文化人類学
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81 巻, 3 号
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表紙等
第11回日本文化人類学会賞受賞記念論文
  • フィールドワークから民族誌へ、そしてその先の長い道の歩き方
    清水 展
    2016 年 81 巻 3 号 p. 391-412
    発行日: 2016年
    公開日: 2018/02/23
    ジャーナル フリー

    本稿は、横須賀の引揚者寮で生まれ育った私自身の生い立ちと、40年にわたりフィリピン・ルソン島の山地に住む二つの先住民社会、アエタとイフガオで行ってきた調査・研究を振り返り、フィールドワークから民族誌の作成にいたる経緯と舞台裏、そして民族誌の作成後も続く村の人々との関係について率直に語るものである。その目的は、私を踏み台として、若い世代の研究者が、明日の人類学のひとつの可能性を新たに拓いていってほしいと願っているからである。

    1970年代の末に私は、フィリピン・ルソン島西部のピナトゥボ山麓のアエタ(アジア系ネグリート)の村で20ヶ月のフィールドワークをした。山での暮らし方を何も知らない私を、彼らは親切に助けてくれた。さまざまなことを教えてもらい、おかげさまで博士論文が書け、就職もできた。そして1991年6月にピナトゥボ火山が20世紀最大級の規模で大噴火したとき、私はたまたま1年のサバティカル(研究休暇)でフィリピンに来ていた。博士論文のためのフィールドワークでお世話になったピナトゥボ山麓に住む友人知人らが、その噴火でいちばん深刻な被害をこうむったことから、私はアエタ被災者の緊急救援とその後の復興支援をする日本の小さなNGOのボランティアとなった。その経験によって私の人類学をするスタイルが大きく変わり、無我夢中というか、暗中模索の10年あまりを経て、応答する人類学を構想し提唱するにいたった。

    それは、フィールドワークをする現地で、そして帰国した後の日本(人類学者の国)で、それぞれのコミュニティが抱える問題や課題に積極的に関与し、その対処や改善、解決のために行動してゆこうとするものである。その際に二つの社会・コミュニティの差異と類似の両方に着目すること、つまり互いに異なる歴史発展経路と文化に支えられまた制約を受けている他者であると同時に、グローバル化の同時代を生きる同志でもありうることに着目することで、海を越えた新しい国際公共の可能性を拓こうとする企てである。

論文
  • インド、ムンバイにおける「二つの自己」をつなぐ市民の運動
    田口 陽子
    2016 年 81 巻 3 号 p. 413-430
    発行日: 2016年
    公開日: 2018/02/23
    ジャーナル フリー

    本稿は、反腐敗運動を通して、インド、ムンバイにおける「市民」の政治とはいかなるものなのかを論じる。2011年に「市民社会」が率いた反腐敗運動は、自らを「非政治的」であると位置づけ自由市場の論理を掲げることで、政治家の腐敗を糾弾した。この運動は「ミドルクラス」を中心に広く支持を集めた反面、左派知識人からは批判の対象となった。批判の論点の一つは、腐敗を糾弾する人々の身勝手さ、あるいは分裂した「二つの自己」に向けられた。

    反腐敗運動への支持と批判、そして「二つの自己」という説明は、インドにおける市民社会と政治社会の入り組んだ関係を反映している。そこで本稿は、マリリン・ストラザーンの「部分的つながり」とインド民族社会学の人格論を参照することで、市民社会と政治社会の関係に別の角度から焦点を当て、インドの市民運動を捉えなおすことを試みる。

    この目的のため、本稿では、社会科学者が現地の市民社会をめぐって展開する議論や、活動家や人気作家による市民運動の解釈も資料の一部とする。具体的には、腐敗の在り方と反腐敗運動の概観を示し、運動に対する知識人の批判を分析する。そのうえで、反腐敗運動に付随するさまざまな動きの事例として、ムンバイの市民による選挙運動、心理計測講座での腐敗についての議論、そして作家チェータン・バガトによるエッセイと小説を取り上げる。

    以上を通して、運動が腐敗の対極にある(経済的かつ関係的な)「自由」を目指しながら、再度腐敗と愛着のつながりの中に文脈化されていったことを示す。さらに本稿は、この運動において、腐敗と反腐敗という相いれないものを部分的につなげるために「個人的価値」というイメージが提示されていたことを指摘し、この「個人的価値」を通して、いかに「二つの自己」が一つの全体性に包摂されず独自の「市民」的なやり方でつなげられているのかを描く。

