南アジア研究
Online ISSN : 2185-2146
Print ISSN : 0915-5643
ISSN-L : 0915-5643
2009 巻, 21 号
選択された号の論文の23件中1~23を表示しています
論文
  • ―インド・マハラシュトラ州の製糖協同組合の実態調査から―
    草野 拓司
    2009 年 2009 巻 21 号 p. 7-29
    発行日: 2009/12/15
    公開日: 2011/08/30
    ジャーナル フリー
    マハラシュトラ州の製糖協同組合は優良農協として知られているが、1990年代以降の一連の自由化政策の影響を受け、経営の悪化に苦しむケースは少なくない。これに対応すべく、支所(「地域営農センター」)を置き、組合員のニーズに応えることで、組合員の定着化と経営の安定化に成功した事例がみられた。この事例と、そのような対策を講じなかった事例を比較分析することで、前者の戦略の有効性を立証しようとした。
    その結果、製糖協同組合は支所を置くことによって、組合員に対して、「生産性の向上」、「取引費用軽減効果」、「労働者の管理と配置における効果」の3つの効果をもたらしており、それが組合員定着の主要因となっていることが明らかになった。また、この分析を通じて、インド農村の原料生産農民にとって、技術指導、金融支援、生産コスト削減のための支援が重要であり、そのためのシステムの構築が求められていることも示された。
  • ―ハカルキ・ハオールにおける環境資源の文化の政治を事例として―
    七五三 泰輔
    2009 年 2009 巻 21 号 p. 30-59
    発行日: 2009/12/15
    公開日: 2011/08/30
    ジャーナル フリー
    近年、南アジア地域においても広く実施されているコミュニティ・ベースの環境保全政策の研究においては、コミュニティを基盤とすることで起こる権力の再生産や、その結果としての資源の不平等な分配が問題として指摘されてきた。その一方で、地方への権限委譲を伴うこの政策を通して、地域社会に新たな政治実践が展開していることも指摘されている。
    本研究では、バングラデシュにおける環境保全政策の実践を通して展開する村落社会における政治実践の動態的プロセスに注目し、議論される問題、あるいは争われる資源によって資源管理の参加者たちの対立軸や連携の在り方が変わっていくプロセスを描き出した。そうすることで、政策実践やその研究分析において社会的カテゴリーをアプリオリに設定することの問題、あるいはそれによって覆い隠される多様な政治実践の在り方を看過してしまうことを示唆した。
  • ―ラージャスターン農村におけるラームデーヴ信仰と巡礼―
    中谷 純江
    2009 年 2009 巻 21 号 p. 60-86
    発行日: 2009/12/15
    公開日: 2011/08/30
    ジャーナル フリー
    本稿では、ラージャスターン農村における祭礼の変容について論じる。近年、村落で人気のあるラームデーヴラー巡礼をとりあげ、なぜ巡礼が村人の関心を集めるようになったのか、また他の聖地ではなく、聖者ラームデーヴの廟を目的地にすることの意味はなにか、という2点について考察する。第一に、村落における「伝統的」社会構造が崩れ、古い秩序を体現するホーリー祭が否定される一方、新しい年中祭礼として巡礼が出現したことを述べる。次に、ラームデーヴ信仰の特性について分析し、ラームデーヴがもつハイブリッド性が宗教・カースト・階級・ジェンダーを越えて、異なる人々を包摂する力をもつことを述べる。最後に、ホーリー祭とラームデーヴラー巡礼を比較する。巡礼はホーリー祭と同様に、非日常空間において人々が根源的つながりを体験する機会になっており、祭りを通して「コミュニティ」を創出する機能をもつ。しかし、両者が体現する「コミュニティ」の構造は異なる。ホーリー祭ではヒエラルキーが顕在化するのに対し、巡礼では複数の読みが可能な開かれた関係性と異なる人々をつなぐ結節点が示される。
  • ―1893年万国宗教会議での演説をめぐって―
    平野 久仁子
    2009 年 2009 巻 21 号 p. 87-111
    発行日: 2009/12/15
    公開日: 2011/08/30
    ジャーナル フリー
