生活大学研究
Online ISSN : 2189-6933
ISSN-L : 2189-6933
1 巻, 1 号
選択された号の論文の11件中1~11を表示しています
  • 渡辺 憲司
    2015 年 1 巻 1 号 p. 1
    発行日: 2015年
    公開日: 2016/08/15
    ジャーナル フリー
  • 大貫 隆
    2015 年 1 巻 1 号 p. 2-7
    発行日: 2015年
    公開日: 2016/08/15
    ジャーナル フリー
    R・ジラールの文化人類学によれば,供犠とは「いけにえ」の上に共同体の攻撃性を集約することで,内部の平和と秩序を基礎づけ保持してゆくメカニズムである.イエスの「神の国」はユダヤ教の贖罪の供犠を終わらせるもの,従ってユダヤ教の禁忌を破るものと見做され,イエスは排除された.パウロと四つの福音書もその次第を報告するが,彼ら自身がイエスの死を供犠と見做している箇所は一つもない.ジラールによれば,まさにそこにこそ,現代が供犠的キリスト教に対する根本的な批判を試みるための最大のチャンスがある.ところが,現実のキリスト教では受難と供犠が頻繁に混同されている.S・ヴェイユと鈴木順子氏の学位論文においても両者が混在し,繰り返し同義的に用いられている.私の見方では,両者は出来事としては同一であるが,「供犠」はその出来事を自己存続を図る共同体から見た場合の概念,「受難」は供犠として奉献される者から見た場合の概念として,アスペクト上互いに明確に区別するべきである.
  • 村上 民
    2015 年 1 巻 1 号 p. 8-25
    発行日: 2015年
    公開日: 2016/08/15
    ジャーナル フリー
    自由学園創立者の羽仁もと子、吉一は、1920年代後半から展開していた自由学園卒業生による社会活動(消費組合運動、農村セツルメント運動、工芸研究所等)の発展を背景として、1930 年代、卒業生たちと協働してこれらの活動の再組織化に取り組んだ。羽仁夫妻は、卒業生の組織とその活動を理念的かつ実際的に統合する枠組みとして、「卒業期のない大学、一生勉強の機関としての新しい『大学』組織」1をうちだし、1934 年、「生活大学」と名付けた。これは従来の「学校」や「大学」の常識を大きく越え出ようとする発想だった。新社会建設のビジョンを持つ種々の社会活動——羽仁はこれを「職業」とよんだ——を基礎として、働きつつ、生活しつつ、一生涯かけて学ぶ拠点としての「大学」を、卒業生との協働によってうち建てたのである。当時の自由学園卒業生はまだ女子のみであったから、この「大学」は女性の職業や社会活動、学問、家庭生活などに関わる具体的な提案と実践に関わっていたが、将来的には男子の生き方をも含むものとして考えられていた。生活大学構想と、創設予定の自由学園の男子中等教育(「男子部」)構想とは、ほぼ同時期に発表された。羽仁吉一は、「生活大学」と「男子部」構想をあわせて、日本の中等教育と大学教育の関係を根本的に問い直す「教育改革私案」であると述べている。1930年代に政府・民間双方から盛んに議論されていた教育改革に対する、自由学園としての知見と実践でもあった。1934年に建学した「生活大学」はしかし、その後数年のうちに「大学」の枠組みを失い、卒業生の諸活動の結合体へと戻っていく。戦後、羽仁夫妻は、日本の大学改革案への批評や自由学園大学部の検討過程において、かつての「生活大学」に近い発想を一部提示しつつも、再び「生活大学」の語を持ち出すことはなかった。本稿では、「生活大学」構想の歴史的経緯を把握するともに、この構想がもつ現代的課題を考える。
  • 羽仁もと子・吉一と山本鼎の協働を中心に
    村上 民
    2015 年 1 巻 1 号 p. 26-44
    発行日: 2015年
    公開日: 2016/08/15
    ジャーナル フリー
    自由学園創立者である羽仁もと子、吉一は、創立初年の1921年から、当時自由画提唱者として、 また農民美術運動の推進者と注目されていた洋画家、山本鼎を美術科主任として招聘した。山本鼎 は、病に倒れる直前の1942年秋頃までの20年間、つまり彼の後半生を通じて自由学園の美術教育 に携わり、また羽仁夫妻の教育事業に深く関与した。本稿は、自由学園草創期から10年間の学園美 術の展開、そして自由学園工芸研究所設立にいたる過程を、羽仁もと子・吉一と山本鼎の協働の側 面から論じる。羽仁夫妻は、自由を基調とした教育をめざし、教育と社会改造を深く結び付けよう とする志向を持っていたが、山本の自由学園での教育実践は、それまでの山本の自由画運動や農民 美術運動を統合させた形で学園美術を方向づけ、自由学園教育が持っていた社会への拡張性を具体 的に推し進めた。山本鼎はまた、自由学園卒業生による自由学園工芸研究所の設立(1932年)にも 関わった。工芸研究所の設立は、生徒たちの、山本鼎からの自立過程でもあった。
