文化人類学
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85 巻, 4 号
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表紙等
第15回日本文化人類学会賞受賞記念論文
  • 「連想の火」を熾すもの
    上橋 菜穂子
    2021 年 85 巻 4 号 p. 583-601
    発行日: 2021年
    公開日: 2021/07/06
    ジャーナル フリー

    本稿は、自らの物語執筆の過程をふり返り、文化人類学を学んできたことが、物語執筆と、どのように関わっているかを明らかにしようと試みたものである。

    文化人類学と出会い、学び続けてきたことは、物語執筆に大きな影響を与えているはずだが、私はこれまで、そのことを、きちんと考えてみたことはなかった。学会賞をいただいたことを機に、初めて、真剣に自らの物語執筆と文化人類学の関係を考えてみたのだが、自分の思考の流れを追う作業は、近づくと消える逃げ水を追うようなもので、明らかにできなかった部分も多い。私にとって物語は「生み出すもの」であると同時に「生まれてくる」ものでもあり、執筆の過程には意識して行っている部分だけでなく、「自分の脳がなぜこういう動き方をしているのかわからない」と感じる部分が含まれているからである。

    ただ、物語が生まれるきっかけとなる「いきなり頭に浮かぶ映像」が、実際の執筆に結びつくのは、特殊な「連想」が生じたときであり、火がついたように一瞬で広がっていくその「連想」には、私が文化人類学を学び、フィールドワークをしてきたことが深く関わっていることが見えてきた。人間の脳が物語を生み出す、ある意味普遍的な創作の過程に、個人の経験がどのように関わるか、わずかでも明らかにできているようなら幸せである。

原著論文
  • 民営の知的障害児教育支援センターを介した「つながりの回復」
    奈倉 京子
    2021 年 85 巻 4 号 p. 602-622
    発行日: 2021年
    公開日: 2021/07/06
    ジャーナル フリー

    中国では、2000年以降、市場化・グローバル化とともに、障害者に関わる制度や社会環境が政府によって整備され始め、加えて、欧米よりソーシャルワークの概念が輸入されたことにより、社会福祉全般への関心が高まっている。だが、当事者(障害のある人とその家族)や障害のある人々を支える現場の支援者にとって、こうした政策や社会変化はどのように作用しているのだろうか。他方で、2000年以降の中国における社会変化に着目した閻雲翔は、面識のない個人が志を同じくする他者と知り合い、家族や階層を超えて社会関係を築ける社会の性質を「新しい社会性」と定義した。だが、その内実は検証されていない。実際に、中国で障害のある子をもつ親が、家族や社会階層を超えて、他者と支え合いのネットワークを築くことが可能だろうか。

    こうした問題意識のもと、本稿では、2000年以降の中国のポスト社会主義的状況の中で立ち上げられた「機構」の実証的な分析を通して、個人と国家の間の中間的領域/組織の内実を明らかにする。具体的には、中国で障害者人口の割合が高い地域の1つとされる、甘粛省蘭州市に所在するX知的障害児教育支援センターで行なった参与観察、及びその経営者とそこへ障害のある子どもを通わせる親への聞き取りに基づき、そこが中間的領域/組織としてどのような役割を担っているかを明らかにする。このような考察を、ポスト社会主義人類学の議論の俎上に載せ、中国の地域的な独自性、特殊性を、障害者福祉の現場から検討する。

  • 愛媛県菊間町の牛鬼からみた神と妖怪
    片岡 樹
    2021 年 85 巻 4 号 p. 623-639
    発行日: 2021年
    公開日: 2021/07/06
    ジャーナル フリー

    本稿は、愛媛県菊間町(今治市)の牛鬼の事例から、神と妖怪との区分を再検討することを試みる。菊間の牛鬼は、地域の祭礼に氏子が出す練り物であり、伝説によればそれは妖怪に起源をもつものとされている。牛鬼は祭祀対象ではなく、あくまで神輿行列を先導する露払い役として位置づけられているが、実際の祭礼の場では、神輿を先導する場面が非常に限られているため、牛鬼の意義は単なる露払い機能だけでは説明が困難である。祭礼の場における牛鬼の取り扱いを見ることで明らかになるのは、牛鬼が公式には祭祀対象とはされていないにもかかわらず、実際には神に類似した属性が期待され、神輿と同様の行動をとる局面がしばしば認められることである。また、祭礼に牛鬼を出す理由としては、神輿の露払い機能以上に、牛鬼を出さないことによってもたらされうる災厄へのおそれが重視されている。つまり牛鬼はマイナスをゼロにすることが期待されているのであり、その意味では神に似た属性を事実上もっているといえる。これまでの妖怪論においては、祀られるプラス価の提供者を神、祀られざるマイナス価の提供者を妖怪とする区分が提唱されてきたが、ここからは、事実上プラス価を提供していながら、公には祀られていない存在が脱落することになる。牛鬼の事例が明らかにするのは、こうした「神様未満」ともいうべき、神と妖怪の中間形態への分析語彙を豊かにしていくことの重要性である。

