地元集落を取り巻く社会情勢の悪化が原因となっているが、問題の本質は地元住民の主体的な参加の欠如にある。
     この活動が停滞から抜け出し、さらに発展していくためには、活動団体と地元住民の間に、地元住民の内発性に依拠したパートナーシップを構築することが必要になる。また、当該活動と都市住民や日本社会との間で、それぞれの問題をそれぞれの立場から共有するインターローカルなパートナーシップを築いていくことも、重要な課題としてあげられる。
  • 組織と技術のフィールドワーク
    八ツ塚 一郎
    2014 年 31 巻 p. 73-96
    発行日: 2014/12/28
    公開日: 2014/01/24
    ジャーナル フリー
     レーナ・ノロスらによって実践され提唱された「コアタスク分析」の概要と理論的骨子、分析の具体的事例を整理し紹介する。ときに甚大なリスクをもたらす現代の技術、複雑化をきわめる近年の組織や職場に対しては、個人の行為を分析単位とする在来の心理学モデルは不適切である。コアタスク分析では行為論そのものを刷新し、集合体のマクロな動態の一側面、社会と文化の意味づけによってのみ成立する断片として行為を位置づけ直す。個々人の行為は、一方では、環境的なドメインからの制約ないしアフォーダンスの提示によって、その可能性を与えられる。他方、根拠づけられ習慣として確立することによってはじめて、当該の行為は具体的な現象として成立する。行為はこれら2方向の作用の重なり合いによって成立する。コアタスク分析では、双方の作用をそれぞれ、活動理論と記号論を用いて記述し、行為が成立するための潜在的な背景を明らかにする。そのうえで、行為が連鎖して形成されているプロセス全体の挙動と、プロセスのコントロールに不可欠の要諦をなすコアタスクを摘出する。複雑化した現代の組織や技術においては、単独の個人の行為がその成否や安寧を決定することはあり得ない。連鎖するプロセスにおいて、その進展を制約し、目的の達成を左右するコアタスクを的確に遂行している集団のみが、深刻なリスクを回避できる。麻酔科医の活動と熟練プロセス、および、大型船舶の運航とリスク回避についての2事例を取り上げて解説するとともに、コアタスク分析の理論的背景と具体的な展開、記述することの意味にもたらす変化について検討した。
  • 家族介護者・支援者の「語り」の分析から
    鮫島 輝美, 竹内 みちる
    2014 年 31 巻 p. 98-123
    発行日: 2014/12/28
    公開日: 2014/02/07
    ジャーナル フリー
     本研究は,介護を負担と見なすことの問題点を指摘し,その問題点を克服する認知症介護の実践事例を考察することで,要介護者・家族介護者・支援者の「共育」を軸とする新しい介護のあり方を提起する。従来の認知症介護支援では,要介護者は,認知機能が欠損している状態,社会的・職業的機能水準の著しい低下状態とされ,その機能を補うだけの「介護力」が前提とされている。この特徴は,近代医療の特徴とパラレルである。
     筆者らは,発症から24 年間,在宅で認知症の妻Kさんの介護を行ってきたT氏の取り組みの中に,新しい認知症介護における一つの方策を見いだした。T氏は,妻の病気を問題とするのではなく,ⅰ)支援の方向性を「妻が楽しくなるような介護」と定め,ヘルパーたちに支援を求めた。そして,支援者たちは,T氏の介護力不足を問題とするのではなく,ⅱ)今,必要な支援を「課題」とし,その課題解決を試みた。また,在宅での認知症介護が一般化される前から,ⅲ)支援者たちはKさんやT氏に寄り添いながら,日常生活の問題に共に向き合い,Kさん–T氏−支援者たちの間で溶け合う関係を通じた支援が長期にわたって行われていた。
     以上の具体的実践から,大澤のポスト近代論を援用して,溶け合う関係を通じた支援によって,「介護=負担」という等式が崩壊し,介護関係が「『支援があればできる』認知症を生きる人」と「それを支援する人」という新たな関係を生成することを提示する。また,認知症を生きる人の世界とは,「未だ歩んだことのない新しい道」であり,在宅介護の現場は,規範(意味)の原初的形成の場となり,共に成長する「共育」的関係を醸成していることを提示する。次に,認知症を生きる人は,〈プロレタリアートの身体を生きる〉のであり,彼らの願いとは「よく生きること」である。そのため支援の発動点は常に要介護者側にあり,それを支援側が自覚する必要性を述べる。最後に,支援者に要請されている【専門性】とは,自らの生活世界から出て,相手の生活世界に飛び込み,そこから必要な支援を考える態度であり,支援者が「専門家」という視座をおり,要介護者との「溶け合う関係」を楽しむ姿勢が,支援者と要介護者,家族介護者との関係性を変化させ,新たな支援を生み出す可能性に開かれていることを示す。
