文化人類学
Online ISSN : 2424-0516
Print ISSN : 1349-0648
ISSN-L : 1349-0648
81 巻, 4 号
選択された号の論文の37件中1~37を表示しています
表紙等
論文
  • 東部スマトラ沿岸部の部族社会における周縁性と権力に対する態度
    大澤 隆将
    2017 年 81 巻 4 号 p. 567-585
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/23
    ジャーナル フリー
    本論は、スマトラ島東部に暮らすかつての狩猟採集民、スク・アスリの民族誌的記述を通して、部族社会における権力に対する態度についての考察を行うものである。近年、部族社会における国家体制からの逃避の歴史、すなわち「アナキストの歴史」に関する研究が進められている。しかしながら、彼らの周縁化されてきた歴史と現状における国家権力の拒絶と受容のアンビバレンスについては、明確な説明がなされていない。彼らが日常生活の中で行ってきた国家に対するコミュニケーションの忌避を「小さな逃避」と定義し、部族の国家に対する態度に関する分析を行う。 スマトラ東岸部に暮らすスク・アスリは、国家の支配者・従属者たる「マレー人」の概念のアンチテーゼとして周縁化されてきた歴史を持つ。結果、彼らは階層制の中で強い権力を持つ人々に対して怖れと気後れの感情を抱いており、日常生活においての接触を避ける。この「小さな逃避」は、国家支配内部での部族としてのポジションを再生産している。一方、過去のスルタンとの交流、現在の政府との交渉、そしてシャーマニズムのコスモロジーには、階層システムの中で強い権力を 持った存在への積極的な働きかけが認められる。このような働きかけは、相対的に権力を持つ存在との関係を調整・改善する役割を果たす一方、政府への働きかけはごく一部のリーダーによっての み行われている。 描写を通して明らかとなるのは、彼らの世界における権力の外在性である。彼らは、国家の階層的な権力構造を理解し、時として積極的に働きかける一方、その権力や階層制を内在化させることはない。したがって、周縁化されてきた部族社会におけるアナキズムは、国家の階層的な権力に対する拒絶や抵抗の実践ではなく、その権力を外部に認めながら、一定の距離を保つ態度として捉えることができる。
  • 在日朝鮮人家族のなかの日本人妻たち
    康 陽球
    2017 年 81 巻 4 号 p. 586-603
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/23
    ジャーナル フリー
    近年のエスニシティ研究において、国家やアクティビズム、メディアによって創出される言説や表象が、「エスニックな現実」の構成と変容において重要な役割を果たすことが指摘されてきた。とくに在日朝鮮人研究では、在日朝鮮人の民族的現実の変容における公共圏の役割が強調され、親密圏は社会や公共圏に従属的な領域であるととらえられてきた。そのため、在日朝鮮人研究をはじめとした近年のエスニシティ研究において、日常的な生活空間は、人々のエスニックな現実に変容をもたらす重要な拠点になるとみなされてこなかった。このような議論に対し本論文では、親密圏の政治性を主張する政治学者、齋藤純一の議論に依拠し、エスニックな現実の変容に対して日常的な共在関係が果たす役割を検討する。そのために本論文では、関西地方在住の、在日朝鮮人二世~四世と結婚した日本人女性14名(20代~60代)に行ったインタビューのなかから、公的な言説に親和的な民族認識をもっていた二人の日本人妻の事例を取り上げる。1970年代以降、日本の社会運動のなかで、在日朝鮮人の社会的排除に対する日本人の責任が問われてきた。二人の日本人妻はともに、「日本人の責任」を認識し、その認識を、在日朝鮮人である夫や夫の家族との関係のなかで実践してきた。多くのインフォーマントが、嫁や母として求められる役割を遂行することで、在日朝鮮人の家族やネットワークに包摂され、民族的差異に関する意識を希薄化させていたのに対し、二人にとって嫁や母の役割を遂行することは、在日朝鮮人と日本人の境界を家庭内で再生産することにつながっていた。しかし、このような二人の民族認識は徐々に変化する。本論文では、二人の民族認識の変容に、親密圏における具体的な他者との間に築かれる、共感や受容の関係が関わっていることを論じ、民族認識の変容における親密圏の重要性を主張する。
特集 薬剤の人類学―医薬化する世界の民族誌
  • 島薗 洋介, 西 真如, 浜田 明範
    2017 年 81 巻 4 号 p. 604-613
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/23
    ジャーナル フリー
  • 西ハンガリーにおける臨床試験の現場から
    モハーチ ゲルゲイ
    2017 年 81 巻 4 号 p. 614-631
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/23
    ジャーナル フリー
    臨床試験(治験)は、開発中の医薬品などを病人や健常者に投与し、新薬の安全性と効率性を評価する仕組みである。実薬と偽薬を比べる実験の場である一方で、病気を患っている人びとの苦痛を和らげるという臨床実践でもある。本稿では、ハンガリー西部にある小規模臨床試験センター(DRC)の事例を取り上げ、製薬をめぐる実験的状況に焦点を当てることで、もの・身体・世界を生成していく関係性の特徴を明らかにしていく。DRCは、1990年代前半に行われた市場開放以降、糖尿病と骨粗しょう症に関する研究と治療を中心に、外資系製薬企業と周辺の地方病院のネット ワークを徐々に拡大してきた研究病院である。そこで行われている臨床試験においては、新薬の効果によって実行(enact)される化学物質と身体と社会の間の三つのループが生成されている。まず、臨床試験の土台となる二重盲検法と無作為化法の実験的設定にしたがう実薬と偽薬のループが、新薬の効果を統計データとして生み出していくという過程がある(方法のループ)。次に、このデータがDRCと周辺の外来医院との連携を促す中で、薬を対象とする実験と、治療を受ける集団は組織化の中でループしていくことになる(組織化のループ)。さらに、多くの被験者の家族から血液サンプルを採集・保管するバイオバンク事業では、いわゆる「実験社会」における政治性を伴った治療と予防の相互構成が見えてくる(政治のループ)。本稿では、これらの三つのループを踏まえ、メイ・ツァンが人類学に導入した「世界化(worlding)」という概念を用いながら、医薬化に対する政治経済学的な批判を、薬物代謝の効果として捉え直すことを試みる。実験と治療の間の絶え間ないループを通じて新たな治療薬が誕生する過程に焦点を絞り、自然と文化の二項対立に対する批判的研究の視点から医療人類学への貢献を図る。
