遺伝学雑誌
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10 巻, 2 号
選択された号の論文の7件中1~7を表示しています
  • 神名 勉聰
    1934 年 10 巻 2 号 p. 101-114
    発行日: 1934年
    公開日: 2007/11/30
    ジャーナル フリー
  • 伊藤 秀五郎
    1934 年 10 巻 2 号 p. 115-134
    発行日: 1934年
    公開日: 2007/11/30
    ジャーナル フリー
    In the study of the chromosomes in Locusta danica L., one of the commonest Acridian insects, I have found chromosomal variations, due to the presence of from one to four extra chromosomes beyond the type number of the species; these are assumed to be due to the fragmentation of original chromosomes. Different numbers of fragments appear simultaneously within the same individual at mitosis and meiosis. Such numerical ariations of chromosomes in the germ line have been found in every individual collected by me in Hokkaido. But I can not determine whether the variations are a genetical character of this species or whether the abnormal phenomena accidentally occur in the individuals which were examined, since they are too few. Consequently the present paper is confined to a brief account in regard to the behavior of the extra chromosomes in meiosis.
  • II. 天蠶 (Antheraea yamamai Guérin) 及び柞蠶(Antheraea pernyi Guérin) 並に其雜種に於ける精蟲發達史
    川口 榮作
    1934 年 10 巻 2 号 p. 135-151
    発行日: 1934年
    公開日: 2007/11/30
    ジャーナル フリー
    1) 天蠶は一化性で化蛾は初秋期に行はれ卵を以て越年するが, 柞蠶は二化性で二化期は蛹を以て越年する。天柞蠶の交雜F1は何れを雌とするも柞蠶と同樣に蛹を以て越年する。
    然し生殖細胞成熟分裂の起る時期は反對に天蠶と似る, 即ち柞蠶は冬期の蛹中に起るに反して, 天蠶及F1雜種は秋期化蛹後直に起る。即ち蛹の越冬性は柞蠶に於て, 生殖細胞の成熟期は天蠶に於て優性である。
    2) 天蠶の haploid 數は31で, 柞蠶では49を算ふ。後者は曾て門田氏(1921)の觀察したるものと一致する。
    3) 雜種に於ける精母細胞染色體數は變異多く, 少きは60-63, 多きは兩親の半數染色體の和(49+31=80)を示すものあり, 平均68-69を算ふ。
    4) 細胞體内物質は主に兩親について觀察した。精母細胞内の Mitochondrien は多數の球状又は楕圓體状の空胞で核の周圍に群在する。空胞は中心體に向つて或時は強く或時は弱く放射状の排列を示す。
    5) Golgi 體は約20個の環状體として精母細胞内に見られる。その一個は後に精蟲の Acrosom として頭部に殘る。
    6) 核仁は普通第一成熟分裂前に消失するが, 柞蠶を雌とする雜種F1のみは消失せず, 精蟲となりても永くその尾部に殘存する。
    7) この事實から核仁は恐らく細胞質の物質代謝作用と關係あるもので, 核の變化とは無關係であることが想像され, Gatenby(1931)の實驗と共に核仁の生理的意義闡明に對する一の手掛りとなるものと考へらる。
    8) 雜種の精母細胞及び精子細胞, 特に後者に於ては隣接の核間に核物質の融合起り其爲に精蟲頭部の大さは甚しく大小不同である。時に一核兩尾の精蟲も形成さる。是等の現象は異種染色體間の親和性の缺乏と共に本雜種の不受精性の原因となるものと想像される。
  • 今井 喜孝, 神名 勉聰
    1934 年 10 巻 2 号 p. 152-154
