集団力学
Online ISSN : 2187-2872
ISSN-L : 2187-2872
34 巻
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編集委員・編集方針
日本語論文(英語抄録付)
  • --- アクションリサーチへの展望 ---
    八ッ塚 一郎, 東村 知子, 樂木 章子
    2017 年 34 巻 p. 3-19
    発行日: 2017/12/28
    公開日: 2017/03/05
    ジャーナル オープンアクセス

     特別養子縁組に対する理解と普及の進まない要因を検討し、新たなアクションリサーチの可能性を構想する。あわせて、社会構成主義に基づく真実暴露的なアプローチの限界を指摘し、社会的に構成された規範を変容させるための言説的アクションの方向性を考察する。
     特別養子の数は、その社会的な必要性が増す一方であるにも関わらず、極めて低い水準にとどまっている。血縁を重視する伝統や、母子の親密さなど、「産んだら育てるのが当然」という根強い規範のため、特別養子は日本に馴染まないとされてきた。
     実際には、社会学をはじめ多数の学術的研究が、日本特殊論と言うべきこうした常識の虚構性を明らかにしてきた。むしろ血縁に固執しないことこそが日本社会の伝統であり、母子の親密さも近年強調されるようになったに過ぎない。
     ところが、学術的な証拠が蓄積されても、「産んだら育てるのが当然」という規範はいっそう強固となっている。規範が社会的に構成されたに過ぎないことを暴露するのではなく、根拠のない規範がどのように維持されているかを解明し変革を試みるアプローチが必要である。
     
    「産んだら育てるのが当然」という規範は、潜在的な別の選択可能性を常に否定し続けることによって維持されている。この規範を変革するためには、否定されてきた選択可能性を肯定する、新たな言説を提示しなくてはならない。すなわち、社会の中で否定され少数者とされがちな存在や生き方が、実際には極めて身近であり、むしろ自分たち自身の姿でもあり得ることを、言説を通して示す必要がある。そのための社会的発信と教育実践の具体的なアプローチを構想した。あわせて、これらの言説実践がレヴィンに始まるアクションリサーチの精神を継承し、社会構成主義の隘路を克服する可能性を持つことを論じた。

  • --- 中山間過疎地域のある高齢者の語りから ---
    坪井 麻伊
    2017 年 34 巻 p. 21-64
    発行日: 2017/12/28
    公開日: 2017/09/13
    ジャーナル フリー

     将来は、地域に貢献できる人になりたい。そんな思いから、鳥取大学の地域学部を選んだ。勉強、サークル、地域活動、アルバイト、そんな毎日を繰り返すうちに、私が本当にやりたいことがわからなくなっていた。いつしか、誰かの声、私の声にすら耳を傾けることを辞めていた私は、自身を語ることができなくなっていた。 <br> そもそも、私たちは今まで誰かの「声」に耳を傾けたことがあっただろうか。現在の私たちは、隣に住んでいる人の顔も名前もわからない、人に会ってもあいさつをしない、つながりの希薄化した生活を送っている。一方でインターネットさえあれば、相手の表情を見ることなく、好きな時間に好きなことを伝えることができる便利な世の中を生きている。いつしか話し相手は画面へと変化し、誰かと出会い、表情を見ながら言葉を紡ぐこと、語り合う楽しさを忘れてしまった。個人に時間を費やす人は多くなったが、自身を見つめなおす大切な時間は失われつつある。私たちは今まで誰と出会い、どんな言葉に耳を傾け、自身を見つめなおしてきたのだろうか。 <br> そんな時代を生きている私が、縁もゆかりもない土地を訪れ、一人の語り手と出会うこととなった。それが3 年生の7 月から智頭町那岐地区で行われた「山里の聞き書きプロジェクト」である。那岐地区の真鹿野に住む谷口尭男さんから、自然を大切にしみんなで助け合い生活したこと、戦争という時代を生き抜いた経験を聞いた。そこには「懸命に生きる姿」があった。その暮らしから、尭男さんの人や物に対する「敬意」や「思いやり」をも感じていた。どんなお話を聞いても、必ず尭男さんは「それでも幸せじゃった」と語ってくれたことが忘れられない。しかし、尭男さんの語りに耳を澄ませば澄ますほど「私はどうだろうか?」と私の心に向かってまっすぐに語りかけられる瞬間があった。私は尭男さんのように、思いやりをもち日々をていねいに懸命に生きてきのだろうか。尭男さんを鏡として私自身が映しだされたのだ。聞き書きを通し、私にとって大切だったことは、この私の心に向かってまっすぐに語りかけられる瞬間であった。大切なことは、最初から私の心の中にあったのだ。尭男さんという一人の人と向き合うことで気づいたことである。 <br> 誰かの人生を聞くということは歴史を聞くことでもある。それは、地域史や歴史書には載っていない、語りから生まれた世界でたった一人の、たったひとつの物語である。この時代に私と語り手が出会うことこそが奇跡的で、歴史的な出来事でもあるのだ。その出会いこそ「わたしを映しだす鏡との出会い」でもある。 <br> 本論文では、尭男さんの語りをていねいに記述することで、現代の私たちが忘れてしまった「人と出会うことの大切さ」に改めて気づき、尭男さんを鏡として映しだされた私自身を見つめなおしていきたい。