  • グローバルヘルスにおける薬剤と ガーナ南部における化学的環境について
    浜田 明範
    2017 年 81 巻 4 号 p. 632-650
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/23
    ジャーナル フリー
    2015年のノーベル医学生理学賞はアルテミシニンとイベルメクチンの開発に授与された。ノーベル財団がグローバルヘルスへの貢献を表彰したことは評価すべきことであるが、同時に、この受賞は、魔法の弾丸という薬剤観を強化する可能性も持っている。しかし、薬剤を開発すれば自動的に感染症が根絶されるわけではない。そこで本論では、イベルメクチンの集団投与と乳幼児に対するワクチン接種に焦点を当てながら、グローバルヘルスにおいて薬剤がどのように時空間に配置されているのかを化学的環境という概念を用いながら明らかにしていく。 薬剤の配置について分析する際には、空間的な広がりだけでなく、時間的な位置づけに着目する必要がある。ガーナ南部のカカオ農村地帯で活動している地域保健看護師たちは、イベルメクチンの集団投与の際には、科学研究に基づく薬剤と病原体の関係についての時間性と民族誌的知識に基づく人々の生活の時間性という2つの時間性を調整することによって化学的環境を改編している。彼女たちはまた、ワクチン接種の際に、自らを一定のリズムを刻む存在、つまり、化学的環境の一部として提示することにも成功している。このように地域保健看護師たちは、当該地域の環境に適応することと、自らを化学的環境の一部とすることという2つの方法を用いながら、化学的環境のリズムを作り出している。このようにして達成される環境への薬剤の配置は、環境についての認識に依拠しているだけでなく、環境を露わにするものでもあり、それを改編していくものでもある。 これらの議論を通じて、魔法の弾丸という薬剤観からの脱却を推し進めるとともに、時間性に注目することでこれまで空間的な配置にのみ焦点を当ててきた薬剤の人類学をアップデートし、薬剤について検討する際に化学的環境という概念が拓く可能性の所在を示すことが本論の目的である。
  • HIV流行下のエチオピア社会を生きる
    西 真如
    2017 年 81 巻 4 号 p. 651-669
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/23
    ジャーナル フリー
    本稿では、普遍的治療を掲げる現代のHIV戦略のもと、病とともに生きる苦しみへの関心と無関心が形成され、制度化されてきた過程について、エチオピア社会の事例にもとづき検討する。アフリカにおける抗HIV薬の急速な展開によって得られた公衆衛生の知識は、「予防としての治療」戦略として知られる介入の枠組みに結実した。この戦略は、アフリカを含む全世界ですべてのHIV陽性者に治療薬を提供することにより、最も効率的にHIV感染症の流行を収束させることができるという疫学的予測を根拠としている。エチオピア政府は国際的な資金供与を受け、国内のHIV陽性者に無償で治療薬を提供することにより「予防としての治療」戦略を体現する治療体制を構築してきた。にもかかわらず現在のエチオピアにおいては、病とともに生きる苦しみへの無関心と不関与が再来している。そしてそのことは、「予防としての治療」戦略に組み込まれたネオリベラルな生政治のあり方と切り離して考えることができない。本稿では治療のシチズンシップという概念をおもな分析枠組みとして用いながら、抗HIV薬を要求する人々の運動と、現代的なリスク統治のテクノロジーとの相互作用が、HIV流行下のエチオピアで生きる人々の経験をどのようにかたちづくってきたか検討する。またそのために、エチオピアでHIV陽性者として生きてきたひとりの女性の視点を通して、同国のHIV陽性者運動の軌跡をたどる記述をおこなう。この記述は一方で、エイズに対する沈黙と無関心が支配的であった場所において、病と生きる苦しみを生きのびるためのつながりが形成された過程を明らかにする。だが同時に、彼らの経験から公衆衛生の知識を照らし返すことは、現代的なHIV戦略が暗黙のうちに指し示す傾向、すなわち治療を受けながら生きる人々が抱える困窮や孤立、併存症といった苦しみへの無関心が、ふたたび制度化される傾向を浮かび上がらせる。
  • 東京のアトピー性皮膚炎患者の事例から
    牛山 美穂
    2017 年 81 巻 4 号 p. 670-689
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/23
    ジャーナル フリー
    本稿では、「生物学的シチズンシップ」の活動のひとつの事例として、東京のアトピー性皮膚炎患者にみられる脱-薬剤化の現象について論じる。アトピー性皮膚炎の標準治療においては、通常ステロイド外用薬が用いられるが、これが効かなくなってくるなどの問題を訴える患者が一定数存在する。しかし、こうした患者の経験は「迷信」に基づくものと捉えられ、既存の医学知のなかでは適切な位置づけがなされていない。そのため、一部の患者は標準治療に背を向け、脱ステロイド療法と呼ばれる脱-薬剤化の道を選択する。 薬剤を摂取すること、そして薬剤から離脱することは、薬剤の成分を体内に取り入れる、またはそれを中止するということ以上の意味をもつ。薬剤化および脱-薬剤化は、それ自体、生物学的-社会的な自己形成の過程でもある。薬からの離脱は、患者の知覚の仕方を規定し、価値観や判断に影響を与える。そして、そうした判断がさらに身体や価値観を変化させていく。 本稿では、脱-薬剤化の現象がどのように患者に経験されるのかをミクロな視点から描き出すとともに、患者の身体的な経験がいかなる知として位置づけられうるかという点について考察を行う。標準治療を行うにしても脱ステロイド療法を行うにしても、アトピー性皮膚炎治療は患者の身体と生活を巻き込んだ生社会における実験という形をとって現われる。本稿では、薬剤化が進行していくなかで出現してきた脱-薬剤化を試みる患者のあり方を、実験社会におけるひとつの「現れつつある生のかたち」として描き出す。
研究展望
  • 井上 淳生
    2017 年 81 巻 4 号 p. 690-703
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/23
    ジャーナル フリー

