日本におけるオペラント条件づけ研究の端緒は、1950年代初期にハーバード大学スキナー(Skinner, B. F.)研究室から送り出された実験装置(実験箱と累積記録器)にある。穀物強化子を呈示するハト用実験装置は慶應義塾大学に、水強化子を呈示するラット用実験装置は東京大学に届けられたが、これらの実験装置を何時、誰がスキナーへ要請したのか、どのような経緯で日本に届けられたのか等は不明である。こうした実験装置導入の経緯やその後のオペラント条件づけ研究の進展に果たした役割を明らかにすることは、心理学史の視点のみならず、科学技術史や日米の科学技術交流という視点からも興味深い問題であろう。
こうした問題を明らかにすることは、現在までに60年以上経過し、2組の実験装置に関わった関係者の多くは物故しているため、容易ではなかったが、何人かの関係者から聞き取り調査を行い、その他の関連事項とともに年表にまとめた。こうして作成された年表を基礎資料として記載された事項と、事項間の関連などを解明することを目指した。
本小特集は、年表に記載された事項の解説(伊藤,2019)から始まり、この年表に挙げられた「平沢秀雄氏」へのインタビュー記録(河嶋,2019a)、ハーバード大学製ハト用実験箱のその後の進展(河嶋、2019b)、東京大学関係者によるコメント(大山,2019)、戦前戦後の日本におけるオペラント条件づけ研究の実験装置に関する文献リストの解説(浅野,2019)からなる。なお、関連論文として、藤(2019)によるハーバード大学製実験装置輸入の経緯とその後の日本製実験箱の変遷についての解説が本特集とは別に本号に掲載されている。
こうした一連の論文を通読することで、なお不明な点もあるものの、2組の実験装置導入の経緯やその後の発展の足跡の一端が明らかになり、オペラント条件づけ研究の日本における発展の姿を浮かび上がらせることになろう。
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