  • チベット・タンカの制作と崇拝について
    張 詩雋
    2021 年 85 巻 4 号 p. 640-658
    発行日: 2021年
    公開日: 2021/07/06
    ジャーナル フリー

    肖像とは、何かにあやかり造られる像のことであり、人間の感情や願望に常に深く関連している。本稿の考察対象であるチベット・タンカは、チベット仏教やボン教の神仏を表現するのみならず、制作者や崇拝者の感情や願望を喚起させる神仏の肖像でもある。本稿では、タンカの制作・崇拝に関する事例の人類学的記述を通して、人間と肖像、主体と客体の関係がいかに撹乱されるかを考察する。タンカ制作には以下の3つの特徴がある。①数値化される規則がタンカの宗教性を決めること。②数値化されない規則――本稿ではそれを「不可量の部分」と呼ぶ――はタンカの審美性に大きく関与すること。③身体物質を使用することが、タンカの宗教性と審美性の両方に関係すること。タンカに関する先行研究では、①は重要視されてきたが、②と③への考察は十分になされていない。本稿では②タンカ制作における不可量部分、および③絵師の身体物質の使用に注目する。そしてタンカの魅力、あるいはタンカのエージェンシーの発生は、単に宗教的意味や視覚的美しさだけでなく、制作者がタンカと一体化する願望を実現させようとする点にあるとみなして、タンカの身体美学性を主張する。さらに本稿の後半では、タンカの依頼・使用の事例を紹介し、人間とタンカ間の「変身」が相互的であることを示す。人が像を造ることは、像に促され、制作者になることであり、制作者と肖像――人とモノ――は対面に置かれる鏡面のように、延々と反射し合う関係にある。

社会を想像/創造する贈与─ インド系宗教の現代的展開から
  • 藏本 龍介
    2021 年 85 巻 4 号 p. 659-671
    発行日: 2021年
    公開日: 2021/07/06
    ジャーナル フリー

    In Indian religions, the act of giving is highly theorized as one of the key practices for reaching liberation. The emphasis is not on reciprocal norms, as Marcel Mauss points out, but on giving without expectation. Therefore, giving may not create social solidarity in the sense Mauss suggests. Does not the gift of Indian religions, then, create a society? Or, if it does, what kind of society is created? This special issue examines these questions using India, Sri Lanka, and Myanmar as examples. It aims to contribute to the anthropological debate on the socially creative power of gifts. In this paper, I will clarify the question of this special issue by reviewing previous research on Indian religious giving that investigates (1) the debate over the concept of “pure gift” and(2) the debate that focuses on the ethical dimension of giving. Then, I will establish the perspective and scope of this special issue by referring to David Graeber's discussion.

  • スリランカにおけるコロナ禍での外出禁止令発令時の支援を事例に
    中村 沙絵
    2021 年 85 巻 4 号 p. 672-690
    発行日: 2021年
    公開日: 2021/07/06
    ジャーナル フリー

    従来の人道主義をめぐる議論において、支援のジェスチャーとしてなされた利他的贈与としての人道主義的贈与は、受け手からの返礼を拒むことで、与え手を上位に置く階層化された連帯を生み出すことが指摘されてきた。また、人道主義における行為者の意味づけや経験の多元性を解明する解釈論的アプローチにおいても、考察の軸は与え手の側におかれ、贈与の場における相互行為や受け手の働きかけについてはほとんど描かれてこなかった。これに対し、本稿は人道主義的贈与の授受の「場」に着目し、受け手が、与え手やこれを目撃する者たちに働きかけ、触発する契機に注目する。そして、人道主義を理念的に支える与え手中心の自由主義的な想像力に対して、受け手を起点とするような社会の構想のありようを記述的に解明する。

    対象は、スリランカにおいて新型肺炎コロナウイルスの影響下で発令された外出禁止令の適用期間中、困窮者に対してなされた支援である。支援の現場では、行列をなした群衆に死者が出るなどその悲惨さが話題にのぼる一方で、物資を謙虚に受け取る村落部の高齢者の姿がSNS上やTVで話題を集めた。後者について、贈与の場における与え手との相互行為や、これを画面越しに目撃した観衆の反応を詳しくみていくと、「布施」や「功徳」といったローカルな概念・実践に媒介されながら相互に与え合う関係や、「人間性(manussakama)」を核とした社会への想像力を導出することができる。それは、コロナを契機に軍事化が強化されたスリランカの政治的文脈においては、脆く、とるにたらないユートピア的想像ともとれるものだ。だが同時に、功徳のやりとりを通じて顧慮し、与え合う関係を基盤とした社会への想像力は、苦境のただなかにおける創造性や現状への批判的態度を胚胎していた。

