文化人類学
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83 巻, 1 号
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表紙等
論文
  • 秦腔の俳優教育の習得過程に注目して
    清水 拓野
    2018 年 83 巻 1 号 p. 005-024
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/02/24
    ジャーナル フリー

    本稿の目的は、中国伝統演劇・秦腔の習得過程におもに焦点を当てて、俳優教育が徒弟制からどのように学校化してきたか、という点を重層的に記述・分析することにある。

    従来の芸能教育関連の研究においては、徒弟教育で人材育成をする芸能の事例報告が多々みられ、学校化した芸能の事例を扱うものはごく限られている。その理由としては、研究対象とされている芸能が学校化していないから、または、学校にあまり関心をもっていない芸能研究者による事例報告が多いから、という点が考えられる。

    しかし、国をあげて人材育成してきた中国プロパガンダ芸術の場合、しばしば国営専門学校での教育が重視されてきた。とりわけ、秦腔では、中華人民共和国の建国前から中等演劇専門学校が存在し、複雑な歴史を歩みつつも、現在まで俳優養成において重要な役割を担ってきた。さらに、秦腔が2006年に国家レベルの無形文化遺産となってからは、権威ある教育機関として、後継者育成における国営学校の存在は、ますます欠かせなくなっている。秦腔のこうした現状を踏まえ、また近年の一部の芸能研究でも学校に関する記述が以前より増えつつあることも考慮に入れると、芸能教育の学校化について考察することは重要であると思われる。

    本稿では、秦腔俳優教育における徒弟教育時代から現在までの歴史的変遷過程をまず詳述し、学校化が芸の習得過程というより実践的な次元にいかなる影響をもたらしているかを明らかにする。そして、学校化について取り上げる諸研究と比較しながら、秦腔俳優教育の学校化の特徴をより広い文脈において浮き彫りにし、この文脈における芸能教育の学校化とはどのようなものかという基本的な問いを考察する。最後に、それを踏まえて、本稿が芸能教育や文化遺産の人類学的研究に対してもつ意義を示したい。

  • パプアニューギニア・アベラム社会における月経処置法の変遷から
    新本 万里子
    2018 年 83 巻 1 号 p. 025-045
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/02/24
    ジャーナル フリー

    本稿は、モノの受容を要因とするケガレ観の変容を、女性の月経経験に対する意識とその世代間の違いに着目して明らかにすることを目的とする。パプアニューギニア、アベラム社会における月経処置の道具の変遷にしたがって、月経期間の女性たちがどのような身体感覚を経験し、月経期間をどのように過ごしているのかについて民族誌的な資料を提示する。その上で、月経を処置する道具を身体と外部の社会的環境を媒介するものとみなし、そこにどのような意識が生じるのかを考察する。これまで、パプアニューギニアにおいて象徴的に解釈されてきた月経のケガレ観を、女性たちの月経経験とケガレに対する意識との関連という日常生活のレベルから捉え直す。

    本稿では、月経処置の道具の変遷にしたがい、女性たちを四世代に分類した。第一世代は、月経小屋とその背後の森、谷部の泉という場で月経期間を過ごした世代である。第二世代の女性たちは、布に座るという月経処置を経験した。この世代は、月経小屋が土間式から高床式に変化し、さらには月経小屋が作られなくなるという変化も経験している。第三世代は、下着に布を挟むという月経処置をした女性たちである。第四世代は、ナプキンを使用した女性たちである。各世代の女性たちの月経経験とケガレに対する意識との関係の分析を行い、第一世代の女性たちは、男性の生産の場から排除される自分の身体にマイナスの価値づけだけをしていたのではなく、むしろ男性の生産の場に入らないことによって、男性の生産に協力するという意識をもっていたことを明らかにする。第二世代、第三世代を経て、第四世代の女性たちは、月経のケガレに対する意識を維持しながらも、月経期間の禁忌をやり過ごすことができるようになったことを論じる。

特集 現代消費文化を捉える人類学的視点の探求
  • 現代的な「消費の人類学」の構築に向けて
    小川 さやか
    2018 年 83 巻 1 号 p. 046-057
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/02/24
    ジャーナル フリー
  • ラオス南部ボーラヴェーン高原におけるコーヒーの取引からみる倫理的消費
    箕曲 在弘
    2018 年 83 巻 1 号 p. 058-077
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/02/24
    ジャーナル フリー

