ジャーナル「集団力学」
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27 巻
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編集委員・編集方針
日本語論文(英語抄録付)
  • 核家族への示唆
    樂木 章子
    2010 年 27 巻 p. 1-16
    発行日: 2010/07/01
    公開日: 2013/04/16
    ジャーナル フリー
     本研究は、ある養子斡旋団体を通じて養子を迎えた家族の中で、産みの母がいかに位置づけられているかを検討したものである。その養子斡旋団体は、養子を迎えた後、養親-養子関係について秘密にすることなく、なるべく早くから養子に伝えていくよう指導している。また、産みの親の権利をも尊重し、産みの母、養親、養子が希望すれば、養子が産みの母と会えるよう努めている。本研究では、4組の養親夫婦にインタビューを行い、①日々の生活における産みの母に関する言及、②産みの母との手紙のやりとりや、産みの母から養子への贈り物、③産みの母と養子の面会についての経験を調査し、それを通して、家族の中で産みの母がどのような位置づけにあるのかを考察した。その結果、養親・養子の間には「産みの母に感謝すべし」という規範が形成されており、産みの母は、その規範が帰属される(ある程度)抽象的な身体として位置づけられていると考察した。養子の成長の区切り(小学校入学など)では産みの母との面会をもちつつも、頻繁な接触は避けられる傾向にあることも、規範が帰属される身体としての抽象性を保持する機能、すなわち、過度に具象的となることを回避する機能をもつと解釈した。最後に、育てる親と育てられる子という集団の外部に、(子育てをめぐる)規範が帰属される身体を有していない核家族に対する本研究の含意を述べた。
  • 杉万 俊夫
    2010 年 27 巻 p. 17-32
    発行日: 2010/07/01
    公開日: 2013/04/16
    ジャーナル フリー
     現代日本社会の特徴の一つを、「集団主義-個人主義」をめぐる3つのトレンドによって考察する。ただし、本稿で用いる「集団主義」、「個人主義」の概念は、従来、社会心理学で用いられてきた同名の概念とは、基本的に性格を異にする。すなわち、本稿では、規範を身体の溶け合いから擬制される「第三の身体」の声であると捉える大澤(1990)の規範理論に依拠し、第三の身体が具象的身体とオーバーラップする段階を集団主義、そのオーバーラップを減じ、第三の身体が不可視の抽象的身体となった段階を個人主義と定義する。
     欧米では、「集団主義(前近代)→個人主義(近代)→身体の溶け合いへの回帰(ポスト近代)」という歴史的経路を辿ったのに対し、現代日本社会には、①集団主義からマイルドな個人主義へと向かうトレンド、②マイルドな個人主義から本格的な個人主義へと向かうトレンド、③マイルドな個人主義から溶け合う身体へと回帰するトレンドの3つが共存していることを、具体的な社会現象の例をあげつつ指摘した。20年程度の近未来を見通すとき、③のトレンドが急速に主流になるであろうことを予想するとともに、このトレンドを②のトレンドと見誤ってはならないこと(平易に言えば、集団主義の減退を個人主義化と見誤ってはならないこと)を強調した。
  • 鮫島 輝美
    2010 年 27 巻 p. 33-61
    発行日: 2010/07/01
    公開日: 2013/04/16
    ジャーナル フリー