  • 北インド・ヒンドゥー修行道場の施食会を事例として
    濱谷 真理子
    2021 年 85 巻 4 号 p. 691-710
    発行日: 2021年
    公開日: 2021/07/06
    ジャーナル フリー

    本論文の目的は、北インドのヒンドゥー修行道場が実施する慈善活動、特に施食を通じてどのようにヴァナキュラーな行者社会が形成されているのか、受け手となる女性「家住行者」の視点から明らかにすることである。

    インド・ヒンドゥー社会では、慈善活動は一般に「社会奉仕」もしくは単に「奉仕」と呼ばれる。奉仕の慣習はもともとカースト・ヒエラルヒーの中で目下の者から目上の者への義務・献身として広く行われてきたが、19世紀の社会宗教改革運動を機に博愛主義的な色合いを強めるようになった。現在では数多くの新興教団や政治団体が人類や国家への奉仕として慈善活動を実施し支持を集めている。その一方、人道主義の立場からはヒンドゥー的慈善活動が非対称的な社会関係や自己中心的な救済論を前提としており、社会の不平等性を改善しようとしていない点が批判されてきた。それに対しBornsteinは贈与を引き起こす衝動や共感に着目し、慈善活動の担い手の間に差異を超えた<私たちのサークル>が形成されうる可能性を提示した。本論文ではBornsteinの議論を参考にしつつ、これまで見過ごされてきた慈善活動の対象、すなわち贈与の受け手に着目する。そして、慈善活動を通じてどのように友愛的な紐帯が喚起され、それがヴァナキュラーな行者社会の形成に寄与しているのか、贈与の論理と共食の倫理という2つの観点から考察する。

  • 現代南インドにおけるヒンドゥー寺院を事例に
    飯塚 真弓
    2021 年 85 巻 4 号 p. 711-729
    発行日: 2021年
    公開日: 2021/07/06
    ジャーナル フリー

    本論文は社会を想像/創造する宗教的贈与すなわち寄付を、その実践の現場となる寺院と受け手のバラモン寺院司祭の視点から描く。対象とするのは、司祭が聖職者と同時に自ら寺院管財人も務める南インドの私設ヒンドゥー寺院である。そこでは、信者と特定の司祭はある種のパトロン-クライアント関係を結んでいるが、その要となっているのは寄付である。信者からの寄付は寺院の宗教活動と経営のみならず、司祭やその家族の生活を支える経済的基盤でもある。しかし、神への「信愛」やその「恩恵」という宗教的規範を媒介することで、両者の関係は依存に陥ることなく、司祭の尊厳が保持されるものになる。

    神への「信愛」や「恩恵」は、聖なる存在を相互行為の対象とし、社会関係に位置づけるユートピア的社会の想像力にかかわる。先行研究では、こうした宗教的規範は聖俗を分かち、その非対称性を再生産するものとして捉えられてきた。しかし、近代以降寺院を取り巻く政治・経済・社会的環境は大きく変容した。それは司祭や寺院が体現する宗教的理念や理想、伝統から想像/創造される社会とは対照的でさえある。本論文は事例を通して両者の間のせめぎ合いとともに、いわば変化のなかの不変として価値づけられる寺院司祭の生の形式と社会関係を描く。そして、それらを可能にしているのは寺院という具体的な場における対面的贈与をめぐる相互行為と、そのなかで生み出され、再定義されてゆく宗教規範の潜在力であることを明らかにする。

  • ミャンマーのダバワ瞑想センターを事例として
    藏本 龍介
    2021 年 85 巻 4 号 p. 730-749
    発行日: 2021年
    公開日: 2021/07/06
    ジャーナル フリー

    インド系宗教の贈与はいかなる社会を想像/創造するか。この問題について本論文では、ミャンマーのダバワ(Thabarwa)瞑想センターを事例として検討する。それによって、「善行」という仏教的規範に基づく贈与がいかなる組織を形づくっているかを明らかにすると同時に、宗教的規範と組織が相互構成的な関係にあることを示す。ダバワ瞑想センターは、あらゆる人々に善行の機会を提供し、その善果として真理を会得させ、救いを促すために設立された。つまりこのセンターの根幹にあるのは「善行」概念である。本論文では第1に、「善行」概念が、長老を中心とした再分配システムの形成、センターの社会福祉センター化、ヒト・モノ・カネの異種混交的な集積、組織構造の自生的発展(生成変化と動かしにくさ)といった組織の創造をいかにもたらしているかを分析する。第2に、こうした組織の創造の中で、「善行」概念自体にも「誰でもいつでも受け入れる」、「実践共同体」、「反管理」といった新たな意味が付け加わっていくことを示す。それはその都度、センターの理想のあり方を想像するという作業でもある。その結果、センターにおける「善行」概念は、センターという組織のあり方と不可分なものとなっている。このように組織の(再)創造は、「善行」概念の探求(組織の(再)想像)と表裏一体の関係にある。

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