  • 兵庫県伊丹市「商店街学校」の事例
    畑井 克彦
    2014 年 31 巻 p. 176-194
    発行日: 2014/12/28
    公開日: 2014/03/10
    ジャーナル フリー
     筆者(高校教諭)は、2003 年から約10 年間、兵庫県伊丹市で、地元商店街の地域住民と高校が連携して、高校生を教育する試みを行ってきた。具体的には、高校生に商店街の店舗で活動する機会を与え、「社会人デビュー」をしてもらう活動、すなわち、「商店街学校」の試みである。この活動を通じて、高校生をも含む住民の絆も紡がれていく。本論文の前半では、「商店街学校」が着想されて以来、現在までの経緯を紹介する。
     「商店街学校」は、教室で教科書に沿って行われる教育とは大きく異なっている。お定まりの筋書などない。教師と生徒が、商店街を舞台に、筋書を書きながら演じるドラマと言ってもよい。そのドラマの中で、高校生は、主体的に「自ら筋書を書き、演じること」の苦労と喜びを味わい、人間として成長していく。しかし、あくまでも高校教育の一環である限り、「筋書のないドラマ」を生徒とともに演じていくことは、教師にとって大きな挑戦でもある。本論文の後半では、「商店街学校」のハイライトでもある「ハロウィンパーティ」に注目し、その準備段階での生徒の動向と、それに伴う教師の迷いと判断を時系列的に述べる。
     「地域が子どもを育てる」とは言うものの、その実例は少ない。本論文は、その貴重な実例を、内部者の苦労をも含めて発信するものである。
  • 山口県の小さな漁村にある真言宗寺院の住職を中心に始まった取組み
    近藤 乃梨子
    2014 年 31 巻 p. 196-
    発行日: 2014/12/28
    公開日: 2014/03/10
    ジャーナル フリー
     本稿は、日本海に突き出す本州最西北端に位置する過疎の半島で始まった、ある小さなグループによる村おこしの取組みの記録である。20102013 年初夏の黎明期から萌芽期にあたる様子を書き記した。
     山口県長門市油谷に位置する向津具半島は、過疎高齢化の進行著しい地域である。65 歳以上の高齢者が集落人口の半数を超える限界集落の存在も珍しくない。2007 年に家業である寺院経営を継承するためにU ターンした一人の青年、田立氏の呼びかけで始まった村おこしの取組みは、災いを焼き尽くすといわれる「柴燈護摩」と、かつてこの地に楊貴妃が難を逃れて漂着したと語り継がれる「楊貴妃伝説」とを掛け合わせて生み出された楊貴妃「炎の祭典」と呼ばれる祭りである。衰退していく故郷を目前に、地域活性化の定義も定まっておらず、何をすればよいのかもわからない。けれども、このままではこの地域はダメになる。そのような思いから、目標を定め、行動に移していく。いかにして、無から有が生み出され、広がっていったのかを、本稿は記している。
     しかし、順調なことばかりではない。むしろ困難なことの方が多いように思われる。田立氏が帰郷した当初、荒れ果てた行政施設「楊貴妃の里」を村おこしに活用したいと役場に相談した時には、適切な対応がなされないばかりではなく、宗教的活動には使用させられないと、門前払い同様の扱いであった。資金獲得のために助成事業に申請すれば、助成元の財団からも、宗教団体ではないかと調べられたり、詳細すぎるほどの説明を求められたりした。楊貴妃つながりで中国の留学生や領事館との交流が芽生えたかと思えば、祭りに私服警官が何人も配備されるほどの厳戒態勢で臨まねばならないこともあった。取組みを「二尊院の祭り」と言われ、地域の祭りとしての協力を仰ぐことが難しい時期も続いた。
     幸いにも運営ボランティアは集まったが、遊びの延長のような状態であったため、打ち合わせはバーベキュー方式や「決めない」会議になった。「欣ちゃんがやるから、てごする二尊院の祭り」を脱却して「みんながしたいからやる向津具の祭り」にいかにして変化を遂げられるのか。この問題に直面していた時、新たにボランティアに参加した、移住してきたばかりの若者、松本氏から疑問の声が上がった。なぜ会議で物事を決めないのか----
     この問題提起をきっかけに、膠着した動きに新たな風が吹いた。本稿では、村おこしの取組みの初期段階から、今後の展開に影響を与えうる重大な局面に至るまでを記録した。
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