本稿の目的は、中国伝統演劇・秦腔の習得過程におもに焦点を当てて、俳優教育が徒弟制からどのように学校化してきたか、という点を重層的に記述・分析することにある。
従来の芸能教育関連の研究においては、徒弟教育で人材育成をする芸能の事例報告が多々みられ、学校化した芸能の事例を扱うものはごく限られている。その理由としては、研究対象とされている芸能が学校化していないから、または、学校にあまり関心をもっていない芸能研究者による事例報告が多いから、という点が考えられる。
しかし、国をあげて人材育成してきた中国プロパガンダ芸術の場合、しばしば国営専門学校での教育が重視されてきた。とりわけ、秦腔では、中華人民共和国の建国前から中等演劇専門学校が存在し、複雑な歴史を歩みつつも、現在まで俳優養成において重要な役割を担ってきた。さらに、秦腔が2006年に国家レベルの無形文化遺産となってからは、権威ある教育機関として、後継者育成における国営学校の存在は、ますます欠かせなくなっている。秦腔のこうした現状を踏まえ、また近年の一部の芸能研究でも学校に関する記述が以前より増えつつあることも考慮に入れると、芸能教育の学校化について考察することは重要であると思われる。
本稿では、秦腔俳優教育における徒弟教育時代から現在までの歴史的変遷過程をまず詳述し、学校化が芸の習得過程というより実践的な次元にいかなる影響をもたらしているかを明らかにする。そして、学校化について取り上げる諸研究と比較しながら、秦腔俳優教育の学校化の特徴をより広い文脈において浮き彫りにし、この文脈における芸能教育の学校化とはどのようなものかという基本的な問いを考察する。最後に、それを踏まえて、本稿が芸能教育や文化遺産の人類学的研究に対してもつ意義を示したい。
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