文化人類学
Online ISSN : 2424-0516
Print ISSN : 1349-0648
ISSN-L : 1349-0648
83 巻, 3 号
選択された号の論文の27件中1~27を表示しています
表紙等
論文
  • ナミビアの土地改革と慣習法の明文化
    宮本 佳和
    2018 年 83 巻 3 号 p. 337-357
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/05/12
    ジャーナル フリー

    本稿の目的は、ナミビアの牧畜民ヒンバとヘレロの放牧地争いに焦点をあて、いわゆる伝統的権威の土地争いへの関与の仕方を、高等裁判の判決と実際の追い出しの事例を用いて明らかにすることである。1990年代以降のアフリカ諸国では、土地利用者の権利安定を目的とした土地改革がおこなわれ、それまで曖昧であった慣習地の権利を明確化する動きがある。先行研究では、植民地支配期に創設された伝統的権威が土地に関する権限を国家法によって認められるがゆえに影響力を保持していることが指摘されてきた。特に南部アフリカにおいては、アパルトヘイト期の間接統治政策の経験と、その後の「ホームランド」の統合という問題が、民主主義との関係から論じられてきた。それに対して本論文で提示する事例から明らかになるのは、伝統的権威の土地への「権限」が国家法での承認だけではなく、土地改革と同時期に導入された「コミュニティ・ベースの自然資源管理(CBNRM)」という新たな概念と結びつき、野生動物の保全をおこなう土地区分の中にも間接的に保持されている実態である。国家法によって認可された彼らの権限は、マイノリティの人権保護といった新たな権利によって当事者を擁護する状況においては弱まる傾向にあり、国家に内包されているがゆえに規制を受けやすいものである。一方、保全地区に関わる「権限」は、伝統的権威自身がコミュニティの一員であるため、規制を回避することが可能となっている。本稿では、こうした直接的、間接的に土地に関する「権限」を有する伝統的権威が放牧地争いにいかに関与しているのかを検討することを通して、近代国家であるナミビアが伝統的権威をいかに扱うか模索している現状を考察する。

  • 近代呪術概念の定義と宗教的認識
    髙山 善光
    2018 年 83 巻 3 号 p. 358-376
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/05/12
    ジャーナル フリー

    これまで呪術を説明すると考えられてきた「類似」は、認知科学の発展によって、普遍的な認知機能の一つであることが明らかにされ、呪術に限定されるものではないということがわかってきた。このため、呪術の知的世界の特徴を理解するためには新たな理論が必要であり、この新しい理論の形成に向けて、「思考の現実化」という考えを私は以前提出した。本論では、この「思考の現実化」という理論を深めることで、近代「呪術」概念の定義の問題を乗り越え、新しく「呪術」を定義してみたいと考えている。近代呪術概念の特徴は包括性にあり、その包括性は、「呪術」が宗教的認識によって現実化された推論を意味しているということに起因していると主張したいと思う。

    近年の呪術概念に関する議論は、大きく二つの潮流に分けることができる。まず一方には、この近代的な呪術概念を放棄すべきだと考える研究者がいる。そして他方で、やはり保持すべきだと主張する研究者がいる。本論ではまず、この矛盾は、前者の研究者が、近代的な呪術概念の包括性に対する理解を欠いていることに起因しているということを論じた。そして次に、この包括性は、「呪術」が推論という普遍的な要素を指しているということに関係があると議論した。

    しかし、この呪術的な推論には、宗教的である一方で、科学的にも判断されるというさらなる問題がある。この問題を解くために、次に、宗教的認識という独自の理論を用いた。結論として、私は、近代的な呪術概念は、この宗教的認識によって現実化されている推論のことを指している概念だと結論づけた。そのために、呪術は、宗教的認識あるいはその推論的な側面のどちらに注目するかによって、宗教的にも、科学的にもなり得ると論じた。

特集 インフラを見る、インフラとして見る
  • 木村 周平
    2018 年 83 巻 3 号 p. 377-384
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/05/12
    ジャーナル フリー
  • インドネシアにおける廃棄物堆肥化技術をめぐって
    吉田 航太
    2018 年 83 巻 3 号 p. 385-403
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/05/12
    ジャーナル フリー

