文化人類学
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73 巻, 3 号
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  • 原稿種別: 表紙
    2008 年 73 巻 3 号 p. Cover1-
    発行日: 2008/12/31
    公開日: 2017/08/21
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 表紙
    2008 年 73 巻 3 号 p. Cover2-
    発行日: 2008/12/31
    公開日: 2017/08/21
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 付録等
    2008 年 73 巻 3 号 p. App1-
    発行日: 2008/12/31
    公開日: 2017/08/21
    ジャーナル フリー
  • 田辺 繁治
    原稿種別: 本文
    2008 年 73 巻 3 号 p. 289-308
    発行日: 2008/12/31
    公開日: 2017/08/21
    ジャーナル フリー
    本稿は日本文化人類学会第42回研究大会(2008年6月1日、於京都大学)における第3回日本文化人類学会賞受賞記念講演の内容を書き改めたものである。その目的は、1960年代末から今日にいたる私自身の人類学研究をふり返りながら、人びとが想像的、再帰的な実践のなかでコミュニティを構成していく過程を考察することにある。ここではコミュニティとは、すでにそこに存在するものばかりでなく、人びとの欲望、想像や思考の展開のなかで実践的に創られていくという視角から考える。そこでまず1970年代以降に現れたブルデューやレイヴ/ウェンガーらの実践理論を批判的に検討しながら、コミュニティが多様な権力作用のなかで形成されることに注目する。ここでいう権力作用とは他者にたいする外部からの支配だけでなく、イデオロギーや言説のように、人びとの認知様式や価値評価に影響をおよぼし、秩序の承認へと導く効果を含んでいる。そうした権力作用にたいする抵抗あるいは闘争を描くことは20世紀末の民族誌の重要なテーマであり、そこには西欧近代の主体概念とは異なったエージェンシーの躍動が浮き彫りになった。私が取り組んだ北タイの霊媒カルトやエイズ自助グループの研究も、病者や感染者たちがコミュニティのなかで自己と他者、権力の諸関係を想像的、再帰的な実践をとおして創りなおしていく過程に焦点をあてるものであった。彼らの実践の資源となるのは合理主義的知であるよりは、むしろコミュニティに埋め込まれた自分たちの<生>にかかわる解釈学的知である。しかし他方、近年の社会的マネージメントの展開において、こうしたコミュニティのなかに形成される共同性そのものが、国家、企業、NGOなどを含む多様な権力が介入する回路や標的となっていることに注目しなければならない。そこでフーコーの統治性の概念は、権力がそうしたコミュニティの枠組みをとおして介入し、自己規律化するフレキシブルな主体を構築していくことを分析するにあたって有効だと考えられる。このようにして人びとが想像力によってコミュニティを新たな共同性として構成してゆく道筋は、統治テクノロジーの作用による自己規律化と重なりあっているのであり、人類学はそうした重層的過程にアプローチする必要があるだろう。
  • 佐藤 斉華
    原稿種別: 本文
    2008 年 73 巻 3 号 p. 309-331
    発行日: 2008/12/31
    公開日: 2017/08/21
    ジャーナル フリー
    ニマ(仮名)は、「女は(嫁に)行く」ことが現在までなお揺るぎない規範性を保持しているネパール・ヨルモ社会に生きる、未婚の中年女性である。本稿は、社会的規範により抑圧され周縁化されている個人が、この規範との緊張を孕んだ関係のもとでいかなるエイジェンシーを発揮するのか、いかに自己を構築しその生存の場所を切り拓くのかという問いを、このニマが語るライフ・ストーリーを通して探究しようとするものである。興味深い事実は、婚姻を命じる規範がその一端を構成するところの、彼女にとって抑圧的な社会的編制のもとで生きることを余儀なくされながらも、彼女自身がこの婚姻規範を繰り返し肯定し、自らの「逸脱」性を率直に認めていることである。規範への全面恭順とそれが含意する自らの逸脱性の受容という、一見平板な身振りのもとで彼女が紡ぎだす語りを辿るにつれ浮かびあがってくるのは、しかし、規範への一面的な服従とは程遠いものであった。自己否定をあえて引き受けつつも自己の生存をしたたかに確保し、明示的には規範を肯定しながらもこの規範から逃れでていこうとする志向を滲ませる彼女の言葉は、体よい要約を拒み、不分明なその声は構造に折り込み済みのエイジェンシーを越えでる潜勢力を宿す。もちろん、そのような潜勢力がいかなる展開を遂げる(あるいは遂げない)かについて、軽々しく予断するのは不可能なことである。
  • 宮西 香穂里
    原稿種別: 本文
    2008 年 73 巻 3 号 p. 332-353
    発行日: 2008/12/31
    公開日: 2017/08/21
    ジャーナル フリー
