文化人類学
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82 巻, 1 号
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表紙等
特集 市場化・脱生業化時代の生業論―牧畜戦略の多様化を例に
  • 尾崎 孝宏
    2017 年 82 巻 1 号 p. 005-013
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/03/15
    ジャーナル フリー
  • モンゴル国牧畜民の世帯構成から
    上村 明
    2017 年 82 巻 1 号 p. 014-034
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/03/15
    ジャーナル フリー

    本論文は、家内生産活動として牧畜を営む世帯(以下、「牧畜世帯」と呼ぶ)を様々な関係が交差し束ねられている結節点ととらえ、モンゴル国における1990年代以降の市場経済化が、その多様な形態を生成してきたことを記述する。そして、市場経済化に適応する過程における牧畜民のアクターとしての性格を明らかにする。

    1990年代初めの牧畜協同組合の解体は、家畜飼育世帯を増加させ、牧畜世帯と居住集団の様々な形態を生み出した。また、郡センターなど定住地と牧畜の現場との間を往復する生活形式も定着させていった。しかし、家畜の頭数が増加するにしたがって、単独世帯が居住集団の大部分を占め、それとともに移動の手段としての車の必要性が増し、ゲルの縮小化が起こった。複数の世帯が持つ要素を加算することで、牧畜世帯と居住集団、そして協力関係の多様性が生み出される状況は終わり、牧畜世帯は、その理念型から何かを減算することで、変化に適応するようになった。

    牧畜世帯と居住集団の変化を見てくると、経済・社会的な条件が大きく作用していることは確かだが、具体的な世帯や居住集団が構成されるのには、些細ともいえる条件が決定的な役割を果たすことがある。つまり、生態的にも社会的にも予測できない条件が、重層的に絡みあって、牧畜世帯と居住集団のあり方が決定されるのである。そこには、閉じて定まった条件のリストがあるわけではない。移動牧畜は、単にバイオマスの変動に対して適応しているのではなく、生態的条件と社会的条件の間には相互に規定しあう複雑な過程が存在する。牧畜民は、状況に翻弄される客体でもなく、適応「戦略」の主体でもない。また、機会をうかがう「戦術家」のような存在でもなく、生態的、社会的条件が絡みあった環境がアフォードする何かを対話的・探索的に資源化するアクターと言える。

  • モンゴル牧畜社会における牧夫の自立
    辛嶋 博善
    2017 年 82 巻 1 号 p. 035-049
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/03/15
    ジャーナル フリー

    本論文ではモンゴル国の牧畜社会における牧夫が、新たに家族かつ牧畜の経営体をなした事例を提示し、企業家論と対比しながらその出現の特質の一端を明らかにしようとするものである。モンゴルの牧畜民社会は多くの場合家族を基礎として形成され、結婚に際して、あるいはそれを前提として実子や養子に家畜を分与することによって、次世代の再生産を行ってきた。この点でモンゴルの牧畜社会は家業と見なしうるが、牧畜社会における世帯の長、あるいは家長をアントレプレナーと見なす見解もある。またアントレプレナーを必ずしも会社を経営する者に限定する必要もない。本論文では新たに経営体を組織しようとする人と捉え、一見家業に見える牧畜の経営体が起業されるプロセスを分析する。

    モンゴルの牧畜民の社会においては、住み込みで牧畜民の世帯に暮らす牧夫がいる。多くの場合彼らは、親からの分与をほとんど期待することができない。そうした牧夫たちの中には、養子に準ずる形で家畜の分与を受けたり、対価として家畜を受け取ったり、また部分的にではあれ自ら家畜を手に入れることによって生活基盤を整え、結婚して牧畜の経営体を成し遂げるものも出現した。

    こうした過程において家畜の獲得の仕方には、実子などに対する分与に類する場合や労働の対価としての報酬に類する場合があるが、それらはモンゴルの牧畜社会において歴史的に行われてきたやり方を踏襲している部分がある。そのことは必ずしも牧夫たちのアントレプレナーシップを否定するものでない。実際、牧夫を経験した者すべてが牧畜の経営体を立ち上げることができたわけではない。アントレプレナーとしての牧夫は、脱生業的な状況を利用しながら自立に成功した。これは牧夫たちが選択した戦略の結果であり、ある種の起業と見なしうるべきものであり、脱生業化がもたらした結末のひとつのバリエーションである。