    本論文は、インドネシア東ジャワ州スラバヤ市で日本人技術者が開発した廃棄物堆肥化技術の事例を通じて、インフラ/バウンダリーオブジェクトというテクノロジーの二つのモードの差異を明らかにするものである。スーザン・L・スターのインフラストラクチャーの議論はバウンダリーオブジェクト論と連続性があり、前者は後者の発展型とされる。しかし、両者の間には解釈の対象としての象徴と、実践の対象としての道具という断絶が存在しており、インドネシアでの開発事業で 新たに誕生した生ゴミ堆肥化技術の事例の分析からこのことを明らかにする。スハルト政権崩壊後に発生した埋立処分場の反対運動をきっかけに、スラバヤ市は深刻なゴミ問題に悩まされた。これに取り組む開発プロジェクトが開始され、日本人技術者が開発したコンポスト手法がひとつのテクノロジーとして結実するに至った。このテクノロジーはスムーズに開発に成功したが、その後のインフラ化で困難に直面している。この事例から、スター的な協働のネットワークが長期の時間性に耐えなければならないという問題を抱えていること、テクノロジーが確固とした象徴的価値を獲得しなければならないことを議論する。

  • 難波 美芸
    2018 年 83 巻 3 号 p. 404-422
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/05/12
    ジャーナル フリー

    ラオスの首都ヴィエンチャンでは、1990年代から、開発援助による首都の都市開発が本格化し、都市景観が大きく変わってきた。だが、その開発は局所的であり、舗装道路や堤防などの近代的な構造物が外国人や海外メディアに触れるエリアに集中して建設されている。こうした構造物を、インフラに備わっているとされる「本来の」役割を持続的に果たすよりも、ラオスが近代化したふりをするための表面的なものだとして否定的に捉える解釈は、先進国出身の外国人などからよく聞かれる。このような「表面的」とされるインフラ整備を、いわば擬似的な近代化でしかないとする見方の背後には、自他を差異化しようとする意図、あるいは類似への拒絶という他者化の問題を見出すことができる。このような他者化の問題には、アフリカ都市部の植民地状況における模倣の実践と、それに対する当時の植民地行政官や人類学者による解釈と類似した構造が見られる。本稿では、このような人類学における古典的な問題を現代の開発援助の文脈から検討していく。一見、非合理的なインフラのあり方を、差異化の道具とすることなく、それが生み出す効果を理解するため、本稿では、ラオス側が進めるインフラ整備を「インフラストラクチャー・フェティシズム」という概念を通じて理解することを試みる。それによって、この極めて可視的なインフラの呪物的な側面と、世界と繋がる媒体として働く機能的側面が表裏一体となって、どのように開発現場の現実を作り出しているのかを考察し、開発援助によるインフラ整備の一つの様態を描き出すことを試みる。

  • ネパール・ソルクンブ郡クンブ地方、山岳観光地域における「道」と発展をめぐって
    古川 不可知
    2018 年 83 巻 3 号 p. 423-440
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/05/12
    ジャーナル フリー

    ネパール東部、エベレストの南麓に位置するソルクンブ郡クンブ地方は、著名な山岳観光地である。シェルパ族の人々が住むこの地域には、年間三万人以上の外国人観光客が訪れる。険しい山岳地帯であるクンブ地方では、山道はしばしば天候変化によって消失する一方、人々は麓の車道から山頂のロープに至るまで一括して「道」と言及する。本稿の目的は、こうした山道をインフラストラクチャーの観点から分析することである。

    まず第Ⅰ章にて本稿の射程と概要を示したのち、第Ⅱ章では道とインフラをめぐる人類学の議論を概観する。

    続く第Ⅲ章ではエベレスト地域の歴史を確認する。エベレストを擁するクンブ地方の山道は、シェルパ族の移住の道から交易路を経てヒマラヤ探検の道となり、現在は観光の道となった。現在の山道は、シェルパ族の人々や社会とセットになることで世界各地から訪れた観光客が高山中を移動することを可能とし、また観光に依存する地域の生活を支えている。

    第Ⅳ章では山道をめぐる人々の実践と語りを、ネパール語の「道」および「発展/開発」の概念に焦点を当てながら取り上げる。そのうえでエベレスト地域の山道の場合には、インフラについての一般的な議論とは異なり、完全に意識に上らないほどの透過性に達するのではなく、かといって容易に通行を許さないほど困難な対象として直面するのでもない、半透過的な状態を保つことがインフラたる要件であると指摘する。