    日本人妻をはじめ、米軍男性と結婚した外国人軍人妻は、概して受動的な存在として記述されてきた。彼女たちは、軍隊の理解が欠如し、さらには米国の文化、慣習や言語の障害をも抱える、無力で従属的な立場に置かれている女性であった。本稿では、およそ1年間の調査に基づき、横須賀米海軍基地における日本人妻の結婚と家族生活に着目し、日本人妻がけっして受動的なかたちで日々の生活に追われているわけではないことを明らかにする。すなわち、先行研究における外国人軍人妻描写に認められるステレオタイプを是正し、彼女たちの多様な生き方に迫る。同時に、従来われわれの眼にふれることの少ない日本人妻の民族誌を描くことを試み、軍人との結婚生活に大きく関わる軍隊の組織や軍人の生活や文化について記述し、その理解を目指す。日本人妻は、米国社会からも、軍隊生活からも、さらには日本社会からも「よそもの」扱いされ、周縁的であることを考慮すると三重に(トリプル)アウトサイダーである。日本人妻は、夫の階級が異なる妻同士の交際の制限や夫のエスニシティに関する問題に直面し悩み苦しんでいた。一方で、軍人妻として夫や夫の所属する部隊の妻たちの先頭に立って生きる日本人妻もいた。またアメリカで夫の家族や親族との衝突や日本社会からの差別に苦しむ妻もいた。彼女たちは、先行研究で描写されているような無力で受動的な存在ではない。日本人妻は、積極的な適応や抵抗ではないが、結婚生活の中で見られるさまざまな困難についで悩み、苦しんでいる。彼女たちの悩み、苦しむという姿は、無力で受動的であることを必ずしも意味しない。本稿では、悩み、苦しむということもまた妻たちの能動的な態度であるという認識が、妻たちを無力で受動的とみなす視点を克服する第一歩であることを指摘した。
  • 清水 昭俊
    原稿種別: 本文
    2008 年 73 巻 3 号 p. 354-362
    発行日: 2008/12/31
    公開日: 2017/08/21
    ジャーナル フリー
  • 清水 昭俊
    原稿種別: 本文
    2008 年 73 巻 3 号 p. 363-379
    発行日: 2008/12/31
    公開日: 2017/08/21
    ジャーナル フリー
    「先住民の権利に関する国際連合宣言」は先住民の自己決定権を、なんら制限条件を加えることなく明記する。それにもかかわらず、多くの先住民組織は、彼らの置かれている状況の制約のゆえに、「政治的地位を自由に決定する」権利を保持しつつ、既存の国家の中での自己決定の実現を求めているといわれる。それは「遅らされていた」国家・国民形成の要求でもある。キムリッカの政治哲学から国家の概念的枠組みを援用すれば、先住民の求める国家形態は連邦制となるはずである。国家の制度形態の模索と並行して、先住民に対する「民族絶滅と文化絶滅」の歴史が、「遅らされていた」国家・国民形成の道徳的焦点になると予想される。国民は、原住民を排除した国民から、先住民を対等の民として包含する国民へと、組み換えられねばならず、そのためには<国民の歴史>の組み換えが課題となるだろう。
  • 内藤 暁子
    原稿種別: 本文
    2008 年 73 巻 3 号 p. 380-399
    発行日: 2008/12/31
    公開日: 2017/08/21
    ジャーナル フリー
    本論文の目的は、ニュージーランドにおける先住民族マオリと非先住民による国民創成を、ワイタンギ条約をめぐる社会的・政治的動向を軸に再考することにある。ワイタンギ条約はマオリに先住民族性をもたらし、かつ、ニュージーランドという国家の出発点ともなっているからである。まず、多様な解釈が可能なワイタンギ条約の概要とその位置づけの変遷を述べ、現代において再評価されたワイタンギ条約とその結果としてのワイタンギ審判所の活動に焦点をあてた。それはマオリ復権運動の現れでもある。また、現代のマオリ社会において特徴的な、都市マオリにみられるエスニック・アイデンティティのような汎マオリ的先住民族性、戦略的ネオトライバリズム、文化的ナショナリズムをとりあげ、マオリタンガ(マオリらしさ)の状況に応じた表徴の多様性を明らかにした。一方、主流社会における、前浜・海底問題を契機とする「一律の市民権」という主張は、「タンガタ・フェヌア(土地に属する者、すなわち先住民族)」という特別な位置づけを求めるマオリ側と鋭く対立した。以上の要件をふまえて、マオリとヨーロッパ系住民という二文化主義、および多文化的現実が進むなかでのナショナル・アイデンティティを考えるとき、「移民」「市民権」「二文化主義と多文化主義」という三つの要素が重要となってくる。また、ワイタンギ条約を現代に生かす道を選んだニュージーランドにおける二文化主義は、文化の尊重というレベルにとどまらず、条約のパートナーシップに則ったパワーシェアリングがめざされる。そして、「土地に属する人(タンガタ・フェヌア)であるマオリと、条約によって土地に住む人(タンガタ・トゥリティ)であるパケハとの共生」という考え方はニュージーランド国民創成の新たな指針となる可能性をもち、マオリとパケハのバイナショナリズムのコンテクストのうえに多様な移民たちを受け入れる素地となるだろう。
  • 窪田 幸子
    原稿種別: 本文
    2008 年 73 巻 3 号 p. 400-418
    発行日: 2008/12/31
    公開日: 2017/08/21
    ジャーナル フリー
    国家にとって過去の、特にその暴力の表象は、歴史についての語りの鍵となるものである。国家の成立にはいずれの場合も何らかの暴力がともなう。オーストラリアは歴史が新しく、先住民であるアボリジニに対する暴力の記憶も新しいだけに、過去についての表象は国家にとって特に大きな問題となってきた。この国では、アボリジニは、入植が始まってから長い間、歴史から排除されてきた。彼らが国家の歴史に登場するのは、ほんの50年ほど前のことにすぎない。それ以降、アボリジニとの「負の歴史」をオーストラリア国家がどのように扱うかについての議論が続けられてきた。本論では、アボリジニによる歴史の経験をとりあげ、彼らが国家的な主体を構築する中で発動された彼らのエイジェンシーに注目する。オーストラリア大陸北部地域のアボリジニは、20世紀初めからのキリスト教ミッションでの教育と生活をつうじて、どのような経験をしたのだろうか。国家と相関する彼らの歴史的経験として、キリスト教ミッション、戦争、土地権運動をとりあげ、アボリジニにとって、国家と交錯する歴史的経験とはなにを意味することなのかを考える。
