我が国における義肢装具の黎明期を支えるなど、奥村済世館の功績は非常に大きい。しかし、その命名者については、川村一郎の文献に「明治36 年に当時の陸軍第4 師団軍医部長の命名により「済世館」を公稱する。」との記述があるものの、その詳しい人物像については当該の文献にも他の先行研究にも記載がなかった。筆者はこの点に注目し、命名者の氏名や経歴などの詳しい人物像を明らかにすることを目的に調査した。文献調査の結果、命名者は谷口謙であろうことが導かれた。谷口についても調査し、記載した。同館に関する情報の混乱を整理しなければならないことが今後の課題であり、調査を継続する必要がある。
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