  • 預言者的ユダヤ人から見る「ユダヤ人として生きる基準」
    二井 彬緒
    2015 年 1 巻 1 号 p. 45-53
    発行日: 2015年
    公開日: 2016/08/15
    ジャーナル フリー
    「ユダヤ人問題」は終わっていない.これはアウシュヴィッツをはじめとしたナチス・ドイツによる「絶滅強制収容所」の解放以降も,「ユダヤ人DP(Displaced Person)問題」や「ユダヤ難民」と名前を変えて続いている問題である.これらの延長に存在するもの,それがパレスチナ問題である.この複雑な紛争を語る時,ユダヤ人問題は切っても切れない存在だ.ホロコーストとパレスチナ問題という異なる歴史上の二点はこのようにして一本の線の上に位置づけることができる.これらの問題を並行して考えることは,ユダヤ人社会の意識の違いを見る糸口にもなる.仮にホロコーストをより普遍的な歴史的事象と捉えた時—つまりユダヤ人以外の民族にも起こり得る歴史的出来事であると考える場合—パレスチナ問題はホロコーストを生き抜いたユダヤ人にとってイスラエル国家という存在の根本を揺るがす問題にもなる.本誌のこの論文は,卒業論文「“ホロコースト” と“パレスチナ問題”—ユダヤ人として生きる基準—」の内容をすべて掲載するのではなく,その一部であるE・ヴィーゼルを中心に,サラ・ロイ,イラン・パペのユダヤ人社会における立ち位置とホロコーストに関する考え,また,彼ら「預言者的ユダヤ人」がユダヤ人社会に果たす役割を中心に論じていく.
  • 羽仁もと子・説子の幼児と母への働きかけ
    菅原然子
    2015 年 1 巻 1 号 p. 54-70
    発行日: 2015年
    公開日: 2016/08/15
    ジャーナル フリー
    本論文は幼児生活団の設立経緯を明らかにすることを主な目的とする。羽仁もと子とその長女説 子が中心となって1939年1月に立ち上げた幼児生活団は、1938年6月に行った幼児生活展の開催が 土台となっている。幼児生活展では、準備段階において幼児の暮らしに関する様々なトピック(た とえば衣・食・住・健康など)について大規模調査を実施し、その結果から、幼児の発達によりよ い暮らしとはどのようなものかを提案した。幼児生活団は幼児生活展の内容を実際に試行するため の、実験的施設として設立された。幼児生活団は当時一般的であった幼児教育施設である幼稚園と は異なり、幼稚園令(戦後は学校教育法)によらず、また、有資格者である保母を指導者としては おかず、カリキュラムも意図的に特定のものは組まずに始められた。それは、もと子と説子が、幼 児生活団を幼稚園としてではなく、幼児生活展での提案を実践してみたいと思う母親が集まればど こででも、誰にでもつくることができる、いわば育児組合であることを提唱していたからである。 その思想が背景にあったことから、幼児生活団はその後全国各地に設立された。以上のような設 立経緯から、以下2点の考察が得られた。幼児生活団はこれまで、幼児教育の歴史の中では明確な 位置づけがされてこなかったが、その理由はこうした特殊な設置方法によるものと考えられる。ま た、幼児生活団は、やがては全国各地へ広がっていくべき幼児の生活と教育の場として構想され、 その実験的施設としての性質をもっており、狭い意味での自由学園附属の幼児教育機関として限定 されてはいなかった。
  • 酒本 絵梨子
    2015 年 1 巻 1 号 p. 71-87
    発行日: 2015年
    公開日: 2016/08/15
    ジャーナル フリー
    The purpose of this study is to analyze the educational meaning of experience of <Ensoku<, it's mountain climbing, at <Jiyu Gakuen< (one of the private school in Japan) by interpretation of reports of mountain climbing and journal which written by students of the school as human document. Jiyu Gakuen was founded as