薬史学雑誌
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55 巻, 2 号
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  • 平井 敬二
    2020 年 55 巻 2 号 p. 115-127
    発行日: 2020年
    公開日: 2021/01/28
    ジャーナル フリー
    キノロン薬と呼ばれる合成抗菌薬の歴史は 1962 年に Lesher により合成された Nalidixic acid(NA)から始まった.NA は腸内細菌に良好な抗菌力を示し,主に尿路感染症,腸管感染症の治療に用いられた.NA の発見がきっかけとなり,抗菌作用の増強,抗菌スペクトル,体内動態面での改良を目指したキノロン誘導体の研究開発が始まり,Oxolinic acid, Piromidic acid, Pipemidic acid などのキノロン薬が次々と開発された.我々も1970 年中頃からキノロン薬研究を開始し,1977 年にキノリン骨格の 6 位にフルオロ基を 7 位にピペラジニル基を有する AM-715(Norfloxacin : NFLX)を見出した.NFLX は従来のキノロン薬に比べ数十倍以上強い抗菌力を示し,グラム陰性菌およびグラム陽性菌に対し幅広い抗菌スペクトルを有していた.体内動態面でも良好な体内(組織内)移行性を示し in vivo 感染症モデルで有効性が認められた.動物を用いた各種安全性試験を行った後に第 1 相臨床試験を 1978 年から開始した.その後第 2 相臨床試験と各疾患領域における第 3 相臨床試験を順次実施した.NFLX は,優れた抗菌力と主要組織への良好な移行性により,尿路感染症,腸管感染症のみならず呼吸器感染症,皮膚感染症,耳鼻科感染症においても優れた臨床効果を示した.これらの臨床試験において高い安全性も確認された.この NFLX の発見がきっかけとなりその後数多くの優れたキノロン薬が開発された.NFLX 以降に開発されたこれらの薬剤はニューキノロン(フルオロキノロン)薬と呼ばれるようになった.この総説ではニューキノロン薬の先駆けとなった NFLX の創薬の歴史をまとめた.
  • 木村 友香
    2020 年 55 巻 2 号 p. 128-135
    発行日: 2020年
    公開日: 2021/01/28
    ジャーナル フリー
    緒言:本研究の目的は,戦前の数少ない理系の女子教育機関であった女子薬学専門学校の設立目的について検討することにある. 方法:本稿では,東京府下の女子薬学専門学校の学則を手がかりに,男子対象の私立薬学専門学校との比較,考察を行った.資料は東京都公文書館所蔵の,東京府下の女子薬学専門学校設置時の申請文書を使用し,同じく同館所蔵の男子を対象とした私立薬学専門学校の設置認可書類および学則変更書類と比較した. 結果:その結果,女子薬学専門学校の教育方針および教育課程において,薬剤師資格の取得と家庭の主婦としての役割が矛盾しない形で編成されていることを具体的に確認した. 考察・結論:戦前の社会においては,性別役割分業観が支配的で,女性の高等教育への進学者はごく少数であった.女性の進学可能な理系の教育機関も限られていた時代,専門職としての女性薬剤師の養成機関の設立目的にも,「良妻賢母」との両立が説明されていた.
  • 夏目 葉子
    2020 年 55 巻 2 号 p. 136-151
    発行日: 2020年
    公開日: 2021/01/28
    ジャーナル フリー
    目的:アムリタとは,サンスクリット語で「不死」を意味する語であるとともに,不特定のものに適用される形容辞でもあった.しかし,『インドアーユル・ヴェーダ薬局方』(以下略号 API)では,それを特定の複数の薬用植物の同義語として記載している.本論では,インド医学文献におけるアムリタの用例を分析し,アムリタが特定の薬用植物の同義語として規定されるに至った根拠を考察する. 方法:まず,API でアムリタという同義語をもつ薬用植物の薬効を,薬理学の視点から論じる.次に,古代インド三大医学書,それらから処方を引用している『バウアー写本』,および API の典拠のひとつとされる『バーヴァプラカーシャ』におけるアムリタの記述を原文解読することで,その意味を文献学的に分析する. 結果:古代インド三大医学書と『バウアー写本』におけるアムリタは,グドゥーチー,ハリータキー,アーマラカの別称として用いられていた.なかでも,『バーヴァプラカーシャ』の語彙集に記されたグドゥーチーの薬用植物としての起源は,『ラーマーヤナ』に説かれていた「猿たちの復活」と同様に「生命を取り戻す」ことを意味し,「不死」と関連付けた捉え方をしていた. 結論・考察:API におけるアムリタの記述には,古来のインド神話伝説の系譜が関連している.そのことが,API がアムリタを特定の薬用植物の同義語として規定されるに至った根拠のひとつであると考察した.