  • 高橋 五月
    2018 年 83 巻 3 号 p. 441-458
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/05/12
    ジャーナル フリー

    原発事故から7年が経過した福島は「未来」に関する語りで溢れている。実際には、福島の未来を事前に知ることは誰にもできない。しかし、それでも(もしくは、だからこそ)人々は盛んに未来について思い描き、予測し、期待し、交渉する。本稿では、現在の福島に存在するたくさんの「未来」の中から、福島県沖に浮かぶ洋上風力発電設備「ふくしま未来」に注目し、「インフラストラクチャー」を手がかりとして、文化人類学的立場から未来について批判的に考える。

    福島沖浮体式ウィンドファームプロジェクトは、東日本大震災からの復興事業の一環として発動し、民間企業と大学から成り立つコンソーシアムが経済産業省から委託を受け運営している。コンソーシアムによると、この新しいエネルギーインフラは日本の未来、福島の未来、そして漁業の未来を切り開くという。しかし、2013年に開始したこのプロジェクトは現在も進行中である一方で、今後中止される可能性が高いとされる。本稿の目的は、福島原発事故後に出現した未来に関する語りをもとに、現行する近代化論の枠の中で反復的に生成される未来主義の問題点を明らかにし、未完成インフラの議論を参考にしながら未来主義とは異なる新しい未来の可能性を模索することである。

  • 流雪溝をめぐる協働性の再構築
    小西 信義
    2018 年 83 巻 3 号 p. 459-468
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/05/12
    ジャーナル フリー

    A "snow-flowing gutter" is a system for treating snow that is unique to Japan, in which roadside gutters, installed for river water or treated sewage, are used to transport snow dumped into it away to a river. Snow shoveled off from walkways or roadways and piled onto the roadside needs to be manually dumped into the gutters by residents for it to be continually treated.

    The snow-flowing gutter is thus a type of social infrastructure necessary for people's daily lives, requiring human labor and the cooperation of road administrators to be effectively used. It differs from other snow-treatment methods insofar as the infrastructure calls for residents to cooperate in operating the system, as it can function only when the whole community uses it. Cold, snowy weather has historically consolidated relations among residents using the facility. Now, however, such communities face the problems of aging and the degradation of the snow-flowing gutters, creating a crisis in the snow-treatment system.

    From an anthropological standpoint, the cooperation of the community required to use the gutters can be treated as an issue of development anthropology.

    Though the cooperation by the community members is overwhelmingly accepted as a concept supporting bloated municipal services, development anthropology actively discusses the issue in two ways: either affirmatively by those trying to find new meaning in its concept, or negatively by those concerned about its adverse effects on regional development.

    (View PDF for the rest of the abstract.)

研究展望
  • 声の文化と文字の文化の大分水嶺を越えて
    梶丸 岳
    2018 年 83 巻 3 号 p. 469-480
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/05/12
    ジャーナル フリー

    Ong's seminal book Orality and Literacy has deeply influenced cultural anthropology and other cultural studies in Japan, though some of the works citing his book did not place such a high value on the academic context and the severe criticism on his and his colleagues' works. This review introduces the context of Orality and Literacy, the development of a research field called "New Literacy Studies," and suggests a vision for future orality studies.

    From the outset, research on orality and literacy has been an interdisciplinary topic. Parry and Lord were two of the earliest scholars who noticed a distinct linguistic style in oral tradition. Influenced by their research, Havelock argued that there was a great transition from oral to literate culture in ancient Greece during the time of Plato, whose theory of ideas, he said, was the outcome of 'literate culture.' While that research focused on Western culture, Goody expanded its focus to "primitive" non-literate cultures, insisting on the contrastive nature between orality and literacy. A similar discussion was also seen in research on intercultural comparative psychology by Greenfield and Olson. Of course, McLuhan's media study also exerted a prevailing influence on the topic. Ong's Orality and Literacy can be seen as one of the clearest summaries of the various works on orality and literacy, with some vision to further studies of electronic media.

    (View PDF for the rest of the abstract.)

資料と通信
書評
学会通信等
裏表紙等
feedback
Top