    1893年9月、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ(1863-1902)はアメリカ・シカゴで開催された万国宗教会議において、インドのヒンドゥー教の代表として演説した。ヒンドゥー教を「受容と寛容の宗教であり、人間の内なる神性を認め、それを悟ることを助ける普遍宗教」として唱えるとともに、インドの民衆の困窮を訴えた。そこには、個人的な魂の救済のみを求める従来のサンニャーシン(出家遊行者)だけではなく、社会的、物質的な救済にも目を向けた新たなサンニャーシンのあり方も示唆される。こうした主張が注目された背景には、ユニテリアンなどの存在に見られるキリスト教の多様性も感じられる。この万国宗教会議での演説は、ヴィヴェーカーナンダ自身にとっても、その後の伝道活動や、インド・カルカッタ(現コルカタ)での布教・教育・奉仕・医療活動を担うラーマクリシュナ・ミッション設立(1897年)へと向かう大きな転換点になったように考える。
  • ─プラゾ制度とポルトガル人植民社会の形成─
    齋藤 俊輔
    2009 年 2009 巻 21 号 p. 112-132
    発行日: 2009/12/15
    公開日: 2011/08/30
    ジャーナル フリー
    本稿では、ポルトガル領ダマンに導入されたプラゾ制度の運用実態を明らかにし、「カザード」の定義を再検討する。ポルトガル領ゴアやダマンでは、ポルトガル人定住者に土地を与える入植政策が採られていた。彼らは同地で結婚することが義務付けられていたので、「カザード」と呼ばれた。ポルトガル領ダマンの場合、プラゾ制度が導入された。「プラゾ」とはポルトガル国王が家臣に一定期間に限り貸し出した土地を指す。同地では村落がプラゾとしてカザードに与えられた。その際に軍役などの義務が課せられた。ところが、カザードの中にはプラゾを私有財産のように売買したり、譲渡したりする者が現れた。さらに、16世紀末頃から様々な理由で軍役が放棄されたため、プラゾ制度は変質を余儀なくされた。一方で、カザードはそうした状況を利用して、「フィダルゴ(貴族)」と呼ばれるほどの富と地位を確立した。
  • 吉次 通泰
    2009 年 2009 巻 21 号 p. 133-151
    発行日: 2009/12/15
    公開日: 2011/08/30
    ジャーナル フリー
    世尊の死因については定説がない。80歳の高齢になっていた世尊は、最後の旅の途中、チュンダの調理したスーカラ・マッダヴァを食べた後、短期間で激しい苦痛(腹痛?)と血性下痢を生じた。頻繁に飲水と休息をとりながら旅を続け、クシナガラで入滅した。史実と異なる内容も多いと思われるが、最後の旅の途中に現れた死因解析に必要な臨床症状を最も詳細に述べている文献の一つはパーリ語によるMahaparinibbanasuttanta(MPS)である。死因に関する先行研究は、スーカラ・マッダヴァの性質(豚肉、キノコなど)に関するものが大部分であった。血性下痢をもたらす疾患には、感染性腸炎、腸間膜動脈閉塞症、虚血性腸炎、大腸癌、潰瘍性大腸炎、クローン病、大腸憩室症などがあるが、患者の年齢、症状、経過、糞便の性状などより、細菌(とくに赤痢菌)あるいは赤痢アメーバに汚染された食物ないし飲料水による重症の感染性腸炎であったと推測する。
研究ノート
  • ─英領期インドにおけるR・D・カルヴェーの産児制限運動を中心に─
    松尾 瑞穂
    2009 年 2009 巻 21 号 p. 152-173
    発行日: 2009/12/15
    公開日: 2011/08/30
    ジャーナル フリー
    本稿では、インドにおける今日の人口政策を歴史的経緯に位置づけるために、20世紀はじめのインドにおいて、誰の生殖能力がどのように管理されるべきものと見なされており、また、具体的にどのような人々がこうしたバースコントロール活動に従事していたのかを明らかにすることを目的とする。特に、ボンベイ管区マハーラーシュトラ地域で活動したR・D・カルヴェーの思想と実践に注目することで、同時代の「バースコントロール・リーグ」のメンバー内の相違点について指摘する。R・D・カルヴェー(1882-1953)は、インドではじめて産児制限クリニックを開設した、産児制限運動の先駆者として知られる人物である。
    だが、今日に至るまで彼の活動と思想は、産児制限運動の研究史のなかでも短く言及されるにとどまっており、著作の検討や分析はほとんどなされてこなかった。本稿では、その膨大な資料への足掛かりとして、刊行された雑誌を具体的に分析することで、20世紀初頭から半ばにかけてのインドにおける産児制限運動の展開について新たな考察を加えるとともに、セクシュアリティをめぐる当時のインド社会の状況を明らかにすることを目指す。
書評
リジョインダー
学界近況
feedback
Top