    発行日: 1934年
    公開日: 2007/11/30
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    タウギボウシ竝にミヅギボウシの兩種は花粉母細胞の還元分裂に於て24の二價染色體を有するが, ギボウシの野生種に於ては12を數ふるに過ぎない。即ちこの植物に於ては單數12倍數24である。然るに普通に栽培される品種はトリプロイドで完全な不稔、體細胞は36の染色體を有し, 還元分裂は不規則に行はれ屡ゝ三價染色體の構成を見る。更に或る栽培品種はテトラプロイドであるため, 單數で24倍數で48の染色體を有する。かくギボウシでは三型の變異が見られるが, 是等はオート•ポリプロイド性のものと認められる。
  • Dyûhei SATO
    1934 年 10 巻 2 号 p. 155-159
    発行日: 1934年
    公開日: 2007/11/30
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  • 第一報 Crepis capillarisTaraxacum platycarpum との雜種
    篠遠 喜人, 小野 記彦
    1934 年 10 巻 2 号 p. 160-164
    発行日: 1934年
    公開日: 2007/11/30
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    茲に報告するのは Crepis capillaris(n=3) と Taraxacum platycarpum (タンポヽ n=8)との雜種で, タンポヽ類(Cichorieae)の多くの植物の間に交雜を試みて得た屬間雜種の一である。
    授粉は Collins (1922)が Crepis 屬で用ひた水洗法によつた。染色體の觀察には Karpechenko 液で固定した根端を12μに切り, Heidenhain 鐵明礬ヘマトキシリン法により染色した。
    1929年初めて C. capillaris にタンポヽを掛けて2個の痩果を得た。夫等より生じた幼植物の一つは非常に弱く間もなく死んだが, 他の1株は1932年迄生存し(圖1), 其年植替の際に菌類の犯す所となつて枯死した。此植物は葉の樣子は寧ろ兩親の中間形を示してゐたが, 多年生の傾向を現し又莖を抽出しない等の點は父植物に似て居た。終に花を見ることができなかつた。
    1931年に同じ交雜を行ひ9株の雜種植物を得た。之等は初め温室で育て翌春戸外に移した所, 葉は不相同となりロゼットには多數の生長點が生じ極めて不規則な生長をした。1929年に得た植物の如く莖を抽出する事なく又花を着けるに至らず, 8株は其年に, 殘りの1株は翌年の夏に枯れた。
    1932年にも若干の雜種を得たが成熟しない中に不注意で枯死させた。翌年又11個の痩果を得た。之等の痩果の長さは C. capillaris (母親)の痩果よりも約1/5だけ短かかつた(表1)。之等の11個の痩果より生じた植物は初めより戸外にて育て1931年の場合と比較した。此場合でも1931年の如く異常の生育をし(圖2, 3),花を着けず莖も抽出しなかつた。對照としたCrepis 植物は正常に發育し開花した。之により1931年の植物が異常な生長を示したのは温室より戸外に移したといふ環境の影響の結果とは考へられない。又1932年に除雄して其儘に放置した Crepis 植物より若干の子植物を得た。之等は幼時の葉の樣子は親と異つてゐたが, 終には莖を抽出して開花した。
    各雜種植物は根端の細胞に於て母植物と同じやうな6個の染色體を有する(圖4)。然し以上の諸觀察より吾々の謂ふ雜種が母植物が授粉操作の誤により自家授精して生じたものとも考へられず, 又花粉とは全然無關係に單爲生殖の結果生じたとも考へられない。其成因の細胞學的乃至核學的證明を缺くが, 單純な偽授精の一例でないことは明かである。茲に言ひ得ることは父植物の染色體がたとへ卵核中に入らなくとも, 或は少くとも子植物の細胞核中に父の染色體が形態學的に認められなくとも, 父植物の性質の幾つかは子植物に表現され得るといふことである。之に關しては尚二三の老察(例へば gene と cytoplasm 又は plasmon との關係, genomoploidy, dominancy 等の觀點より)をなし得るが茲には省くことにする。
    1933年に此相反交雜を試み2株の子植物を得た。一株は母植物に似て居り2n=16の染色體を有したが, 他は兩親の中間の形質を持ち弱小であつた。此後者の植物は不幸にして染色體を調査するに至らずして枯死した。
  • Yoshitaka IMAI
    1934 年 10 巻 2 号 p. 165-167
    発行日: 1934年
    公開日: 2007/11/30
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