文化人類学
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83 巻, 4 号
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表紙等
論文
  • 現代ネパールの糖尿病クリニックを事例に
    中村 友香
    2019 年 83 巻 4 号 p. 515-535
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/05/12
    ジャーナル フリー

    近代医療は地理や経済、政治や文化など様々な地域的状況に結び付いて展開する。ネパールにおける近代医療は、1990年代後半以降、短期間に急速に展開してきた。近代医療は当該地域で暮らす人々にとって欠かせないものになりつつあるが、具体的にどのような地域的特徴を持ちながら展開しているのかについてはこれまでほとんど論じられていない。本稿では、ネパールの近代医療の臨床の場の状況を、病いの語りと南アジアのパーソンをめぐる議論を鍵に明らかにしようと試みる。

    これまでの病いの語り研究は、社会装置・権力装置としての近代医療を反省する形で発展してきた。ここでは、個別具体的経験をめぐる個人の語りが重視された。南アジアのパーソンをめぐる議論は、様々な宗教実践や社会実践の事例を通じて、切り離しが困難なつながり合ったパーソンという特徴を示してきた。

    本稿はこうした二つの議論を基に、内分泌科クリニックの待合室と診察室におけるやりとりを分析する。それにより、ここでは(1)病いの語りは間身体的関係を持つ家族らにも共有されており、(2)繰り返される語りを通じて、医師をもその関係に取り込もうとしていることを明らかにしていく。

  • メキシコ西部村落におけるカトリックの実践を事例に
    川本 直美
    2019 年 83 巻 4 号 p. 536-553
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/05/12
    ジャーナル フリー

    本稿の目的は、メキシコ西部村落におけるカトリックの実践を事例に、幼子イエスの像と信者の関わり合いに焦点をあて、儀礼だけでなく、神像を日常的に世話(ケア)するという制度化されていない信仰行為もまた神と信者の関係を形成する重要な営みであり、その関係は神聖さと親密さから成立していることを明らかにするものである。

    従来の中米の祭礼研究においては、像とは何かしらの意味を象徴するものであり、人間が一方的に意味づけする対象であった。そこでは像が象徴するものについての分析に主眼が置かれていたため、信者にとっての像の存在が十分に検討されているとはいえなかった。しかし本稿では、モノとそれが表象する存在という二重性に訴えることなく人と神像の関係を分析する。教義に則った儀礼だけでなく臨機応変的な関わり方である世話の実践によって、元は神霊の依り代であった像が、この像を身体とした代替不可能な幼子イエスという存在になっていく様子を描き出す。さらにそこからこの神像が体現する個別性と集合性が、一信者と神の関係のみならず、村落共同体の宗教実践を駆動するものとなっていることも明らかにする。

特集 ハラールの現代――食に関する認証制度と実践から
  • 山口 裕子
    2019 年 83 巻 4 号 p. 554-571
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/05/12
    ジャーナル フリー
  • オランダ在住インドネシア人ムスリムのハラール食実践と認識
    阿良田 麻里子
    2019 年 83 巻 4 号 p. 572-592
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/05/12
    ジャーナル フリー

    本稿は、イスラーム社会の周縁であるオランダに住まうインドネシア人ムスリムの食をめぐる実践に注目し、マイノリティとして人々がどのように生き、どのように考えや認識を変化させ、食のあり方を選び取っているのかを考える。

    食品加工技術の発展に伴う交差汚染や混入のリスク、東南アジアに端を発し世界各地へと波及したハラール認証制度の広がり、世界的なハラールフードビジネスブーム、ヨーロッパ全体を覆う移民流入によるイスラーム化や、これに抵抗する反イスラームの動きといったグローバルな流れの中で、オランダ国内では移民統合政策の実施により1990年代以降ムスリム移民の定住化が進んだ。特にここ10年は生鮮ハラール肉を売るトルコ人やモロッコ人の精肉店が台頭し、一般小売店にハラールコーナーが設置され、ハラールを標榜する外食施設が数・種類ともに増加するなど、ハラールフードの入手は容易になってきている。

    とはいえ、ムスリムが圧倒的多数派を占め、ハラール認証取得商品が当たり前に流通している母国インドネシアで考える「ハラール」やその実践と、ムスリムが少数派であるオランダにおいて考える「ハラール」や実践には、当然に大きな違いがある。オランダ在住インドネシア人ムスリムたちは、同国人同士あるいは他国からきたムスリムとの、また非ムスリムの同僚や隣人との交流を通して、さまざまな情報を入手し、意見を交わし、影響を与えあいながら、それぞれが実行可能な範囲で食のハラールを実践している。そして、近しい者同士では、共食や意見交換を行いながら、緩やかな合意を築き上げていく。

    オランダ在住インドネシア人ムスリムが食のハラールに関してもつ意識の多様性や変化の様相を明らかにし、多様性や変化を生む要因を分析することから、彼らにとってハラールな物を飲食したり提供したりすることや、食のハラール性そのものがどのような意味をもつのかを考えてみる。

  • 清真、ハラール、ムスリム・フレンドリー
    砂井 紫里
    2019 年 83 巻 4 号 p. 593-612
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/05/12
    ジャーナル フリー

