住民参加, 住民主体のデザインが主張されて久しく, ようやくそれらの実践も積み重ねられてきて, 新たな段階に入ってきているのではないだろうか。
もとより住民参加 (以降, 住民主体の意も含む) のデザインといえば公園のデザインが住民にとって身近かで取り組みやすいこともあってか, 他の空間に比べてわりと早い段階から数多くの経験を重ねてきた。今日では住民参加の対象は公園のみならず, 道路や河川, そして地区全体の街づくり, 景観整備など, 様々な対象空間や範囲のレベルにおよんでいる。
また, 住民参加の手法として今日, ワークショップ手法の流布が住民参加の浸透に一役かっている。手法にとびっきやすい国民性もあろうが, そういった流布の中で, 手法が参加の免罪符として扱われる危険性も言われている。
そして, 関わる住民側の方ではどうなのか, 主体的な関わりというものはそのような手法によって形成されえるのだろうか。これまでの住民運動型 (例えば世田谷区の冒険遊び場・プレイパークやその他はらっぱ運動など) と住民の意識や組織形態に違いがあるのだろうか, といった疑問も出てくる。
行政のハード整備の事業の中でも住民参加が取り込まれる例が増えるにつれ, これまでハード整備中心の実務に携わる専門家にも, 住民への対応や住民参加の方法がより一層要求されるようになりつつある。しかし, そのソフト実務分の保障が加味されるのか, 調整作業が重要となり, また時間がかかるだけに事業の制度や組織の体制との軋礫も生じる。こういった中で, 住民参加によってデザインの質は高まるか, また参加の中でデザインの専門家の役割はどうなるのか, といった古くて新しい問題が議論されている。制度の問題や専門家の役割, プロセスのあり方なども含めて, ここで対象が拡がっているランドスケープ・デザインの領域における住民参加論を論じ, 問題認識を深め, 制度や方法上のあり方の方向性が示唆できればと考える。
抄録全体を表示