     本研究は、現代医療の欠陥として、医師-患者関係における2つの問題点を指摘した上で、フィールドワークで接した医師と住民の姿を理論的に考察することを通じて、それら2つの問題点を克服する方途を提言しようとするものである。まず、第1節では、現代医療の2つの問題点として、①患者という人間ではなく、患者の「病気」だけが医療の対象とされる傾向があること、②病気の専門家である医師と患者の間に、「強者-弱者」の関係が形成される傾向があることを指摘する。さらに、それらの問題点を、フーコーの言う「生-権力」が閾値を超えて過度に強化された帰結であることを論じる。次に、第2節では、筆者のフィールドワークに基づき、2つの問題点を克服する実践例を紹介する。第3節では、まず、「生-権力」概念を、大澤の規範理論に基づき再定位する。すなわち、「(a)原初的な規範形成プロセス → (b)規範の抽象化 → (c)規範の過度の抽象化 → (d)原初的規範形成フェーズへの回帰」という一連の規範変容プロセスにおいて、「生-権力」の形成・強化は(b)の最終段階、「生-権力」の過度の強化は(c)に対応することを論じる。それに対して、上記の実践例は、(d)原初的規範形成フェーズ((d)の段階)を具現化したものであり、したがって、過度に強化された「生―権力」を原因とする上記2つの問題を克服する方途を示唆するものと考察される。
  • NPO法人「環の会」の事例から
    竹内 みちる, 樂木 章子, 杉万 俊夫
    2010 年 27 巻 p. 62-75
    発行日: 2010/07/01
    公開日: 2013/04/16
    ジャーナル フリー
     親の育児放棄や幼児虐待が報道されるたびに、人々の批判の矛先は母親に向けられる ---- 自分の腹を痛めた子に、なぜそんなむごいことをするのか、と。そこには、「自分が産んだ子は自分が育てるべし」という社会規範を見て取ることができる。
     本論では、あえて、「産んだら育てるべし」という規範とは正反対の規範、すなわち、「産んでも育てなくてもよい」という規範の可能性を、筆者が行った現場研究をもとに検討する。それを通じて、社会が子どもを育てるということに関して新たな視座を提供する。
     筆者が現場研究を行ったのは、「環の会」という特定非営利活動法人(NPO)であった。「環の会」の活動には、「産んだら育てるべし」という規範とは異なった規範が存在していた。すなわち、「環の会」のリーダーは、予期せずして妊娠した女性からの連絡に昼夜を分かたず対応し、もし自分で育てることができないのであれば、特別養子縁組をすることも一つの選択肢であるとアドバイスをしていた。また、「環の会」では、育て親候補者の募集も行っており、育て親に対しては、産みの親の存在を早期から子どもに伝えること、産みの親への感謝を忘れぬこと、また、産みの親が望む場合には、「環の会」を通じて、産みの親と子どもの接触を保つことを指導していた。
     「環の会」の現場研究を通じて、同会の活動には、生まれた子を「産みの親が育てるべし」とするのではなく、「産みの親が育てられない場合には、社会が育てていく」という姿勢を見て取ることができる。同会の活動は、社会が、生まれた子を無条件に受け入れ、育てていくための、いわば窓口としての機能を果たしているものと考察した。
  • 鳥取県智頭町「日本・ゼロ分のイチ村おこし運動」
    高尾 知憲, 杉万 俊夫
    2010 年 27 巻 p. 76-101
    発行日: 2010/07/01
    公開日: 2013/04/16
    ジャーナル フリー
     本研究は、ある過疎地域で集落の自治力を高めるために10年にわたって展開された運動が、集落や住民の生活にどのようなインパクトを与えたかを、同運動の発足初期と9-10年目に実施した2回のアンケート調査をもとに考察したものである。鳥取県智頭町では、1997年から、最小のコミュニティ単位である集落ごとに、長らく根づいていた保守性、閉鎖性、有力者支配の地域体質を打破し、地域を経営の視点で見直し、集落外と積極的に交流しつつ、住民自治を育む運動が開始された。智頭町にある89集落のうち15集落が、この運動に参加した。具体的には、従来の集落運営方式(世帯主だけが参加できる寄り合いで意思決定をし、それを住民全員の参加を義務とする総事で実行するという方式)は残しつつ、個人の資格でだれでも参加できるボランティア方式を新しく導入した。新しい方式の推進組織として集落振興協議会が設置され、行政(町役場)は、集落を代表する機関として協議会を認知し、支援することになった。