    本稿の目的は、台湾を対象に、ムスリムが少数派を構成する社会においてムスリムと非ムスリムを取り込み展開するハラール認証制度と、制度を活用する事業者と消費者の動向を考察することである。他の非イスラーム地域と同様に、台湾でもハラール認証制度は、非ムスリムのハラール産業への参入を促進しており、その点で制度はムスリムと非ムスリムを架橋する。他方で台湾の中国回教協会のレストラン認証では、事業主がムスリムか非ムスリムかに応じてそれぞれムスリム・レストラン/ムスリム・フレンドリー・レストランと認証カテゴリーを分けている。このカテゴリーの分化は、ムスリムと非ムスリムの違いを可視化している。本稿ではまず、ハラール認証制度が自己と他者を連接し差異化するという両面性を有していることを指摘し、新たに創造された商品・料理やサービスがムスリムと非ムスリムを架橋しつつ弁別していることを明らかにする。従来、中国語圏のムスリムである回民は、ハラールを含意する語として清真(qingzhen)を用いてきた。人びとの生活の中の清真は、ムスリムにとって非ムスリムと自己とを弁別するアイデンティティの根幹となってきた。だが、近年のハラール産業に関わる場面では、清真はもっぱら「イスラーム法における合法」を意味するアラビア語のハラールの訳語として限定的に用いられるなど、清真とハラールの意味は、重なりながらもずれがある。他方で台湾の現代ハラール産業では、広く人と人との取引や相互行為において重視されてきた「誠信(誠実と信頼)」の精神や、食の選択肢の一つとしての「素食(ベジタリアン食)」、そうした食の対応にみられる「弾性(弾力性)」といった地域独自の価値観や食文化との接合もみられる。本稿では、台湾のハラール認証が、自己と他者を弁別しながらも、台湾独自の価値観を包摂しつつ、非ムスリム事業者、ムスリム団体、政府関係機関を巻き込み展開する動向を明らかにする。

  • 富沢 寿勇
    2019 年 83 巻 4 号 p. 613-630
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/05/12
    ジャーナル フリー

    本稿の主題はハラール産業を対象とした人類学研究の可能性と課題について、特にその監査文化の側面に焦点を当てて整理しておくことにある。まずハラール産業とは、ムスリムが消費可能な商品・サービスを提供するあらゆる産業分野の総称である。ハラール概念はイスラームの宗教的価値規範を土台としているが、生産者においても消費者においても、ムスリムと非ムスリムを巻き込むかたちで展開しているところに特徴がある。ハラール産業が人類学的に興味深いのも、ハラール(神に許されたもの)とハラーム(神に禁じられたもの)という価値規範を中心に、ムスリムと非ムスリムが相互作用しながら、日常の生産、流通、消費の諸側面におけるモノや行為の意味、経済やライフスタイルのあり方に関わる世界観を変容させつつある現象にある。したがってハラールをめぐる生産・流通・消費の過程を統合してアプローチしていくことが必要である。またハラール産業はハラール認証制度と連動しながら展開する傾向があり、その意味では人類学における監査文化研究の一環として位置づけ考察していくことが重要となる。ハラール認証制度を対象とした監査文化の人類学研究では、監査をする側、される側といった当事者のみならず、狭義の監査とは無縁の消費者にも視座を据え、同時にムスリム、非ムスリムにも総合的な光を当てて、監査文化の内面化の問題として探究することが肝要である。本稿では特に日本を中心とする東アジアの非イスラーム圏に波及しているハラール監査文化の受容と多様な在地慣行との組み合わさり方を比較考察した上で、人々の日常における行動のあり方のさまざまな脈絡における微視的研究を丹念に蓄積していくことの必要性を示す。最後に近年国内でハラール食への関心が食のダイバーシティへの関心へと拡大している現象を取り上げ、監査文化が新たな様相を示しながら展開していく可能性を指摘する。

研究ノート
  • ケニアのナロック県と日本の静岡県を繋ぐ人類学的教育実践の事例から
    湖中 真哉
    2019 年 83 巻 4 号 p. 631-641
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/05/12
    ジャーナル フリー

    This study proposes a new methodology in anthropological practice, to be described as the "global needs-sharing approach between the parties concerned" (henceforth "the approach"). It connects multiple remote points on earth without depending on the asymmetrical dichotomy between the investigator and informant, the donor and recipient, and so forth. The author explores the possibilities and potential of the methodology by examining the case of the project-ethnography known as the "e-satoyama project" (or simply "esp"), implemented from 2015 among undergraduate students in Shizuoka Prefecture in Japan and Narok County in Kenya. The project centered on the keyword satoyama, a Japanese term for "the area in which humans and nature interact."

    First, the author positions the approach with respect to preceding academic arguments in related disciplines on fieldwork and ethnography. He conflates four arguments on ethnographic methods through a critical examination of the following: (1) the critique of ethnography after the so-called "writing culture shock," (2) the tōjisha (Japanese for "the parties concerned") research movement in Japanese sociology and disability studies, (3) ulti-sited ethnography, and (4) participatory development studies. Second, the author illustrates the methodology through the e-satoyama project. Finally, the traits of the methodology are presented through reflections on the activities carried out in the project over the last four years.

    The outcome of the project has been published in the form of sightseeing maps and field guidebooks on wild animals, both in printed and online formats, to advocate the needs shared with the local people. The publication, which can be considered an "ethnographic leaflet," is designed as a significant product within a certain context relevant to the local communities, and is not intended to be a universal academic ethnography. Therefore, the ethnographic leaflet is not merely a leaflet version of the academic ethnography, but a form of "situated product" sharing the same meaning as "situated learning."

    (View PDF for the rest of the abstract.)

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