南アジア研究
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2008 巻 , 20 号
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  • 今村 泰也
    2008 巻 (2008) 20 号 p. 7-28
    公開日: 2011/08/17
    ジャーナル フリー
    本稿ではヒンディー語の迂言的な未来時表現形式とされる〈V-ne-vala hona〉の意味機能を考察した。先行研究の多くが「〈V-ne-vala hona〉は近未来を表す」と記述しているが、遠い未来であっても実現確実な事態に使われることが用例から明らかになった。そして、 (1) 〈V-ne-vala hona〉は未来形との言い換えができない場合がある、 (2) コピュラ動詞honaは過去形をとることもあり、 (通例) 事態の非実現を表すことから、本稿ではこれが未来時を指示する表現形式ではなく、決定済みの予定として基準時の状態を述べる表現形式であることを主張した。
    〈V-ne-vala hona〉には上記の用法 (予定用法) 以外にも事態の実現直前の切迫した状況を表したり (切迫用法) 、未来の事態に関する話し手の推測を表す用法 (推量用法) がある。本稿では各用法の意味的・統語的特徴を明らかにし、推量用法をモダリティとして提示した。最後に〈V=ne-vala hona〉の文法化について考察を加えた。
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  • 北田 信
    2008 巻 (2008) 20 号 p. 29-52
    公開日: 2011/08/17
    ジャーナル フリー
    インド音楽史研究についての現代インドのナショナリスティックな議論において「インド音楽はヴェーダに起源を発し、バラタの舞踊経典などのヒンドゥー文化に育まれた」ことが強調される。しかしヒンドゥースターニー音楽 (北インド音楽) はインド土着の音楽に外来のペルシア音楽を混合して生まれた音楽スタイルであり、これを単純にヴェーダやバラタの舞踊経典の延長線上にあるものとして捉えるのは、事実に反している。13-15世紀頃のヒンドゥースターニー音楽形成期において多くのムスリム音楽家が活躍し、それ以前にはなかった芸術革新・意識拡張を可能にした。その際の様子をサンスクリット・ペルシア語の両方の文献を用いて具体的に検討した。
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  • 南出 和余
    2008 巻 (2008) 20 号 p. 53-76
    公開日: 2011/03/16
    ジャーナル フリー
    本研究は、バングラデシュ農付社会で暮らす子どもを対象に、彼らが成長と共にコミュニティーでの立場や関係、行動パターンを変化させていくプロセスを捉えることで、「子ども」という概念を日常実践のなかで問い直すことを目的とした。その際、当該社会の子ども観と子どもたち自らの生活実践がいかに呼応しているかに着目し、その領域を「子ども域」という新たな概念で捉えた。
    当該社会には「子ども」をさす言葉が複数存在し、それらが年齢段階的に使われる。さらに、「子どもはブジナイ (分からない) から仕方ない」として、おとな社会の規範から猶予される。一方、子どもが日常生活を過ごす時間と空間に着目すると、彼らの行動には、おとなの認識と大きくずれることのない年齢段階的な変化が見られ、「ブジナイ」として放ったらかしにされる自由が、役割期待の増加と共に減少していくことが明らかとなった。
    つまり「子ども域」は、「ブジナイ」として猶予される自由のなかで子どもたちが徐々に行動パターンを確立し、社会の規範を習得していくにつれて減少するものであり、それが「子ども期」の終焉を意味している。
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  • 宮本 万里
    2008 巻 (2008) 20 号 p. 77-99
    公開日: 2011/08/17
    ジャーナル フリー