  • 安士 昌一郎
    2020 年 55 巻 2 号 p. 152-159
    発行日: 2020年
    公開日: 2021/01/28
    ジャーナル フリー
    緒言:本論文では五代武田長兵衛が尚志社,杏雨書屋を創設して運営した経緯を分析し,企業発展における公益事業の有用性を明らかにする. 方法:主に社史,追想録,業界史,衛生局年報を調査し,それらの結果を総合して企業家活動を考察した. 結果:五代武田長兵衛は医薬品製造事業を発展させ,組織を近代化して自企業が製薬企業へと成長する礎を築いた.また「薬屋」が社会から低く評価されていると認識していたこと,および自企業の技術力を懸念し,新たな種類の人材を求めていたことを明らかにした. 考察・結論:2 つの公益事業は,企業のイメージを向上させ,優秀な人材が就職するに相応しい組織であるとアピールするための投資であったと結論付けられた.
  • 工藤 義房, 西川 隆
    2020 年 55 巻 2 号 p. 160-168
    発行日: 2020年
    公開日: 2021/01/28
    ジャーナル フリー
    目的:大正期に郵便局制度を参考にした「薬局国営」が提唱された.これは,現在でも医薬分業の先進地区として知られる長野県上田の薬局薬剤師河合操によって提唱されたものである.河合は昭和初期,逓信省簡易保険健康相談所(簡易相談所と略)の処方箋分業を軌道に乗せるため尽力した人物でもある.今日ではその足跡は忘れられているが,日本の医薬分業を考える上で欠かせないと考えられる河合操について研究した. 方法:河合の生涯を自筆履歴書などの年譜により明らかにし,また地元薬剤師会に残されている史料や帝国議会議事録などにより薬局国営論の提唱の背景と顛末および簡保相談所がなぜ河合によって早期に軌道に乗ったかについて明らかにする. 結果:1867(慶応 3)年生まれの河合は,東京薬科大学の前身校に入学,1887(明治 20)年薬剤師になり,1892(明治 25)年故郷の長野県上田で薬局を開いた.キリスト教精神の「社会に奉仕,親切第一」をモットーにしたので繁盛した.しかし医薬分業は進まず,1912(明治 45)年長野県薬剤師会会長(県薬会長と略)となった河合は,分業を推進するため医療の国営化を理想に,まず「薬局国営」を提唱した.日本薬剤師会代議員会の否決にもかかわらず,1922(大正 11)年と翌 1923(大正 12)年帝国議会に「薬局国営」の嘆願書を提出したが採択されず,県薬会長を辞職した.辞職後は内村鑑三やトルストイの三女を自宅に招待するなど人的交流を深めたが,64 歳の 1931(昭和 6)年再び県薬会長に選ばれた.河合は,逓信省の簡易相談所が発行する処方箋による分業をいち早く軌道に乗せ,1933(昭和 8)年県薬会長を退いた.晩年は聖書を読み過ごしたが,1943(昭和 18)年 78 歳で死去. 結論:河合の薬局を類型化して地域密着型の分業を実現しようとする「薬局国営」は,日本薬剤師会で否決され,帝国議会への請願も否決されたが,昭和初期の簡易保険分業は河合の経済的支援によって他地区より早く実施された.河合のリーダーシップによる薬局国営の精神と簡易保険分業の成功体験が引継がれたことが,昭和から今日に至る上田地区の分業先進や地域密着型面分業を可能した精神的支柱となったと考えられる.キリスト教の信仰と医薬分業推進に心血を注いだ生涯であった.
