これまでの小石川後楽園に関する研究では,もともと後楽園の大泉水の池尻は北東方向に向けられていたことが指摘されているが, その背景については明らかにされていない。そこで本論文では,大泉水を中心とする水系の変更の背景について, 現在残されている後楽園に関する文献と絵図をもとに考察した。その結果, 後楽園の水景の変更は, 元禄期から享保期にかけて起こった天災に起因すると考えられ, それに伴い「渡月橋」の位置も変更されたと考えられる。また, 江戸中期に記された『遊後楽園記並序』や同時期に描かれた絵図により, 大泉水の中島は, 江戸時代中期ごろまでは現在と異なる形状であった, と推定した。
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