alternative school. at Jiyu Gakuen, the every student climbs a mountain from the beginning of the foundation. There is no specific educational aim. The aim is just experience mountain climbing. Usually, when they climb mountain as educational events, they define the educational aim, and the teacher try make student achieve that. From the analysis of the human documents, we recognize that the student realizes the discord with ideal of oneself and fact of oneself, through that. Through the experiences divorced from daily life, they reflect their daily life and themselves, and through the experiences of encounter the great nature, they feel awe. through these experiences, they determine to turn over a new leaf. these processes can be translated as initiations that pass the stage of <divorce<, <transition<, and <unification< (Gennep, 1977). and the meaning of mountain climbing as initiation is based on the thought of the founder of Jiyu Gakuen.
  • 鈴木 仰, 遠藤 敏喜
    2015 年 1 巻 1 号 p. 88-96
    発行日: 2015年
    公開日: 2016/08/15
    ジャーナル フリー
    ユニバーサル時代の大学教育改革と文部科学省が提言する21 世紀型能力を背景に,大学生自身が大学での学びをどのように自己認識しているのかをはかるべく,リベラルアーツ教育を実践する2つの私立学校の学生を対象にアンケート調査を実施した.構造方程式モデリングによって因子間の関係を記述するモデルを作成し,建学理念に基づく個性的な教育が大学生活全般の満足度を押し上げると結論付けた.また,正課活動と課外活動の両面を通して学生は21 世紀型能力を身に付けることも確認された.
  • 神 明久
    2015 年 1 巻 1 号 p. 97-102
    発行日: 2015年
    公開日: 2016/08/15
    ジャーナル フリー
    自由学園最高学部は、2015 年の夏に、第26 回目となるネパールでのワークキャンプを行った。本稿ではその活動の様子を中心に、ワークキャンプが何を目指し、どのようなことを行ってきたかを紹介する。
  • 遠藤 敏喜
    2015 年 1 巻 1 号 p. 103-106
    発行日: 2015年
    公開日: 2016/08/15
    ジャーナル フリー
    2014年度の自由学園最高学部4年課程(大学部)の卒業研究は,18本の論文(うち6本は共同執筆)が提出された.また,卒業研究報告会では,全研究成果が口頭発表された.研究室主任会議において論文と発表が総合的に審議され,その結果,すべての卒業研究が合格判定であった.本稿では,卒業研究の論文タイトルと卒業研究報告会の様子を紹介する.あわせて,3年生による合同公開ゼミについてと2年課程卒業勉強についても付記する.
  • 奈良 忠寿
    2015 年 1 巻 1 号 p. 107-108
    発行日: 2015年
    公開日: 2016/08/15
    ジャーナル フリー
    2014年度の学園特別実習報告会は、2015年3月14日に行われ、1・2年生全員が所属する7グループに分かれ、活動内容や考察を口頭発表した。本稿では、グループごとの発表内容を当日の要旨集をもとに抄録する。
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