  • --- 新しいスタイルのエスノグラフィをもとに ---
    向井 大介, 近藤 乃梨子, 杉万 俊夫
    2017 年 34 巻 p. 66-240
    発行日: 2017/12/28
    公開日: 2017/09/13
    ジャーナル フリー

     本研究は、過疎化や高齢化が進行する2 つの地域における地域活性化活動の事例を題材にして、これまで見過ごされてきた地域活性化活動の潜在的な側面を再検討し、より有意義な地域活性化活動の在り方や情報発信の方法を提示しようとするものである。本論文では、参与観察を行って収集した情報を、筆者や活動参加者の人物像を明記したうえで、活動参加者でもあった筆者の当該時点における率直な感想をも記述する「新しいスタイルのエスノグラフィ」を試みた。 <br> 本研究を通じて明らかになったのは、次の4 点である。第1 に、地域活性化活動を数値的に評価する場合、「数値的な成果を高めるもの」として認識されることが多いが、地域活性化活動に参加する個人の視点に立つならば、それは、「幸福を追求するための営み」の一形式にほかならず、地域活性化活動は、あくまでも、その文脈で評価されることが重要であることを指摘した。 第2 に、地域活性化活動における最大の価値は、活動それ自体に「かけがえのなさ」を共同構成するプロセスにあることを主張した。また、そのプロセスにおいて、行為そのものが規範贈与の性質を有することが示唆された。第3 に、地域活性化活動が拡大・発展するための潜在的かつ重要な要因として、「規範贈与の整流化」とも言うべき現象が必要であることが明らかになった。第4 に、上述の「新しいスタイルのエスノグラフィ」は、読者がよりリアルな追体験をすることを可能にすると同時に、インターローカルな協同的実践を喚起し、活動を継続するための内省にも役立つ素材となることが見出された。 <br> 最後に、以上の結果を踏まえたうえで、新しい地域活性化活動の在り方、新しい地域活性化活動支援の在り方、外部の人の扱い方を提示した。

  • -東北タイ、カオボンのカティップ(竹籠)づくりの事例-
    門間 ゆきの, 杉万 俊夫
    2017 年 34 巻 p. 242-286
    発行日: 2017/12/28
    公開日: 2017/10/07
    ジャーナル フリー