  • 森本 和滋, 日向 昌司, 石井 明子
    2020 年 55 巻 2 号 p. 169-178
    発行日: 2020年
    公開日: 2021/01/28
    ジャーナル フリー
    目的:国立医薬品食品衛生研究所・生物薬品部の 30 年の歩みを,品質評価法の研究開発と国際調和の視点から調べた. 方法:生物薬品部の歴史は,国立医薬品食品衛生研究所報告よりバイオ医薬品の承認情報は,生物薬品部のウェブサイトより,また ICH ガイドラインの情報は,PMDA のウェブサイトより収集した. 結果と考察:第 1 期(1989-1998) 20 品目のバイオ医薬品が承認された.従来動物を用いたバイオアッセイの代替法としての HPLC 法の検討,蛍光体支援糖鎖電気泳動法を用いて r-hEPO 糖鎖パターンを解析し,分子多様性を解析する方法を開発した.ICH ガイドライン Q5B と Q5C が調和した.1993 年には,三局方間(欧州薬局方,日本薬局方,米国薬局方)オープン会議,バイオ医薬品規格基準のハーモナイゼーションが開催された.第 2 期(1999-2008) 35 品目のバイオ医薬品が承認された.MS たとえば LC/ESI-MS を用いて,r-hEPOの糖鎖構造を解析する方法を開発した.ICH 品質ガイドライン,Q5A(R1),Q5D,Q6B,Q5E が調和した.第 3 期(2009-2018) 82 品目のバイオ医薬品が承認された.抗体医薬品の不均一性を LC/MS カラムスイッチ法で調べる方法を開発した.ICH ガイドライン「医薬品のライフスタイルマネジメント」Q12 が合意に達した.わが国のバイオ医薬品の特性解析と品質管理の最近のトピックス,たとえばモノクローナル抗体についても検討した.
  • 野澤 直美, 高木 翔太, 福島 康仁, 高橋 孝, 村橋 毅, 高野 文英
    2020 年 55 巻 2 号 p. 179-193
    発行日: 2020年
    公開日: 2021/01/28
    ジャーナル フリー
    目的:硝石(硝酸カリウム KNO3)は,戦国時代から江戸末期のわが国において黒色火薬の原料として欠くことのできない物質であった.わが国における硝石製造には「古土法」,「培養法」および「硝石丘法」と呼ばれる 3 種の方法があった. 方法:本研究では,これらの 3 種の硝石製造方法について史学的調査,土壌中のイオン分析,および硝石精製の再現実験行い比較検討を行った. 結果:「古土法」は,経年した床下土から硝石を製造する全国で行われた方法なのに対して,「培養法」は,加賀藩領の五箇山や天領の白川郷の限られた地域においてのみ実施された手法であった.「培養法」は「硝石丘法」と類似するが,「硝石丘法」では人畜屎尿を屋外で積み上げ 1~3 年を経過させた土を使うのに対して,「培養法」では蚕の糞や山野草を養蚕家屋の床下に穴を掘り,約 4~5 年をかけて醸成した土から硝石を製した.実際に,これら 3 種の手法を再現して硝石製造を行った.いずれの手法においても硝石の結晶を析出させることができたが,「培養法」と「牛糞堆肥(硝石丘法の代用)」で析出する結晶は不定形であり,特に「牛糞堆肥」では繰り返しの再結晶が必要であった.「培養法」で得られる硝石の結晶量は,「古土法」の 3 倍だった.3 種の硝石製造法における土中の硝酸イオン(NO3 -)濃度をイオンクロマトグラフィー法で測定した結果,「培養法」の土に含まれる NO3-は,「古土法」よりも高く,また堆積期間が 1 年以内の「牛糞堆肥」であっても 20 年以上経過した「古土法」による土と同程度の NO3-が検出できた.「培養法」および「硝石丘法」では,アンモニア体窒素を豊富に含む蚕や人畜の排泄物を利用することにより,土中の NO3-濃度を高める生物学的手法であることがわかった. 結論:総じて 3 種の硝石製造法のなかでも「培養法」が,硝石製造の質や量の面で優れていることが判明した.本稿では,わが国の硝石製造法について,欧州の硝石製造法とも併せて論考する.
