目 的
子どもを喪失した父親の体験と看護者へ望む支援を明らかにする。
対象と方法
研究参加者は,妊娠20週以降10歳未満の子どもの喪失から1年以上,7年以下の期間を経過した日本人の父親9名である。データ収集は半構造化面接を実施し,KJ法を用いて分析した。
結 果
子どもを喪失した父親の体験は以下の3つに分けられた。
子どもの喪失直後,父親は【死の実感が湧き上がらない】【子どもとの別れを覚悟していた】に分かれたが,子どもに触れ【背中合わせの「誕生と死」を実感】した。死の悲しみの深さを【妻とのギャップ】として感じつつ,自身の【役割に専念して感情を封印】し,【思いを込めて送り】,亡くなった子どもの【家族の中での存在】を感じていた。
喪失後,父親は【わかってほしい“泣けなさと泣きたさ”】を実感し,【仕事によって日常に戻った】が,子どもを亡くした【父親の気持ちをわかってほしい】と望んでいた。また,子どもの死を通して得た強さは,今も【姿は見えなくても生きている子ども】と捉えていた。その一方,子どもの死による家族の日常,成長の停止【止まったままの時間】,妻との回復の過程の相違【妻との温度差にとまどう】体験をしていた。
父親は看護者に感謝する一方,【看護者の気遣いのなさに傷つく】体験もしており,父親は本音で話をしやすい同性の看護者への【思いの表出】を望み,【子どもを亡くした親の気持ちは当事者にしかわからない】ことの理解を求めていた。
結 論
子どもの喪失直後,父親は,母親との身体感覚の相違による子どもの死の悲しみの深さに妻とのギャップを感じていた。しかし,父親は子どもの喪失後も家族の中での存在を感じ,子どもは今も父親の中で生きていた。また父親は社会が期待する男性像と現実の乖離に苦しみ,理解を望んでいた。周産期の現場は女性の看護者が多いが,父親が希望する同性の看護者と安心して語ることのできる機会を提供することが支援の要になる。
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