本稿は,近代日本に導入された科学的な農業技術の通時的・地域的差異を検討し,地域における技術の多義性を明らかにすることを目的とした。そして広域スケールを対象とした「科学の地理学」の新たな研究方法の提示を試みた。具体的には柑橘産地において青酸ガス燻蒸という防除技術がどのように展開したかを,柑橘生産および出荷の動向とともに検討した。1910年代に防除法として青酸ガス燻蒸が柑橘産地に導入されたが,1920年代には防除薬剤による糖度上昇や着色向上といった柑橘果実の高品質化効果が農家や農学者によって見出された。燻蒸は当初,柑橘樹への薬害を避けるために冬期燻蒸が推奨されていたが,薬害の発生よりも燻蒸時間の節約や果実の品質向上効果が優先され,夏期燻蒸が奨励されるようになった。他産地よりも活発に青酸ガス燻蒸を実施していた広島県の柑橘産地では,東京市場への出荷を目指し品質を重視したミカン生産を行うなかで,冬期と夏期に青酸ガス燻蒸を実施していた。後発産地であった広島県は温暖であるため果皮の着色不良が発生しやすく,また少雨であったことから防除薬剤の使用による品質変化を実感しやすい環境にあった。すなわち青酸ガス燻蒸という農業技術の効果や意義には,社会経済条件と自然条件に起因する通時的・地域的差異があり,青酸ガス燻蒸は多義性を有した農業技術であったことが確かめられた。
本稿は,長野県牛伏川における歴史的砂防施設の文化財登録・指定の過程に着目して,その過程に影響を与えた/与えられた自然環境や景観の変容を分析するものである。分析にあたって,科学技術社会論(STS)や文化人類学における「インフラストラクチャー」研究を参照し,砂防という通常は人々の関心に上らない不可視なインフラにおいて,文化財化を契機として,自然―インフラ―人間の関係性が可視化されることを考察した。公共事業批判が高まる中で,国は「機能美」という審美性を戦略的に創出し,砂防施設の文化財登録を推進した。牛伏川上流域では,従来不可視だった自然やモノ(インフラ)の行為主体性を前提として,外来種ニセアカシアの想定以上の繁茂によるインフラやその機能の危機に対して,地方自治体や地域住民はそれぞれに自然や景観を改変してきた。それにより,外来種の排除と在来種の保護が進み,「自然」が(再)構築された。こうした,自然を含有するインフラの景観が求められる過程において,牛伏川上流域では,自然と人間の共同構成により,異種混淆な集合体としての社会的な自然とインフラの一体化した景観が形成された。本稿は,自然―インフラ―人間の複雑な関係性を可視化する試みとして,重要な意味を持つものである。
本稿は,高齢化の進行する富山県南砺市の市内全域で同一の制度下で進められている地域づくり協議会の地域差を明らかにした。分析対象とした南砺市の地域づくり協議会は,小規模多機能自治を目指す地域運営組織で,とくに住民主体で運営される地域づくり協議会の形態や,事業の実施状況を分析することから,各地域づくり協議会の活動内容と組織構成との関わりと,活動内容の地域差が生み出しうる地域的課題を議論した。その結果,南砺市では旧小学校単位を範囲とする旧公民館を交流センターと改称し,組織を一元化することで地域づくりに参画する役員総数と,複数の役職に就く状況の見直しから組織を縮小させてきた。従来の地域づくりには,旧自治振興会と旧地区社会福祉協議会,旧公民館の各種主体それぞれが独自に活動を行ってきたが,地域づくり協議会へ一元化されたことで主体間も連携しやすくなっていた。他方,南砺市の小規模多機能自治を推進する体制は同一の制度下にありながら地域づくり協議会の活動内容も多様なものとなっていた。地区内で直面する課題に応じて多くの地区住民が参画して地域づくりを実施する地区や,最低限の住民自治となる地区といった地域差がみられた。地域差は,単なる地区ごとの自治活動に対する姿勢や意欲の高低で説明できるものではなく,地区内外の民間事業者の動向にも影響を受けていることが明らかとなった。