  • 小清水 敏昌
    2020 年 55 巻 2 号 p. 194-202
    発行日: 2020年
    公開日: 2021/01/28
    ジャーナル フリー
    目的:1895(明治 28)年の「喘息煙草説明書」の記載事柄について調査し,また喘息煙草の来歴,使用方法や売薬の制度なども調査した. 方法:国立国会図書館,東京大学医学図書館,たばこと塩の博物館などにおいて関係文献を調査した. 結果:緒方洪庵の息子達(次男:惟準,三男:惟孝)および小林謙三(適塾生)の 3 人が喘息煙草に関与していた.次男は軍医であり喘息煙草を考案し,三男は薬舗主となり「喘息煙草説明書」を作成した.謙三は内務省から許可された喘息煙草を自店で製造販売した. 結論:喘息煙草の材料は印度大麻草であり,初版の日本薬局方から同エキス剤と共に収載.同チンキ剤は第三版から収載された.3 製剤は戦後の第六版日本薬局方で削除されたが,わが国では 66 年間大麻製剤が収載されていた.Cannabis 製剤が約 150 年前の江戸時代から日本で使用されていたことは特筆すべきことである.
  • 指田 豊
    2020 年 55 巻 2 号 p. 203-209
    発行日: 2020年
    公開日: 2021/01/28
    ジャーナル フリー
    目的:香の 1 種である詹糖香は「神農本草経集注」(502?536),「新修本草」(659)に初めて登場する.前書は樹の傷口から滲出する含油樹脂,後書はミカン類に似た植物の枝葉の煎じ液である.しかし,清代に至るまで基原植物の考察は行われていない.そこで,詹糖香の基原植物を明らかにする目的で研究を行った. 方法: 主として中国の本草書の調査を行った.詹糖香の基原植物と推定される植物については「新修本草」に基づいて濃縮水エキスを作った.エキスの香りは香司が評価した. 結果:唐の高僧,鑑真和上は海南島で詹糖香の樹を見ている.「唐大和上東夷伝」(779)に書かれた樹の特徴はゲッキツ Murraya paniculata(ミカン科)を思わせる.またその特徴は「新修本草」,「本草綱目」の記載と一致する.このように唐代(日本の平安時代)の詹糖香の基原植物はゲッキツである.清代の「植物名実図考」(1848)は詹糖香の基原植物をカナクギノキ Lindera erythrocarpa(クスノキ科)とした.現代の中国はこの説に従っている.しかしカナクギノキはミカン類とは似ていない.そこでゲッキツ,カナクギノのエキスが香として使えるかどうか実験を行った.「新修本草」に準じてエキスを作った.両エキスとも甘い香りがあり,香りの五味もよく似ていた.これらは香として十分使えるものであった. 結論:唐代の詹糖香の基原植物はゲッキツ,清代のそれはカナクギノキである.両植物から得たエキスの香りはよく似ており,香として使えるものであった.カナクギノキはゲッキツを産しない地域でその代用として使われたものと思われる.
  • 奥田 潤, 川村 和美, 大澤 匡弘
    2020 年 55 巻 2 号 p. 210-217
    発行日: 2020年
    公開日: 2021/01/28
    ジャーナル フリー
    目的:北欧エストニア国の首都タリンに,1422 年から現在まで,同一場所で 598 年間営業を続けている薬局がある.改修されているが,ヨーロッパでもっとも古いといわれる薬局でその名は「町(市)会館薬局」と呼ばれる.そこで本薬局の長期営業の歴史と理由を調べた. 方法:2018 年,Aarne Ruben 著「The Story of Town Hall Pharmacy」が出版された.2019 年,本論文の著者,川村・大澤が同薬局を訪問し,この英文の歴史書を入手し,写真を撮影した.奥田は,同書を要訳して本論文を作成した. 結果:同薬局が 598 年間継続した理由として次の 4 項目があげられる.1.本薬局の所有権は町(市)会館と薬剤師がもつ.2.半官半民の本薬局は,タリン市中心広場の東北角に位置し,顧客が得られやすく,市民から安心感と信用を得た.3.1583 年から 1911 年までの 328 年間は,ドイツ人 Burchart 家が 10 代にわたって本薬局を経営した.4.本薬局の歴代薬剤師と短期間代理を務めた医師が,人類愛の心をもち,ペスト流行時でも薬局から離れず,そのため市民から薬局が支持され続けた. 結論:半官半民の薬局の経営方法と 328 年に及ぶ Burchart 家の貢献と歴代薬剤師の愛情と責任感が,598 年にわたる本薬局の運営を可能にしたといえる.
