文化人類学
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82 巻, 2 号
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表紙等
論文
  • アンデス高地ワイリャワイリャ共同体のE牧民世帯の事例から
    平田 昌弘
    2017 年 82 巻 2 号 p. 131-150
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/04/13
    ジャーナル フリー
    本稿では、アンデス高地のリャマ・アルパカ牧畜で搾乳がおこなわれなかった要因を検討するために、牧畜民のリャマ・アルパカ群管理、特に牧夫の母子畜間の介入について現地調査をおこなった。リャマ・アルパカの子畜の出産に際し、毎日の日帰り放牧を実現させるために、母子畜分離を実施するかどうかを検討した結果、母子畜分離を全くおこなわない、おこなう必要がないことが明らかとなった。その理由は、1)子畜が数時間で歩き始めるというリャマ・アルパカの身体特性、2)放牧の移動速度が遅いというリャマ・アルパカの行動特性、3)目的とする放牧地では家畜群はほぼ停滞しながら採食するというリャマ・アルパカの行動特性、4)放牧領域が狭いというリャマ・アルパカ群放牧管理の特性、5)放牧地の独占という所有形態に起因していた。更に、夜間の子畜の保護のための母子畜分離、子畜の離乳のための母子畜分離も全くおこなわれていなかった。リャマ・アルパカの母子畜管理の特徴は、母子畜は基本的には自由に一緒に過ごさせ、母子畜を強制的に分離していないことにある。「非母子畜分離-母子畜間の関係性維持」の状況下においては、母子畜間への介入は多くを必要としない。孤児が生じたとしても、牧夫の「家畜が死ねば食料になるという価値観」から、乳母づけもしない。母子畜間に介入の契機が生じないということは、搾乳 へと至る過程も生起し難いことになる。つまり、リャマ・アルパカにおいては搾乳へと発展していかなかったことになる。これが、牧畜民と家畜との関係性の視座からのリャマ・アルパカ牧畜の非搾乳仮説となる。リャマ・アルパカ牧畜では強制的に母子畜を分離しないことによる母子畜間の関係性維持、そして、催乳という技術を必要とするなどラクダ科動物の搾乳への行為に至る難しさが、搾乳へと向かわせなかった重要な要因と考えられた。
特集 グローバリゼーションと公共空間の変容
  • 岩谷 彩子
    2017 年 82 巻 2 号 p. 151-162
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/04/13
    ジャーナル フリー
  • ボンベイ・フラットと市民の活動からみた公共空間
    田口 陽子
    2017 年 82 巻 2 号 p. 163-181
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/04/13
    ジャーナル フリー

    本稿は、インド、ムンバイにおけるフラット(集合住宅)を単位とした市民活動を通して、公共空間の変容を再考する。近代西欧における自由で政治的な討議の場としての市民的公共性は福祉国家と文化産業の支配によって損なわれ、生権力の拡大によって公共空間の性質は変化したと議論されてきた。グローバル化と新自由主義が浸透したとされる現代社会でも、やはり公共空間の私有化と分断化が問題視されている。このように、今日の私たちの社会では「公と私」の枠組みやそこで想定されている西洋的な「市民」モデルに合わない現実がある一方で、公共空間での他者との共存を担保する公私の区分に倫理的な期待が込められてもいる。この状況を捉えなおし別の視点を提示するため、本稿は、植民地期以降「公と私」の問題に取り組んできたインドの事例から、西洋モデルと交渉しながら変化してきたローカルな空間規範と自他の関係を検討する。

    経済自由化の進展に伴い、インドの都市部では美化運動や反腐敗運動などの市民活動が興隆している。これらの活動は「新中間層」と呼ばれる市民が公共空間の排他的支配を強めるものとして批判されてきた。これに対して本稿は、新自由主義が一様に浸透するのではなく、異なる権力や管理の領域がずれを含みながら配分される中で、人々が概念や実践を再編していく様相に注目する。まず、西洋的な「公と私」を部分的に取り込んできたインドにおける「ウチとソト」の枠組みを分析したうえで、植民地期のボンベイで「ウチとソト」がどのように西洋式のフラットに組み込まれ人々の居住空間を変容させたのかを例示する。さらには2010年代のムンバイ市行政と市民のパートナーシップ事業を事例に、活動家の空間/自己認識を考察する。以上を通して、インドにおいては「公と私」が「ウチとソト」と結びつくことで異なる形で文脈化され、そこで生じるずれからウチとソトの交渉が繰り広げられていることを論じる。