    This article aims to show what dance anthropology is and how it has appeared. Through that, it aims to open a space in which many anthropologists involved in the anthropological study of dance in Japan can share important related literature with each other.

    The subject of dance has long been very familiar to anthropology. The phenomena of dance can be seen all over the world, with the category of dance anthropology first appearing in Western academia in the 1960’s. Dance anthropology is a branch of the anthropological studies of dance that positions dance in a sociocultural context. It originated as a separate category with the American dance ethnologist, Gertrude Kurath.

    Among various kinds of dance research taking place out of anthropological interest, dance anthropologists have tackled such questions as ‘what is dance?’, ‘what are people doing when they dance?’, and ‘how can we capture the process of dance happening right now?’.

    Dance anthropology can be described as a field of dance research based on all the discussions and debates occurring since the time of Kurath, combining a culturally relativistic view of dance with a process-centered approach.

    Dance anthropologists currently conduct research on dance around the world using the Study Group on Ethnochoreology of the International Council for Traditional Music (ICTM) as well as the Congress on Research in Dance (CORD) as their bases.

    A noteworthy feature since the 1990’s has been the successive publication of several treatises on dance using ethnographic methodology. They are often described as “dance ethnography journals.”

    According to Theresa Buckland, a leading dance scholar, dance has gradually emerged from several disciplines: anthropology, sociology, folklore studies, performance studies and cultural studies. With the utilization of ethnographic methodology by dance scholars trained in each of those disciplines, key concepts of participatory- oriented methodology, such as ‘reflexivity’ and ‘embodied knowledge,’ have become more commonly used in dance studies than previously. For instance, Yasuko Endo, a leading Japanese dance scholar, has introduced Western dance anthropology to Japanese dance research. Since the 1980’s, she has worked with Jiryo Miyao, a theater scholar, to introduce those themes.

    Meanwhile, the efforts by ethnomusicologists to examine dance within music studies must also not be forgotten. In recent years, they have tended to focus on dance as an integral aspect of music more than they used to.

    Although few anthropologists in Japan know about the academic category of dance anthropology, it will become increasingly important for them to follow discussions in dance anthropology and participate actively in them.

資料と通信
書評
学会通信等
裏表紙等
feedback
Top