  • 楊 海英
    原稿種別: 本文
    2008 年 73 巻 3 号 p. 419-453
    発行日: 2008/12/31
    公開日: 2017/08/21
    ジャーナル フリー
    社会主義者たちは「民族の消滅」を理想に掲げ、そのために闘争してきた歴史がある。中国共産党は文化大革命中に、彼らが得意としてきた暴力で以て「民族の消滅」を実現させようとした。内モンゴル自治区では、この地域が中国領とされたがゆえに、モンゴル人を対象とした大量虐殺事件が発生した。本稿は、中国文化大革命中の1967年末期から1970年初頭にかけて、内モンゴル自治区で発生した「内モンゴル人民革命党員大量虐殺事件」をジェノサイド研究の視点からアプローチしたものである。内モンゴル人民革命党は、モンゴル族の自決と独立のために、1925年にモンゴル人民共和国とコミンテルンの支持と関与のもとで成立した政党である。その後、日本統治時代を経て、第二次世界大戦後にモンゴル人民共和国との統一を目指したが、中国共産党によって阻止された。文化大革命中に「内モンゴル人民革命党の歴史は偉大な祖国を分裂させる運動である」と毛澤東・中国共産党中央委員会から断罪され、モンゴル人のエリートたちを根こそぎ粛清する殺戮が発動されたのである。本研究は、従来から研究者たちによって指摘されている「国民国家型ジェノサイド」理論に沿って、ジェノサイドと近代の諸原理とりわけ国民国家と民族自決の問題との関連性に焦点をあてている。国民国家たる中国からの統合と、その統合に反対して別の国民国家を建設しようとしたモンゴル人たちが大量虐殺の対象にされた経緯を分析したものである。「モンゴル人ジェノサイド」に社会主義中国の対少数民族政策の強権的、暴力的な本質が内包されている。
  • 太田 好信
    原稿種別: 本文
    2008 年 73 巻 3 号 p. 454-456
    発行日: 2008/12/31
    公開日: 2017/08/21
    ジャーナル フリー
  • 佐久間 寛
    原稿種別: 本文
    2008 年 73 巻 3 号 p. 457-460
    発行日: 2008/12/31
    公開日: 2017/08/21
    ジャーナル フリー
  • 野元 美佐
    原稿種別: 本文
    2008 年 73 巻 3 号 p. 460-463
    発行日: 2008/12/31
    公開日: 2017/08/21
    ジャーナル フリー
  • 李 善姫
    原稿種別: 本文
    2008 年 73 巻 3 号 p. 463-468
    発行日: 2008/12/31
    公開日: 2017/08/21
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 付録等
    2008 年 73 巻 3 号 p. 469-470
    発行日: 2008/12/31
    公開日: 2017/08/21
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 付録等
    2008 年 73 巻 3 号 p. 472-474
    発行日: 2008/12/31
    公開日: 2017/08/21
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 付録等
    2008 年 73 巻 3 号 p. 474-
    発行日: 2008/12/31
    公開日: 2017/08/21
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 付録等
    2008 年 73 巻 3 号 p. 475-476
    発行日: 2008/12/31
    公開日: 2017/08/21
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 付録等
    2008 年 73 巻 3 号 p. App2-
    発行日: 2008/12/31
    公開日: 2017/08/21
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 付録等
    2008 年 73 巻 3 号 p. App3-
    発行日: 2008/12/31
    公開日: 2017/08/21
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 表紙
    2008 年 73 巻 3 号 p. Cover3-
    発行日: 2008/12/31
    公開日: 2017/08/21
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 表紙
    2008 年 73 巻 3 号 p. Cover4-
    発行日: 2008/12/31
    公開日: 2017/08/21
    ジャーナル フリー
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