  • 抗争空間論再考
    小川 さやか
    2017 年 82 巻 2 号 p. 182-201
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/04/13
    ジャーナル フリー
    グローバリゼーションや都市の近代化と深く関連したジェントリフィケーションやゲーテッドコミュニティの出現、非-場所的な空間の拡大により、都市公共空間をめぐるアクター間の緊張関係が問われるようになった。これを受けて、路上商人問題を、国家や路上商人、市民社会のあいだで路上という資源をめぐり「働く権利」、「公平な労働のための権利」、「通行/運送の権利」、「移送/賃貸権」、「管理・運営権」など様々な権利の拮抗として位置づけ、路上商人による組合化とそれを通じた集合的行為に注目する研究が台頭している。本稿では、これらの研究が期待するインフォーマルセクターによる組織化とは、既存の都市公共空間の管理運営に迎合的なかたちにインフォーマルセクターの経済実践を埋め込むことを目指すものであることを指摘し、タンザニアの路上商人マチンガによる組合形成の過程および組合運営の特徴を、現実の路上空間とパラレルに存在する「イ フォーマルな政治空間」の拡大としてみる視点を提示することで、路上商人が都市公共空間を管理・統制する国家と取り結び始めた新たな関係をめぐる先行研究の議論を再考する。
  • 高度経済成長期日本の過密の文化
    近森 高明
    2017 年 82 巻 2 号 p. 202-212
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/04/13
    ジャーナル フリー

    Underground shopping areas are distinctive environments built in many of Japan’s major cities in the 1950’s and 1960’s. This article seeks to delineate the logic and principles underlying the spatial formations of those facilities. A model description can be found in Rem Koolhaas’ famous book, Delirious New York, in which he retroactively reconstructed ‘Manhattanism’ by focusing on how a set of systematic principles work within the seemingly chaotic conditions of skyscrapers. Such principles are derived from the ‘culture of congestion’ of Manhattan, which were also observable in Japanese urban conditions in the 1950’s and 1960’s.

    Following Koolhaas’ reconstruction, this article introduces the concept of ‘undergroundism’ and reconsiders Marc Augé’s concept of ‘non-place,’ which is widely referred to in the context of how globalization has transformed the urban space. The concept of ‘non-place’ is convincing when it describes the spatial quality of shopping malls, airports and motorways, which are all spaces dealing with the flow of people and things. However, the concept’s limitations are revealed when one considers how it relies on the narrative of globalization. It can be demonstrated that there were spaces before the age of globalization that shared qualities in common with those described by Augé as non- place; one of those is the Japanese underground shopping mall.

    The first Japanese underground shopping facility was built in 1930. It is crucial to note that the facility was annexed to a subway station, which meant that it targeted the flow of people using the subway to attract potential customers. That fact captures the essence of the facility: namely, as an apparatus to transform the flow of traffic into one of consumption.

    In the 1950’s and 1960’s, when Japan experienced rapid economic growth, the underground shopping facility was incorporated into the basic scheme of urban redevelopment. During the days of urban redevelopment, major cities were suffering from the problem of congestion and permanent traffic jams. It was determined that the solution would be to develop underground spaces, which would not only realize the separation of pedestrians from vehicles, but also create an ideal vehicle-free shopping area in the city center. A paradigm was invented for that, enabling the scheme of building underground shopping facilities to spread rapidly throughout the country.

    An analysis of the underground shopping facility identifies the following characteristics: that they 1)are parasitic, 2)multiply themselves, 3)are self-confined artificial spaces, 4)rely on the digital order of urban space, 5)are apparatuses for transforming flows and 6)are ruled by the principle of probability. Those are the principles that constitute undergroundism, which can suspend the narrative of globalization underpinning Augé’s use of the term of non-place. They also enable us to reconsider the continuity and transformation of non-place-like spaces within the history of urban space.

  • インド、アフマダーバードの都市開発の事例より
    岩谷 彩子
    2017 年 82 巻 2 号 p. 213-232
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/04/13
    ジャーナル フリー

    本論文の目的は、グローバル化が進むインド、グジャラート州アフマダーバードの路上で取引される古着のフローから、インドの公共空間の生成的な側面について明らかにすることである。インドにおける公共空間の議論では、西欧社会における公私の概念とは異なる公共概念の存在やその公共性を担う主体をめぐる議論が中心であり、インドの公共空間は西洋的な公共概念を含みつつも多層的で、異なる主体の利害対立の場として描かれてきた。しかしグローバル化が進む現代インド社会において、そのような対抗的な公共空間の描き方は妥当なのだろうか。

    この問いについて、本論文では2つの異なる空間とそこから派生している〈道〉を対比させることで検討した。まずとりあげたのは、アフマダーバード旧市街の再開発の一環で移設されたグジャリ・バザールという日曜市である。再開発の結果、スラムを含み混沌としていた日曜市は、整然と管理されたグローバルな空間に変貌し、目的と利用時間を制限された「ゲーテッド・マーケット」化しつつある。もう1つは、アフマダーバード市内外から持ち込まれる古着とそれを取引する人により占拠された、同じく旧市街のデリー門前の路上である。ゲーテッド・コミュニティや中上流階層から集められた古着は、路上市を介して日曜市をはじめとする市内外の路上市や国外市場に流入し、古着を加工する新たなコミュニティの空間も生み出していた。路上市の公共性は、異なる階層やコミュニティ間の差異を媒介し、古着が変形しフローする〈道〉を様々な場所に現出させている点にある。グローバル化により変貌する都市空間とは一見対照的な路上市だが、両者は相互に影響を与え合い同時に成立している。ある地点がグローバルな秩序に組み込まれることになろうとも、 別の地点に新たな〈道〉が用意される。こうした潜在力にこそインド的な公共空間とそこで生きる人々のあり方が見出せるのである。

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