     本研究は、貨幣経済の浸透や大量消費材の普及といった社会変容の中における「地縁技術」の可能性を、東北タイ、カオボンのカティップづくりを事例として示すものである。 <br> 「地縁技術」とは地域内で入手できる素材を用いて製作し地域内のマーケットで流通されていることを特徴とする技術であり、地域に暮らす人々の生活と密接なかかわりをもつ点を特徴とする(Shigeta, 1996)。カオボンでは、主食であるモチ米をカティップという竹籠に入れて食べるという習慣が色濃くある。各家庭には大小様々のカティップが5-8 個必ずあり、モチ米を入れる容器は必ずカティップである。地元の竹を使って手作りされるカティップは、カオボンの「地縁技術」ととらえることができる。 <br> 参与観察とタイ人へのインタビューから、カティップづくりは、複数のつくり手による“分業体制”によって行われていることが明らかになった。その作業は、つくり手が自宅の生活空間で、日常生活の一場面として行っており、著者はその作業を“縁側作業”と呼ぶことにした。 <br> 縁側作業はカオボンの空間的・精神的な開放性という地域の特質に支えられており、カティップづくりを可視化し、人々の交流を生み、カティップづくりの暗黙知を伝達する機能がある。 分業体制は、1980 年代からの東北タイ農村の社会変容に適応して生まれたと考えられる。共同体や世帯が個人へ解体していくなかで、カティップを別世帯のメンバーとつくろうとするとき、「家内的領域の再生産と拡大世帯の形成」(田口,2002)がなされ、分業という新たな関係が生まれたととらえられる。 <br> 地縁技術には空間的・風土的地域特質と地域の変化の歴史が凝縮されている。また、地縁技術は、地域と人、モノの新たな関係を生み出す可能性をもつ。その動態を描き出すことは、地域の特質や変化、将来像を浮かび上がらせる豊かな可能性をもつのではないだろうか。

  • ---政策的・歴史的考察と事例研究---
    叶 好秋, 陳 巧香, 杉万 俊夫
    2017 年 34 巻 p. 288-319
    発行日: 2017/12/28
    公開日: 2017/10/30
    ジャーナル フリー

    本論文は、①中国都市部におけるコミュニティの崩壊過程を論じるとともに、②コミュニティの再創造に向けた中国政府の政策を論じる。さらに、③政策実現のためには、「社会組織」(公益サービスを担う非営利の住民主体組織)が必要であることを提案し、④その第一歩として、まずは住民間ネットワークをつくろうとする新しい試み――厦門市における「同好会」の事例――を、現場研究に基づき紹介する。最後に、⑤「同好会」活動が、社会組織としての機能を持つまでに成長する可能性を考察する。<br> 1 章では、1978 年の改革開放以前のコミュニティであった「単位」と、その崩壊について論じる。「単位」は、同じ勤務先に働く住民が居住するコミュニティであったが、改革開放政策の開始により、「単位」は崩壊し、「コミュニティなし」の状況に陥った。<br> 2 章では、この状況を打破するために、政府によって提案された「社区」建設政策について論じる。それによって地方政府と個々の世帯の間を媒介する機能を持つことが目指された。 しかし、公益サービスは専ら行政の義務と考え、自らは手を貸そうとしない個別化した住民が相手では、「社区」がかつての「単位」の機能を代替するのは、極めて困難である。<br> 3 章では、トップダウンの「社区」建設の困難を克服する方途として、ボトムアップの「社会組織」を育成する必要性を主張する。「社会組織」は、公益サービスを提供する非営利の住民組織である。しかし、問題は、個別化し、かつ受動的な住民の中に、どのようにして「社会組織」を形成するか、である。<br>  4 章では、「社会組織」の育成を意図したユニークな試みとして、厦門市における「新厦門人社会組織孵化基地」の「同好会」活動を、筆者の現場研究をもとに紹介する。その特徴は、将来的に、「社会組織」へと発展することが意図されていることである。<br>  5 章では、厦門市の「同好会」活動が「社会組織」育成に発展する可能性を論じる。

  • --- 向津具半島の移住者による起業を事例として ---
    近藤 乃梨子
    2017 年 34 巻 p. 321-376
    発行日: 2017/12/28
    公開日: 2017/10/30
    ジャーナル フリー