     同運動に参加する集落の全住民を対象に、発足初期の2000年と9-10年目に当たる2006年にアンケート調査を実施した(同運動は、10年を期限とする運動である)。その結果、①同運動は初期の段階で集落に浸透し、終始6割の住民が同運動に参加したこと、②同運動の理念を最も実現した集落では、伝統的な寄り合い組織と新しい集落振興協議会を、車の両輪のように使い分けていたこと、③伝統的な寄り合い組織が、同運動の民主的性格を帯びるに至った集落も存在すること、④2-3割の人が、同運動によって新しい自己実現の場を得、また、少子高齢化が進む集落にあっても明るい将来展望を持つようになったこと、⑤同運動によって、女性の発言力が増したことが見出された。同時に、10年間エネルギーを発揮し続けた裏返しとして、「この辺で一服」という正直な気持ちもあること、また、集落のレベルでは、潜在的なリーダー的人物もかなりの程度出尽くしたことも見出された。今後の展望として、すでに智頭町で始動している新しい運動、すなわち、地区(10集落程度で構成する:昭和の大合併以前の旧村に相当)単位で住民自治力を再生させようとする運動について言及した。
  • 中国・内モンゴル自治区における生態移民政策を事例として
    蘇米雅
    2010 年 27 巻 p. 102-130
    発行日: 2010/07/01
    公開日: 2013/04/16
    ジャーナル フリー
     本稿は、中国・内モンゴルにおいて自然保護政策として実施された生態移民が、地域生活に及ぼす影響を環境正義の観点から考察する。1949年以降、内モンゴルでは、国策として、遊牧から定住への移行が強制され、さらに放牧地が細分化・固定化されたため、草原は耕地化され、その結果、砂漠化が進行、大都市でも黄砂被害が深刻な問題となった。政府は、黄砂被害を食い止めるために、生態移民政策を打ち出した。その政策は、砂漠化の原因は過放牧にあるという前提に立ち、草原を囲い込んで禁牧にするとともに、牧民を都市に移住させるというものだった。本研究は、内モンゴル正藍旗にあるオリックガチャーとバインオーラガチャーという2つの村における生態移民の経緯を、参加観察によって詳しく追尾し、環境社会学で議論されている「環境正義」について新しい視点を導入しようとするものである。
     バインオーラガチャーでは、2002年の生態移民によって、牧民は30キロ離れた移民村に移動、集住することになった。生業も、モンゴル牛数10頭の放牧から輸入ホルスタイン牛数頭の畜舎飼育に変化した。高価なホルスタイン牛の購入費は、借金として村民の肩にのしかかった。かつては自家消費に回していた牛乳も商品化され、生活のすべてが貨幣なしには成立しなくなった。また、村民全員に集住が強いられたため、元の村の構成単位(ホトアイル)は壊され、近隣の結びつきは弱体化してしまった。そのような村民が、生活の現状をなげくとき、現状と対比されるのは、元の牧民生活だった。
     2004年、バインオーラガチャーよりも早く生態移民が実施されていたオリックガチャーの移民村で、村民の一部が、違法行為を覚悟で、元の草原で再放牧に乗り出した。彼らは、畜舎で飼っていたホルスタイン牛を連れて、元の草原に戻り牧民生活を再開したのだ。それは、も元のホトアイルを新しい形で創造する試みであり、モンゴル語の「スルゲフ」(再生)を連想される試みであった。
     本稿では、再放牧の動きを、新しい共同性に基づく正義に支えられた動きであると考察した。すなわち、地検・血縁による自然的共同性でもなく、また、生態移民政策に見られるような人為的共同性でもない。一見、昔の共同性への回帰に見えはするが、それは、人々が内発的に創造する共同性、すなわち、内発的共同性に基づく正義が再放牧を支えているのではなかろうか。
  • 「NGO備災センター」の事例
    陳 頴, 杉万 俊夫
    2010 年 27 巻 p. 131-157
    発行日: 2010/07/01
    公開日: 2013/04/16
    ジャーナル フリー
     本稿は、2008年5月に発生した中国・四川大地震で設置された仮設住宅コミュニティ(武都コミュニティ)において、あるNGO(NGO備災センター:略称DPC)が展開した救援活動を、発災3ヶ月後から15ヶ月間にわたって参加観察した現場研究の速報である。