    本稿はラオス南部のコーヒー栽培地域であるボーラヴェーン高原において、民衆交易という理念を掲げて現地の農協からコーヒーを買い付ける日本の輸入会社と農協の関係に焦点をあて、一般の取引とは異なる独自の仕組みを構築しながら、倫理的消費市場を形成していく様子を明らかにする。この形成過程を通じて、次の二点を指摘する。第一に、消費文化は、まさにモノが消費される現場においてのみ成立するのではなく、生産や流通といった消費の外側にあるとみられていた要素と重なり合いながら成立しているのであり、社会的公正や環境配慮を求める倫理的消費者の集合的な欲望が生産や流通体制を再編する力になるということである。第二に、サプライチェーンの一方の端に統合される生産者の領域では、このような倫理的消費者の欲望に応じるために公的機関や民間団体が進める取引における透明性の追求が不確実性を伴うものであり、この不確実な領域を残存させておくことによって倫理的消費市場が維持されているということである。本稿では倫理的消費という現象を、あえて生産や流通の現場から観察することにより、その特性がいかなるものなのかを検討する。

  • カトマンズの観光市場、タメルにおける宝飾品取引から
    渡部 瑞希
    2018 年 83 巻 1 号 p. 078-094
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/02/24
    ジャーナル フリー

    ネパールの首都カトマンズの観光市場タメルで宝飾品を買い求めるツーリストは、小売商人の売る宝飾品の品質や価格の妥当性に懐疑を抱いたり、小売商人のホスピタリティに溢れたサービスに詐欺行為を感得したとしても消費欲を抱き続けることがある。本稿の目的は、小売商人とツーリストの取引過程を事例に「なぜ人は商品の価値やサービスの内容に疑いをもった場合でも消費欲を維持し続けるのか」という問いを人類学的に考察することである。この問いを考察するために本稿では、小売商人がツーリストとの取引に持ち込む親密さの表現、フレンド(友人)に着目する。

    友人は、互恵的な利他性によって特徴づけられるものと歴史的に捉えられてきた。そうした利他主義的な性質が疑われたり否定されることで、そのつど理想化された「本当の友人」が友人を意味するものとして形づくられてきた。この懐疑と否定により、友人が利他的か利己的か、本物か偽物かについて決定不可能な仮面(face)と化していること、詐欺の疑いを抱きつつも特定の売り手から買うことにこだわる消費が友人の仮面に向けられることを主張する。具体的には、タメルの宝飾店で働く小売商人の見せるフレンドの仮面がツーリストによって疑われ否定されることで、ツーリストが騙されている可能性を知りつつも消費欲を抱き続ける状況を民族誌的に記述していく。

  • ナイジェリア・ラゴス州における数字宝くじをめぐる人/数字のインタラクションに着目して
    荒木 健哉
    2018 年 83 巻 1 号 p. 095-112
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/02/24
    ジャーナル フリー

    本稿はナイジェリアのラゴス州において、数字宝くじを購入する人々が宝くじの購入(消費)を余暇活動や娯楽ではなく、他の生計活動とは異なる独自の労働や仕事とみなす論理を、宝くじの当せん番号の予想をめぐる実践に着目して明らかにすることを目的とする。ギャンブルを対象とした人類学的研究では、不確実性の高い状況下において人々は生活のあらゆる側面を経済活動の領域に位置づけることが指摘されてきた。ナイジェリアにおいても宝くじを購入する人々は、生計多様化戦略の1つに宝くじの購入を位置づけている。しかし、その他の生計活動と宝くじでは、前者における不確実性が社会関係に起因しがちなのに対し、後者は最小限の人為性しか介入せず、ある種の公正さを伴う純粋なチャンスのゲームであることが異なっていた。他方で興味ぶかいことに、宝くじの購入者たちは、宝くじの幸運は受動的に降りかかってくるものではなく、一定の技術により主体的に獲得できるものだとみなしていた。本稿では、この予想をめぐる実践を検討し、彼らが予想の技術を何らかの認識論的な枠組みにおいて解釈せず、ただ<存在する>とみなすことを通じて希望を創造/贈与することを論じる。そこから宝くじの消費実践を生計実践=仕事に埋め込む論理を探る。

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