    本論考では、ブータンの国立公園内の牧畜村で実施した現地調査をもとに、環境政策と森林放牧、牛の屠殺と仏教信仰をめぐって生起する価値の政治について考察する。森林放牧を環境破壊の原因とするグローバルな環境言説の影響の下、近年のブータンでは牧畜民による季節移動や森林放牧の習慣が「自然保護への脅威」として規制されつつある。森林局が森林への負荷を軽減する目的で畜牛の頭数削減を迫り、畜産局が定着型の酪農形態への転換を推進するなか、村民は「環境にやさしい生活」のために「牛を殺すこと」を余儀なくされている。政府がチベット仏教信仰に内在する自然観を根拠に環境保護を「ブータン人」の属性として位置づける一方で、個別の環境政策においては「よき仏教徒である」ことと「環境にやさしい」こととは乖離する様相を呈していく。本論は「自然環境保護」あるいは「環境にやさしい生活」に対する解釈の重層性を示すとともに、政府の描く理想の「ブータン人」像に対する人々からの多元的な問い直しの過程と、新たな自己像の再構築へ向けた営為とを描き出そうとするものである。
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  • 中津 雅昭
    2008 巻 (2008) 20 号 p. 100-117
    公開日: 2011/08/17
    ジャーナル フリー
    本稿では、インド人民党 (BJP) のインディアン・ディアスポラ政策とヒンドゥー・ナショナリスト運動のグローバルな展開過程を考察し、BJPの政治戦略や行動がその在外組織OFBJPの動態に連関する構造を明らかにした。
    政権掌握後のBJPは、同盟政党との協調等から、ヒンドゥー・ナショナリズム (HN) の追求が困難であった一方、そうしたHNへの姿勢に対し、最大の支持基盤であるサング・パリヴァールは激しく非難していた。そこで、BJPはディアスポラ政策の推進を通じて、HNの追求をディアスポラ社会に転嫁し、OFBJP等のサング・パリヴァールの在外活動への支援を行ったが、こうした政治支援にも関わらず、2004年総選挙で敗北して以降、HNへの関与を求めるOFBJPからもその政治姿勢を厳しく問われる事態に直面することになった。
    験論として、BJPは本国の政治過程に関与するOFBJPの動態を軽視できず、国内外のサング・パリヴァールとの関係により、HNへの関与を余儀なくされる点を論じた。
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  • 小嶋 常喜
    2008 巻 (2008) 20 号 p. 118-139
    公開日: 2011/03/16
    ジャーナル フリー
    インド史における1930年代は、民族運動の大衆化と農民運動の活性化によってカテゴリーとしての「農民」が登場した時代である。本稿はビハール州のキサーン・サバー運動を取り上げ、社会史的文脈からこの時代についての説明を加える。ビハール州における農民運動の一背景として、ヤーダヴやクルミーなどの中位農耕諸カーストによるアイデンティティ構築および社会的地位の上昇を目指すカースト運動が挙げられる。この運動は高位カーストとの衝突を繰り返すことで耕作者としての諸問題をもクローズアップし、カーストとは異なる次元でより広範に組織化が行われる契機となった。こうして1930年代におけるキサーン・サバー運動では、この中位農耕諸カーストだけでなく、多様な集団が「農民」というゆるやかな「階級」として組織され、その共通の利益が主張されることになった。
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  • 脇村 孝平
    2008 巻 (2008) 20 号 p. 140-141
    公開日: 2011/03/16
    ジャーナル フリー
  • 片岡 啓
    2008 巻 (2008) 20 号 p. 142-159
    公開日: 2011/08/17
    ジャーナル フリー
    日本の「印哲」-東大・京大などにあるインド学・仏教学の研究-は欧米のIndologyとは性格を異にする。歴史を見ても印哲は「仏教学」とくに教理・教学の研究を中心に成立してきた。伝統的・護教論的な仏教漢文の講読から、インド学の文献学的手法を加味した教理・思想研究へと展開し、そこから文献学の手法による客観的・実証的な思想史研究へと方向を定め、対象も方法も多様化してきた。中村以後を見渡すとき、極端な専門化が進行しているのが分かる。そしてそれは資源の集中という形で「学問的」には大きな成功を収めてきた。そこに抜け落ちたのは現代インドへの関心である。結果として、サンスクリット文献と現代を繋ぎ、そのギャップを埋めんとする情熱は低い。国際的な発信という成功の影で、国内一般向けの成果還元や他分野研究者との交流への意欲が減退しているかに映る。「中村元以後」の印哲、日本のインド学をどう方向付けていくのか、これからの課題である。
