魚類学雑誌
Online ISSN : 1884-7374
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9 巻 , 1-6 号
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  • 中井 甚二郎
    9 巻 (1962) 1-6 号 p. 1-115
    公開日: 2011/02/23
    ジャーナル フリー
    極東水域のマイワシ漁獲量は過去において大きな変動を示した。筆者は本種の生物学的知見を総合し, それに基づいて1900年代における漁獲量の変動機構を検討した。
    1.資源変動の追究に必要な生物学的知見を要約すると次の通りである。
    a.既往の報告によると極東水域におけるマイワシ類漁獲物の大部分はマイワシSardinops melanosticta (TEMMINCK & SCHLEGEL) である。
    b.マイワシは主として冬から春にかけて日本の中南部海域で産卵する。産卵場は資源の消長にともなって著しい変遷を示した。
    c.放出された卵の恐らく大部分は直ちに受精する。卵の発育速度と温度との関係はARRHENIUSの式で近似され, 温度係数μ は約31, 000である。卵黄吸収期前後の死亡率は非常に高く, 受精から全長15mmの後期仔魚期までの生残率は0.1%内外に過ぎない。
    d.年令は鱗に生ずる年輪によって推定される。成長度は春に増大し, 冬に減少する。生涯にわたる成長はBERTALANFFYの式で示される。成長曲線の一例を1949-51年に得られた資料に基づいて示すと次のとおりである。
    l=22.39 {1-e-0.87 (t-0.0483) } cm.
    e.個体の産卵回数に関しては十分な知見は求められていないが, 一尾の雌は年に2~3回産卵し, 1回に24, 000~48, 000の卵を産むと考えられる。
    f.卵黄吸収直後の後期仔魚は主として撓脚類の卵, 小型ノープリウスをとる。その後は動物性および植物性プランクトンをかなり無選択的に捕食する。
    g.本種は主として旋網, 流網, 定置網, 敷網, 地曳網, 船曳網で漁獲される。全分布域を通して見ると漁期は周年にわたる。漁場の分布は資源の増減と共に大きく変った。
    2.マイワシは日本において石器時代から漁獲の対象となっており, 19世紀以前にも本種の消長が漁村の興廃をひき起したことが記録されている。20世紀にはいり科学的調査が行なわれるようになってからマイワシ資源に認められた顕著な変動を要約すると次のとおりである。
    a.極東水域におけるマイワシ漁獲量は1910年以前は15万トン以下であったが, 1924年頃から急増を始め1935年頃には200万トンを越えた。1940年代に入ると漁獲量はいちじるしい減少を示し, 1945年には16万トンに過ぎなかった。その後多少の回復は見られ1951年には48万トンに達したが, 1955年には再び20万トンに急減した。1935年頃の豊漁期には主漁場は東北, 北海道の太平洋沿岸と北朝鮮沿海であった。この時代には漁獲海域は沿海州, 樺太にも拡がっていた。1945年以降になると北朝鮮, 沿海州, 樺太には産業的な意味での漁獲はあげられなくなった。1950年頃の主漁場は九州北西沿海に移り, さらに1955年以降になると能登半島を中心とする本州日本海沿岸が主産地となった。
    b・1940年頃までの豊漁期には九州南端の薩南海域が主な産卵場であった。漁場の場合と同様に産卵場の中心も1950年頃には九州北西沿海, 1955年頃には能登半島近海或はその以北に移行した。
    c.豊漁時代にはIII年魚が主産卵群で次いでIV年魚, II年魚が多かった。これに対して1950年以降における産卵親魚の多くはII年魚である。資源量の減少にともなう成長度の増大が認められた。たとえばIII年魚の平均体長は1940年頃には約18cmであったが, 1944年には20cmを越えた。近年におけるそれは20~21cmである。
    d.豊漁期には大回遊を行なう卓越群の存在が認められた。この卓越群は主として薩南近海を中心とする九州南部海域で産まれ, 卵, 稚仔時代に黒潮によって本州太平洋沿岸まで運ばれた。彼等はI年魚からII年魚時代には主に東北地方および北海道の太平洋沿岸に分布し, その主体はII年魚時代の末に日本海に移動した。III年魚時代に入り成魚となってからは, 日本海, 東支那海を分布域とし春に北上, 秋に南下した。第2次大戦後の不漁期になると大回游をする卓越群は見られず, かなり独立性の大きい地方群の存在が目立つようになった。
    e.豊漁時代には分布の末端水域で成長した親魚の大量斃死が認められたが, これが資源を減少させた主因であるとは考えられない。一方卵, 稚仔漂流の原動力となっていた黒潮の変化が1938年頃から注目された。これは発生初期における死亡率が高いという事実等と関連して重要な現象であると思われる。
    3.漁獲統計, 生物学的知見および環境条件に関する資料に基づいて1924年以降の極東水域における漁獲量変動の要因を検討して次の結果を得た。
    a.1924-33年における漁獲量増大には漁業の発展のみでなく, 資源量自体の増大が関与している。
    b.1940年代における漁獲量の急激な減少は産卵場から漂流中の稚仔の大量斃死による資源量の減少に基づくものである。
    c.1949年以降における主分布海域であり, 又主漁獲海域でもある対馬海流域の漁獲量減少は主として資減量の減少によると考えられる。
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  • 末広 恭雄
    9 巻 (1962) 1-6 号 p. 117-126
    公開日: 2010/06/28
    ジャーナル フリー
    Fishes were figured on Ancient Egyptian temples (Pyramids and others) in the past history. The Egyptian fishes are present in four region: Nile, Lakes, Mediterranean Sea and Red Sea.