  • ある心身障害者の例にみる、「線」が切り開く生の新たな可能性について
    中谷 和人
    2016 年 81 巻 3 号 p. 431-449
    発行日: 2016年
    公開日: 2018/02/23
    ジャーナル フリー
    ミシェル・フーコーの生権力(生政治)論は、我々の生をとりまく今日の社会政治的布置を批判的に記述・分析するための有効な視座を提供してきた。しかし他方で、フーコー自身は、生がそうした特定の権力布置から絶えず「逃れ去る」ものであることも鋭く指摘していた。本論ではこの指摘を踏まえつつ、デンマークの障害者美術学校「虹の橋」に所属していた一人の男性生徒のドローイングに焦点をあて、その「線を描く」という営みが、いかに現在支配的なそれとは異なった生存の仕方(生き方)を可能とするかを追究していく。1980年代以降デンマークで進められてきた脱施設化の過程は、決して障害者の単なる「自由解放」ではなかった。むしろ、その延長線上に近年実施されたある全国プロジェクトの例から浮き彫りになるのは、かれらの自己決定や参加を、いかに 客観的で標準化された形式のもとで監視し、コントロールするかという問題である。そしてそのさいに活用される方法こそ、「監査」と呼ばれる新しい統治技法にほかならない。だが、自己と他者の統治、そして自らの生の形式化は、必ずしも監査の実践を通じてのみなされうるわけではない。そこで取り上げるのが、虹の橋に長年在籍しつつも、2012年に急逝したセアンという男性の事例である。先在する経験の模倣や再現ではなく、むしろ、その真の「所有」を通じて自己自身の変容へと向かうセアンの線描画制作、そしてその作品の中にたどられた「物語」に随うという他者の営みがつくりあげてきたのは、監査におけるそれとは根本から異なった、美学的でかつ倫理学的な自己の自己自身に対する関係、自己と他者のあいだの関係である。本論ではこれを、プロジェクトで作成される「図」と、セアンが描く「作品」との比較を通じて明らかにすることで、今日支配的な社会政治的布置の内部で「線」が切り開く生の新たな可能性について探究する。
特集 現代世界における人類学的共生の探究
  • コスモポリタニズムと在地の実践論理
    風間 計博
    2016 年 81 巻 3 号 p. 450-465
    発行日: 2016年
    公開日: 2018/02/23
    ジャーナル フリー
  • 中国西部における民族間の擬制親族関係
    シンジルト
    2016 年 81 巻 3 号 p. 466-484
    発行日: 2016年
    公開日: 2018/02/23
    ジャーナル フリー

    中国西部の内モンゴル自治区アラシャ地域では、モンゴル族と漢族は大きな葛藤もなく共に暮らし、一種の民族共生を実現している。それが可能になった理由としてまず考えられるのが、乾親という擬制親族関係である。アラシャの乾親関係は民族内部だけではなく、異なる民族間で結ばれることが期待される。多くの研究者は、民族間の乾親は民族境界を消失させ、民族共存を可能にする制度だと理解する。だが、その内部を吟味すると、民族間の乾親関係の締結はむしろ民族境界の存在を前提とし、締結によって民族境界が強化されることに気づく。

    乾親は、血縁関係のない他親族集団に子どもを帰属させれば、自親族集団に降りかかった不幸から子どもが守られるという論理に基づく実践である。乾親実践において、血縁は自他集団を境界づけており、血縁を基盤におく境界を越えること、積極的な自己の他者化が重要視されている。自己の他者化は民族間の乾親でもみられた。漢人にとって、モンゴル人は自分と血縁関係がなく、文化的にも接点がない。その他者性故に、モンゴル人は漢人から乾親になることが期待される。しかし、他者性を欲する乾親実践には、民族境界の消失を前提とする民族の共生は期待できない。

    民族の共生を考える上で重要なのは、モンゴル人にとって乾親は必ずしも魅力的ではないものの、それでも乾親関係の締結を望む漢人の要請を断れず受け入れる点である。彼らの認識では、万物に絶対的な幸運であるケシゲは遍在しながら増減もする。ケシゲを増やすべく、他者に対する否定的な言動は「エブグイ(不和)」と理解されやすい。エブグイを回避すべく、他者の要請をなるべく拒絶しないように配慮する。配慮の結果、漢人側の要請を受け入れる。この配慮は彼らの論理の産物だが、その論理に必ずしも共感しない漢人からは、「寛容」だと評価される。この寛容さこそ、乾親関係を超えたところに、共生という効果を生み出す。これが一地域社会における共生の実際である。