     死者約7万人を含む4,600万人以上の被災者を出した四川大地震の直後から、政府と軍隊による救援活動が展開された。しかし、一方では、多くの市民や民間団体による救援ボランティア活動も行われた。15年前に日本で起こった阪神・淡路大震災の時にそうだったように、「ボランティア元年」という言葉がマスコミをにぎわした。なかでも、300を越えるNGOの活動には注目が集まった。では、政府による国家管理型社会の中国で、非政府組織(NGO)はどのように救援・復興活動を展開したのだろうか。本研究は、DPCが武都仮設住宅コミュニティで展開した活動に、筆者も参加しながら、その活動を追尾したものである。
     政府主導の中国にあって、被災者は政府に依存し、受動的になりがちである。また、NGOと被災者の関係も「助けるのみのNGOと助けられるのみの被災者」という構図に陥りがちである。しかし、DPCは、一貫して、被災者の能動性・主体性を育むという姿勢を貫いた。言いかえれば、被災者が自らを助けることができるように被災者を援助する、という姿勢が貫かれた。この中国では珍しい活動モデルは漢旺モデルと称された。同モデルは、「①コミュニティに介入する→②コミュニティと共に生活する→③コミュニティに溶け込む→④コミュニティと共に働く/成長する→⑤コミュニティから撤退する」というステップを踏むべきとしている。ほとんどのNGOは、①だけにとどまり、被災者を一方的に助けるのみであるのに対して、②-④、とりわけ、被災者と共に働き成長していくことを目指している点が、同モデルの特徴である。
     DPCは、3つの大規模プロジェクトを実施した。第1は、「心空間コミュニティ活動センター」の設置・運営という文化復興プロジェクトであった。活動センターは、無為に時間を過ごさざるをえない被災者が文化・娯楽活動を楽しめる場となった。第2は、クロスステッチ・プロジェクトという女性に収入を得る手段を身につけてもらおうとするプロジェクトであった。第3は、家畜飼育プロジェクトであり、無利子融資によって、被災者が豚や牛の飼育を再開できることが目指された。
     本稿の最後には、中国NGOが抱える諸問題を整理し、今後の課題を考察した。
  • 政府世論調査のテキスト分析から
    竹内 みちる
    2010 年 27 巻 p. 158-174
    発行日: 2010/07/01
    公開日: 2013/04/16
    ジャーナル フリー
     いつまでも老いることのない高齢者----「何歳になっても現役」というように、往年と変わらぬ存在としての高齢者。その一方、寝たきりの高齢者。周りの人にケアしてもらわなければ、明日をも生きられない高齢者。我々の持つ高齢者に対するイメージは、現在、この2つに分極化している。我々は、いつから、このような単純で貧困なイメージしかもてなくなったのだろうか。現実の高齢者は、より多様で固有の生を生きているのではないだろうか。本研究は、上記のようなパターン化した「高齢者」の意味を再検討し、そこに欠落している可能的意味を探ろうとするものである。さらに言えば、かつては存在したにもかかわらず、ここ半世紀の中で消滅した「高齢者」の意味を再発見し、その現代的意義を考察しようとするものである。
     本研究の方法的特徴は、政府機関が実施した世論調査の質問票をテキスト分析の俎上に載せた点にある。特に、本稿の中で扱った世論調査の内でも、1954年の世論調査は、高齢化が注目を浴びるはるか以前、高齢者が政策的課題として本格的に組み込まれる以前に実施されたものであり、極めて重要な分析対象である。
     本稿では、まず、本研究の目的と方法を述べた上で、上記の1954年調査を分析し、それ以降急速に消滅していった「高齢者」概念を指摘した。すなわち、1954年の世論調査では、高齢者は、他の世代とは異なり、「自らの来たりこし道を振り返り、来たるべき死を直視する」存在であったことを指摘した。次に、その概念が、いかなる「高齢者」概念によって代替されたのかを、同じく高齢者を調査対象とした1960年代以降の調査票を分析しながら明らかにした。最後に、より積極的に、「来たりこし道をふりかえり、死を直視する」高齢期を再発見することの現代的意義について論じた。
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