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  • 黒崎 卓
    2008 巻 (2008) 20 号 p. 160-175
    公開日: 2011/03/16
    ジャーナル フリー
    本稿は、南アジアにおける経済制度・政策のインパクトに関する実証分析を題材に、日本の研究動向と、応用経済学・計量経済学の手法を駆使した近年の研究について、簡単に展望した。この作業からは、近年の手法適用上の鍵が、「多様性の中の統一」とりわけ連邦制と民主主義という政治的な条件にあることが浮かび上がった。この政治的条件が生み出す「地域内の変化」の「地域間の差異」に明示的に着目することにより、日本の研究成果を国際社会により効果的に発信することが可能になると思われる。また、日本の南アジア経済研究が貢献できる分野としては他に、現場を知らない一部の経済学者が安易に「自然実験」とみなしている現象が本当にそうみなせるかどうかを地域研究の視点から批判的に再検討すること、制度や政策の決定・実施過程を緻密に分析することなどが挙げられる。フィールド調査を重視する日本の研究の伝統は、このような分析に力を発揮できるであろう。
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  • 三輪 博樹
    2008 巻 (2008) 20 号 p. 176-189
    公開日: 2011/03/16
    ジャーナル フリー
    比較政治学、インド政治、政党政治、グローバル化国際社会におけるインドの経済的・戦略的な位置付けは、近年になって大きく変化した。その結果、インドに対する世界の政治学界の関心は、どちらかと言えば、国際関係や安全保障などの問題が中心となっているように思われる。しかし、現在のインドでは、純粋な「国内政治」あるいは「国際政治」と呼べるものは少なく、ほとんどの政策決定や政治的な出来事において、州政治から国際関係までの、複数のレベルの政治的な動きが相互に関連する状況となっている。
    したがって、現在のインド政治を理解するためには、このような複数のレベルの政治的な動きや、国内外の経済的・社会的な状況などを、「全体的」に検討していくことが必要となる。また、このような検討を行うためには、政治学だけでなく、経済学や人類学など、複数の学問分野にまたがった知識も必要となる。このような状況を踏まえ、本論では、複数の研究者による共同研究を行うことの必要性を指摘した.インドという巨大で複雑な研究対象を扱うためには、特定の分野や地域などについて研究を深めていくことはもちろん重要であるが、同時に、複数の研究者や学問分野にまたがった協力体制を構築することも重要であると考える。
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  • 大石 高志
    2008 巻 (2008) 20 号 p. 190-207
    公開日: 2011/08/17
    ジャーナル フリー
    本稿の目的は、現在の日本におけるインド歴史研究を、戦後の研究の進展のなかに位置付けて理解することである。研究や研究動向記述の蓄積を統合的に俯瞰することで、歴史像や歴史観の変化を捉え、同時に、今後の歴史研究の見通しを特に自身の研究との関連で考察した。戦前の日本において、インド史に関する関わりは、「進歩性」と覇権を体現する西欧世界と植民地化を被るアジアとの狭間で、自己の在り方を探求する日本自身の自己追求作業の一部であり、それゆえに、この時期の歴史記述も、時々の政治状況と不即不離の関係を有さざるを得なかった。戦後のインド史研究は、戦前のインド史記述が抱えたこうした限界を克服すべく、とくに社会・経済的な文脈を意識的に組み込みつつ、一次史料の分析を伴う実証研究を本格化させた.1960年代までの歴史研究では、マルクスのアジア歴史社会論や発展段階論の流れのなかに、どのようにインドの歴史が妥当性をもって比定できるかが、結果的に、基底的検討課題となった.1970年代に現れた新傾向は、発展段階論との比定作業や停滞論を棚上げし、インド社会自体の歴史的な動態を捉えようとするものであり、王権や宗教などの非生産 (=土地) 関係の要素を取り込んだ複眼的な視点を確保することで、進展を見せた。