  • 柄木田 康之
    2016 年 81 巻 3 号 p. 485-503
    発行日: 2016年
    公開日: 2018/02/23
    ジャーナル フリー

    オセアニアの共同体オリエンテーションが顕著な公共圏の特質は、外部の批判者によって市民社会を欠くと批判される。他方、過度に規範化された公共性の概念自体が、オセアニアに限らず、サバルタン的公共圏を抑圧排除していると批判されてきた。この対立は、単一文化主義的国民統合と多文化主義的国民統合の対立を想起させる。多文化主義も文化の異なる中間集団を相互に媒介しえず、中間集団を統合するのは国家でしかないと批判されるのである。このような状況で、公共圏、国民統合の研究における人類学の貢献は、中間カテゴリーとしての公共圏の相互関係を民族誌的に特定することである。本稿では新興国家ミクロネシア連邦の中心島嶼に位置する主流派社会と少数 離島社会の在地の論理によって実践される共生の様態を報告した。

    ヤップ州の本離島関係には交易ネットワークの連鎖に基づく領域と、本島と離島をカテゴリーとして対比する領域が存在する。本島離島の二元化は第二次大戦後の米国信託統治の枠組みで生じ、独立後、離島出身公務員のアソシエーションの枠組みともなった。しかし交易ネットワークの関係はヤップ本島と離島という二元的なカテゴリーに変換されてしまったわけではなく、今日離島出身者のヤップ本島での生存戦略の中で流用されている。

    ポーンペイ州のカピンガマランギ人は、米国統治初期の農村入植プログラムを通じて、首長国の称号を獲得し、称号を与える祭宴を開くほどポーンペイ島の首長国に統合された。しかし行政主導の貨幣経済化が進行するにつれて、カピンガマランギ人は雇用機会、手工芸品販売を求め、他の民族集団と同様に孤立化した。しかし入植村の権利や首長国の称号は、放棄されることなく、保持された。 ヤップ州とポーンペイ州の双方で、近代政治体制の導入により、エスニックな差異に類する対立関係が形成されながらも、主流島嶼と少数離島の間では互酬性による共生が維持されているのである。

  • カナダ先住民サーニッチにとっての言語復興、アート復興、そして格差
    渥美 一弥
    2016 年 81 巻 3 号 p. 504-521
    発行日: 2016年
    公開日: 2018/02/23
    ジャーナル フリー

    本稿では、カナダにおける多文化主義政策の先住民への影響について、カナダのブリティッシュ・コロンビア州の先住民族、サーニッチを事例として検討する。そして、現時点において「多文化主義」がカナダ先住民にとって、社会的地位や経済的状態の改善に寄与している状況を評価する立場をとりつつ、先住民集団内においても、その受け取り方は複数存在することを指摘する。サーニッチの場合、多文化主義の政策を活用して経済的な自立をめざす人々と、従来の社会福祉政策に依存した暮らしを望む人々に大きく二分されているように筆者のような部外者には見える。

    多文化主義は、「言語」あるいは「アート」を守ってきた先住民に対し経済的後押しをしている。独立し た学校区が生み出され、学校が建設され、教員や職員としての雇用が生まれた。トーテム・ポール等の先住民アートは、非先住民の地域住民を対象に含む市場を創造し、その作品に対する注文は増加し続けている。このような先住民の経済的自立の背景にカナダの多文化主義が存在する。しかし、それは同時に、「言語」や「アート」を身につけた人々と、そうでない人々との間に経済的な「格差」を生む結果となった。

    かつて「白人」から銃火器などの「武器」を手に入れた集団と手に入れなかった集団との間で格差が生まれたように、サーニッチの間で「多文化主義」の恩恵を受けることができる人々と受けられない人々の間に格差が生じている。多文化主義においても、結果として主流社会との関係が先住民の運命を左右する決定的要素となっている。

    本稿はまずカナダの多文化主義を歴史的に確認する。次に多文化主義が先住民にとって持つ意味を考察する。そして、具体例として、筆者が調査を行っているサーニッチの事例を紹介しながら、多文化主義政策が先住民の人々の間に「格差」を生じさせている状況があることを指摘する。しかし同時に、現在のサーニッチはその「格差」を乗り越えて結束している。最後に、その彼らを結びつけているのは同化教育という名の暴力に対する「記憶」であることを明示する。

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