本稿では大正後半期から昭和初期に展開した小学校裁縫科教材論について,基本教材論と児童の生活を重視した教材論の2つの側面から明らかにした。その概要は以下の通りである。1.基本教材論は和裁教材を対象に,主として小裁ち基本主義と本裁ち基本主義の間で対立的に論じられた。山本キク・渡邉滋・吉村千鶴は児童の心身の発達に適しているという観点から小裁ち基本主義の立場をとっていた。その判断は,用布が小さいことや所要時間の短さがよりどころになっていた。そして,木下竹次は児童中心主義教育観に基づいて自ら唱道した本裁ち基本主義を批判するとともに,洋裁の教材化や広幅用布の使用等,時代の趨勢によって基本教材論そのものがその意味をなくしていることを指摘した。2.松尾まきをおよび中澤かずめは,児童の生活を基調とした教材を重視し,小裁ち基本主義と本裁ち基本主義の間で対立的に論じられた基本教材論を批判した。そした,基本教材論の根底にある製作本位の実用主義教育観を批判する立場から,児童の生活を基調とした教材観について論じた。両者は教材の役割は児童の能力を発展的に伸ばすことにあるととらえていた。3.「全国協議会」では小裁ちと本裁ちの是非論にとどめ,基本教材としてどちらかに決定することはしなかった。そして,社会の事情を重視する場合と学校の事情を重視する場合,さらに児童の生活に重きを置いて考える場合と家庭の状況に重きを置いて考える場合の2つの側面から考えるべきであると結論づけた。このように,教材論が基本教材論と児童の生活を重視した教材論の両方の観点で議論された状況は,大正後期の裁縫科教材論の様子を象徴的に映していたととらえられる。そして小学校裁縫科の教材は,幼児から大人まで着用者の年代を限定しなかった時代から児童自身が着用する衣服を教材とする時代へと移行していく。その過程には,児童の心身の発達に目が向けられ,さらに児童の生活を主体に考えることが重視されたことが影響していたといえる。
抄録全体を表示