     過疎地域において、人口減少という問題は依然進行しているが、過疎地域を「気候や自然に恵まれた場」、「ロハスやスローライフのできる場」、「自給自足のできる場」、「子育てに適した場」として、暮らしや自己実現の観点から肯定的に捉える機運が生まれており、田園回帰志向が高まっている。過疎地域の活性化のためには、過疎地域への移住を促進するとともに、とくに若者世代、子育て世代の仕事づくりを実現することが重要である。 <br> 移住者が地域づくりの主体として、過疎地域に眠る埋もれていた地域資源をヨソモノ視点によって利活用し、「地域のなりわい」を生み出すことは、地域の価値を創造することにほかならず、過疎地域の地域づくりに新たな価値を上乗せする。この移住者による「地域のなりわい」づくりの社会的意義は計り知れない。 <br> 購入型クラウドファンディングは、過疎地域で「地域のなりわい」を起業する移住者のリスクを少しでも軽減し、金銭的負担をわけあい、心理的な応援者を獲得し、万が一失敗しても再チャレンジすることのできる簡便に導入できる資金調達の方法である。過疎地域における購入型クラウドファンディング活用の意義は、起業のための資金が調達できることにとどまらず、資金調達のためのプロジェクト終了後も、過疎地域に人とお金の流れをつくることにある。本稿では、過疎地域の移住者による購入型クラウドファンディング活用の有用性について、山口県長門市油谷向津具半島の移住者の事例を用いて、過疎地域への人とお金の流れを生み出すことを確認した。 <br> また、購入型クラウドファンディングの活用によって得られた、目標達成のために支援メンバーを事前確保したうえで、より多くの「ファン」を効率的に獲得するスキルが、新たな地域資源活用商品の販売プロモーションや都市農村交流及び移住の促進など、過疎地域に人とお金の流れを呼び込むための様々な活動に応用することができると指摘した。

  • --- 若手僧侶の活動を事例に ---
    飯野 顕志
    2017 年 34 巻 p. 378-418
    発行日: 2017/12/28
    公開日: 2017/10/30
    ジャーナル フリー

     本研究は仏教に根差したユニークな活動に取り組む若手僧侶を事例とし、日本において仏教を開かれたものとしていく方策を探るものである。日本において多くの人が日々苦悩を抱えて生きているが、仏教や僧侶がそれに対して果たしている役割はあまりに小さい。長く苦悩に応じてきた仏教が現代社会においてその可能性を発揮すべく、仏教を開かれたものにしていく手がかりを探ることを目的として本稿は執筆された。 <br> 本研究のフィールドはフリーマガジンの発行を主な目的として、超宗派の若手僧侶が集まった組織、「フリースタイルな僧侶たち」である。僧侶である筆者は組織のメンバーの一員として、他のメンバーと共に僧侶との対話イベント「アラサー僧侶とゆるーく話す会」への参与観察を行い、多方面から活動をリサーチした。 <br> フィールドワークを通して、主催者である若林氏の語りを聞き、イベント開催に到るまでの背景や、今までの展開を文章化した。彼は、「フリースタイルな僧侶たち」の活動に携わる中で、一般人の視点の重要さに気付き、苦悩を抱えて生きる人々に応答するために「アラサー僧侶とゆるーく話す会」の場をつくってきたという。また、筆者が僧侶として活動に参加する中で、イベントの参加者が日常抱えている苦悩を気負うことなく語る場が構築されていること、僧侶として苦悩を抱えた人の前に座る意味や、参加者の苦悩にひたすら耳を傾けることの必要性を描き出した。<br>  「アラサー僧侶とゆるーく話す会」では苦悩を受容する場が構築されている。参加する僧侶は一般の参加者に近い立場をとりつつ、真摯に苦悩に耳を傾けている。参加者に対しての一方的な語りではなく、双方向的なコミュニケーションを促すことで、僧侶と参加者が共に学びあう関係性が構築されている。一般人の視点に立つという意識のもとに苦悩を聞き入れ、それを僧侶自身の成長の糧とするあり方こそ、仏教を開かれたものにしていく実践になると考察した。

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