  • 五位野 政彦
    2020 年 55 巻 2 号 p. 218-226
    発行日: 2020年
    公開日: 2021/01/28
    ジャーナル フリー
    序論:薬剤師による最初の救助活動は明治 24 年の濃尾震災でみられた.本稿では明治 43 年の関東大水害において薬剤師がどのような災害救助活動を行ったかを調査した. 方法:次の施設に収蔵されている資料ならびに著者蔵の資料を調査した.東京都公文書館,東京薬科大学図書館,国立国会図書館デジタルコレクション 結果・考察:薬剤師が行った活動は 2 つに分類される.1. 医薬品供給 : 府立の治療所からは被災者向けに処方箋が発行され,日本薬剤師会東京支部会員薬局での無料調剤が実施された.2. 飲料水の検査,消毒薬の配布等の衛生薬学活動:飲料水の検査は府の検査員と薬剤師が共同で行った.これらの薬剤師の活動に対して,後日褒賞が行われた.特に神奈川県薬剤師会は,内務大臣からの表彰対象になった.
  • 柳沢 清久
    2020 年 55 巻 2 号 p. 227-235
    発行日: 2020年
    公開日: 2021/01/28
    ジャーナル フリー
    目的:阿魏 Asafetida が掲載された生薬学書には,その成分として,新たに farnesiferol の掲載が見られた.Farnesiferol は sesquiterpen coumarins に属する化合物である.著者は farnesiferol を始めとして,近年,本品から新たに発見された多種類の sesquiterpen coumarin の化学構造,およびその活性効果について,文献調査を行った. 方 法:J-GLOBAL に て,sesquiterpen coumarins の 文 献 情 報 の 検 索 を 行 っ た. そ の 検 索 結 果 か ら 阿魏 Asafetida から単離した sesquiterpen coumarins の文献を抽出した. 結果:1950 年代~近年にかけて,分析化学技術の進歩により,阿魏 Asafetida の樹脂成分について,海外の研究者によって,数多くの sesquiterpen coumarins が単離,同定された.その端緒として,1950 年代後半,Caglioti らによって,farnesiferol A,B,C が単離された.阿魏 Asafetida から新たに発見,単離されたsesquiterpen coumarins の化学構造については,coumarins の umbelliferone 骨格を含んでいること,および炭素数 24(C24)で一貫している.Umbelliferone は炎症抑制作用があることが報告されていることから,阿魏 Asafetida 含有の sesquiterpen coumarins のいくつかにも,炎症抑制作用の可能性が考えられる.同含有成分の ferulic acid には,Aβ神経毒性抑制作用がある.これに特定の coumarins の炎症作用が加われば,アルツハイマー型認知症の認知機能の改善,およびその進行抑制が期待できる.さらに近年の研究で,sesquiterpen coumarins について,抗癌活性,抗ウイルス活性など新たな活性効果が報告された. 結論:この知見により,阿魏 Asafetida の生薬としての価値が再評価されるものと著者は考える.
  • 高乗 仁, 寺田 弘
    2020 年 55 巻 2 号 p. 236-240
    発行日: 2020年
    公開日: 2021/01/28
    ジャーナル フリー
    目的:安土桃山時代から江戸時代初期にかけて,武将・幕府官僚として活躍した柳生但馬守宗矩が認めた書状の中に,薬薗に関して言及した書状を発見した.本論文の目的は,書状に記載された人物の特定を通して,薬薗の特定と柳生宗矩の薬薗との関係を明らかにすることである. 方法:書状の釈文作成に基づき,書状記載の人物の特定,薬薗の特定,柳生宗矩を含む書状記載の人物と薬薗との関係を解析した. 結果:書状に記載の文面より,次の仮説が提案された.即ち,江戸幕府直営の御薬園の 1 つである京都鷹ヶ峰御薬園の設営において,徳川将軍家御典医であった岡本玄冶が,後に鷹ヶ峰御薬園の初代預かりに任命される藤林道寿と共に,主導的役割を果たし,また,柳生宗矩は,後見人としてその設営に関わっていたとする説である. 結論:書状は,京都鷹ヶ峰御薬園の設営に柳生宗矩を始めとする複数の人物が関与したことを示唆するものであることが明らかにされた.江戸初期の幕府による御薬園創設の政策経緯の詳細は詳らかにされていないが,柳生宗矩の本書状は,その解明に貢献する資料になるものと考える.
  • 五位野 政彦
    2020 年 55 巻 2 号 p. 241-244
    発行日: 2020年
    公開日: 2021/01/28
    ジャーナル フリー
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