  • 家畜糞の多角的利用より
    風戸 真理
    2017 年 82 巻 1 号 p. 050-072
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/03/15
    ジャーナル フリー

    本論はモンゴル国の牧畜における家畜糞(以下、畜糞)の利用を事例とし、生業と産業の領域がどのように併存しているのかを議論するものである。モンゴル社会は1920年代からの社会主義化と1990年代からの市場経済化によって産業化されてきた。しかし、人類学者はモンゴルの家畜飼育を、産業社会の「畜産」や「酪農」と区別して「牧畜」と呼んできた。モンゴルの家畜飼育はなぜ「生業」的な「牧畜」とみなされるのだろうか。

    「生業としての牧畜」は、家畜を所有し、飼育する人びとが畜産物に依存し、これが文化諸要素と多面的に結びつく総合的な活動を意味する。ただし、現代の生業には「市場」や「商品化」の諸要素が混ざっている。モンゴルの家畜生産は社会主義期から現在に至るまで、商品化、産業化され、畜産物の多くが輸出産品となってきた。肉・乳・毛・皮革は工場で処理され、国内外に流通してきたが、人びとは家畜や畜産物を自家消費や贈与の領域でも用いてきた。その中でも畜糞は、国家統計年鑑に生産量や輸出量の記載がないことから、自家消費の度合いが強い畜産物であると考えられる。畜糞は、燃料・家畜囲いの材料・家畜管理の道具・畜産物加工の道具などとして基本的に自家消費されてきた。つまり畜糞は「産業社会」の周縁で、「生業」的な領域を形づくってきたのである。

    畜糞の利用をめぐっては、精緻な民俗知識に裏づけられた「共時的な多角性」と「通時的な多層性」、そして家畜の排泄物で家畜の世話をし、その畜産物を加工する再帰的な「家畜=畜糞関係」がみられた。さらに、畜糞の煙とその匂いは都市生活者を含むモンゴル人の思考の材料および牧畜生活の記憶の手がかりとして、アイデンティティーのよりどころとなっていた。以上から、モンゴルの牧畜は「生業」と「産業」の重なりの上に成り立っており、畜糞は文化に埋めこまれて「牧畜文化」を形成していることが示された。

  • 尾崎 孝宏
    2017 年 82 巻 1 号 p. 073-092
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/03/15
    ジャーナル フリー

    本論では、内モンゴルにおける遠隔地の牧畜民の牧畜戦略について検討した。現在のモンゴル高原での牧畜戦略は、都市に近い郊外では販売可能な畜産品の種類を増加させて現金収入を確保する一方、遠隔地においては家畜頭数の規模に依存して現金収入確保を目指している。いずれの地域も畜産品売却による現金収入を主目的に牧畜が行われており、生業性は低い。こうした傾向は2000年以降、グローバルな資本投下により都市部を中心にインフラ整備が進行するにつれて顕著となった。

    シリンゴル盟の牧畜民に関する比較からは、2010年現在の遠隔地の牧畜が、1990年代の同地域や現在の郊外事例と比較して経済的(家畜頭数)に余裕の少ないことが示唆された。

    また現在の事例データから収支構造を分析した結果、都市流出への閾値となる年間純収入を下回っていると思われる牧畜民も存在し、飼料にかけるコストにもよるが小家畜300頭以下の規模では十分な収入を得られないケースが散見された。また各種補助金の存在は収入源として無視できないが、補助金支給の根拠となる政策実施による家畜頭数の減少に対して完全な穴埋めとはなっていないことが明らかになった。

    干ばつや家畜売却額の低迷などのシミュレーションも行った結果、家畜価格が30%下落すると現在牧畜民として生活しえている層にも深刻な影響がある可能性が明らかになった。それでも彼らは牧畜セクタから積極的に退出せず、牧畜民であり続けようと努力するだろうことは想像される一 方現状の内モンゴルの郊外で行われているのとは違った形で収入の確保を図らなくてはならない。

    現在の内モンゴルでは、相対的に市場経済から遠い遠隔地草原の牧畜民ですら、市場経済の論理 が生業の論理を圧倒するような、つまり脱生業的な状況を生きているといえる。

    (View PDF for the rest of the abstract.)

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