    また1980年代中葉以降には、「オリエンタリズム」や「創られた伝統」、さらに他者化・自己化の問題軸を起点にして、「インド性」や既存国民国家の実体・仮構性、複合アイデンティティなどが検証されるようになり、こうした歴史把握の転換は、サバルタン・スタディーズ、公共圏、「周辺化された人々」など、様々な新領域を台頭させた。本稿の後半は、筆者自身が関わっている研究分野とその周辺領域に関連付けて、今後の南アジア研究の見通しを示したものである。従来は、地縁社会や政治体などの特定領域内での生産や統治に関わる内向きの統合力や組織性、制度化などに主眼を置きつつ、その社会の特性を検討するという基本的な視角があったが、実際には、現在進行中の研究でも徐々に明らかにされているように、インド史において、内向きの収斂や均質化、集権化は社会動態の1つの方向性に過ぎず、カーストやイエ、宗教などの在来の個別的・分節的要素が、それ自体、母体となって組織を維持し続けたり、そうした小規模な組織が分散したまま柔軟に適宜結び付くことで独自の秩序形成や経済発展が見られたりした。また、こうした分散的な小規模分子には、高い移動性や広域性を発揮するものが含まれ、インド亜大陸の内外に、地域拡散的もしくは広域分散的な動きを見せてきた。本稿では、こうした歴史像とその検証の見通しを、筆者自身が取り組んでいるムスリム商人や、彼等が関わりを有した商品やその経済を事例として示した。
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  • 田辺 明生
    2008 巻 (2008) 20 号 p. 208-225
    公開日: 2011/03/16
    ジャーナル フリー
    本論は、これまでの南アジア社会研究をふりかえりつつ、現代における南アジア社会認識の変貌とそこに現れている新たな研究課題について述べる。戦後日本の南アジア研究は、世界政治のなかにアジアを価値的に位置づけなおすための試みの一環としてあったが、そのなかで人類学的研究は国家の枠組みとは異なる地域社会や民族や文明に注目した。1960年代からは本格的な現地調査にもとづく研究が蓄積されていった。南アジア社会研究の課題は、社会のエッセンスを構造として把握する試みから、その生成変容の動態をいかにとらえうるかという問題へと変化してきた。現在の南アジア社会は、まさにポスト植民地的状況を乗り越えようとする新たな動態のなかにある。本論では、共同体/国家、宗教/合理性、伝統/近代といった植民地的二分法を媒介し、新たな関係性と価値を生成せしめている人々の行為主体性に注目する。
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  • 辛島 昇
    2008 巻 (2008) 20 号 p. 226-232
    公開日: 2011/03/16
    ジャーナル フリー
  • 杉本 良男
    2008 巻 (2008) 20 号 p. 238-243
    公開日: 2011/03/16
    ジャーナル フリー
  • 岡 通太郎
    2008 巻 (2008) 20 号 p. 244-249
    公開日: 2011/03/16
    ジャーナル フリー
  • 田中 雅一
    2008 巻 (2008) 20 号 p. 250-254
    公開日: 2011/03/16
    ジャーナル フリー
  • 金 基淑
    2008 巻 (2008) 20 号 p. 255-260
    公開日: 2011/03/16
    ジャーナル フリー
  • 松尾 瑞穂
    2008 巻 (2008) 20 号 p. 261-266
    公開日: 2011/03/16
    ジャーナル フリー
  • 山下 博司
    2008 巻 (2008) 20 号 p. 267-274
    公開日: 2011/08/17
    ジャーナル フリー
  • 佐藤 宏
    2008 巻 (2008) 20 号 p. 275-280
    公開日: 2011/03/16
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  • 中谷 哲弥
    2008 巻 (2008) 20 号 p. 281-286
    公開日: 2011/03/16
    ジャーナル フリー
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