本稿では、インドにおける今日の人口政策を歴史的経緯に位置づけるために、20世紀はじめのインドにおいて、誰の生殖能力がどのように管理されるべきものと見なされており、また、具体的にどのような人々がこうしたバースコントロール活動に従事していたのかを明らかにすることを目的とする。特に、ボンベイ管区マハーラーシュトラ地域で活動したR・D・カルヴェーの思想と実践に注目することで、同時代の「バースコントロール・リーグ」のメンバー内の相違点について指摘する。R・D・カルヴェー(1882-1953)は、インドではじめて産児制限クリニックを開設した、産児制限運動の先駆者として知られる人物である。
だが、今日に至るまで彼の活動と思想は、産児制限運動の研究史のなかでも短く言及されるにとどまっており、著作の検討や分析はほとんどなされてこなかった。本稿では、その膨大な資料への足掛かりとして、刊行された雑誌を具体的に分析することで、20世紀初頭から半ばにかけてのインドにおける産児制限運動の展開について新たな考察を加えるとともに、セクシュアリティをめぐる当時のインド社会の状況を明らかにすることを目指す。
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