    1) Fishes of the Nile were first described scientificall b FORSCAL 1775 andsome of them are preserved in Denmark Museum. Many other scientists dealt with these fishes, among whom we can mention BRUCE (1790), BOULENGER (1907), KARAM (1940) who classified them into families, genera and species, and SUYEHIRO (1958) who studied the peculiar swimming of Synodontis nigrita.
    2) Fishes of Lakes were described by MITCHELL (1895), HILGENDORF (1903) and others.
    3) Fishes of the Mediterranean Sea were studied by several workers, the most important of whom was WIMPENNY (1934) who described the species shown in table 1.
    4) Fishes of the Red Sea were described by FORSCÅL (1775), RÜPPELL (1826), KLUNZINGER (1870), 1871 and 1884, in table 2), SMITH (1959) and others. Fishes of order Plectognathae were studied in details by CLARK and GOHAR (1953) from Al-Ghardaqa.
    The writer refers also the mummy of fishes in Ancient Egypt.
    Now the research workers in Universities of Cairo, Alexandria and Ein-Shams as well as those in the Oceanographic Institute of Al-Ghardaqa and the Hydrobiological Institute of Alexandria deal with all these fishes from several points of view.
    The production of fishes in Egypt in 1957 is shown in table 3 which was made by the help of Dr. LATIF. The total production is about 38, 894, 314 kgs. (21, 536, 630) kgs from inland water and 17, 357, 684 kgs from sea-water). In comparing this amount and the population of Egypt with the total fish production of Japan in the same year (5, 407, 544 tons) and our population we can find that the consumption ratio of every Egyptian is about 1/28 of the Japanese one.
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  • 本間 義治
    9 巻 (1962) 1-6 号 p. 127-134
    公開日: 2010/06/28
    ジャーナル フリー
    Here the author has furthermore enumerated twenty unrecorded species of fishes with brief descriptions, which are to be newly added into a list of fishes of Niigata Prefecture and its adjacent waters of the Japan Sea side. The author has now checked 501 species of fishes from the waters around Niigata Prefecture.
    Among the fishes listed herein, there are one small freshwater fish, Biwia zezera, three youngs of fishes, Zenopsis nebulosa, Chaetodontoplus septentrionalis, and Tetrao don stellatus, which were transported by warm Tsushima Current, and one rare bramid fish, Taractes platycephalus. It is interesting to find distribution of an apodal fish, Muraenichthys gymnotus, in the coast of Sado Island. Thirteen records of col lection of the dealfish, Trachipterus ishikawai, are also given in this paper, which were obtained in the sea surface and coast of Niigata to Yamagata Prefectures during February 1960 to May 1961.
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  • 本間 義治, 田村 栄光
    9 巻 (1962) 1-6 号 p. 135-152
    公開日: 2010/06/28
    ジャーナル フリー
    ビワ湖産コアユの生殖腺にみられる季節的変化について, 組織学的に観察し, つぎのような諸点を明らかにした。
    1.コアユの生殖腺の発育は生殖細胞の数の増加および成長と相関しており, そのさい, 外部形態にも変化を伴う。
    2.11~12月に得たヒウオの生殖腺は, 腹膜の背方の一部分が膨大したものにすぎないが, 性分化の状態は確かめ得なかった。1月には, 卵, 精巣の区別が明瞭となり, 卵巣内には第1次卵母細胞が, また精巣内には精原細胞が認められる。
    3.卵巣卵は, 1~7月までの間は無卵黄期の段階のままにとどまり, 産卵期間近の8~9月になると, 急激に卵黄形成が進展し, 成熟期に入る。卵巣卵の発育度は決して一様ではないが, 体の成長がおさえられたまま成熟させねばならないことが一因らしい。
    4.越冬したコアユの卵巣には, 卵巣外被や小葉膜 (卵巣褶) にそって染色仁期に属す若い卵群が認められた。これらは, 多分残渣卵原細胞に由来したものらしい。また, その後これらの卵に卵黄形成が行なわれ, 機能卵にまで発達するかどうかも不明である。越年アユの卵巣卵は, 部分同時発生型に入る。
    5.経産卵巣内に存在する閉鎖卵の黄体形成過程において, 肥大した顆粒層細胞は単に, 卵膜や卵黄を侵食, 吸収することに関与しているだけらしい。この黄体形成過程には, A-, B-, C相のものがみられたが, 終局的な黄体と目されるD相のものは, 認められなかった。しかし, 卵巣内の結合組織内には, 排卵痕に由来したと思われる多数の黄色顆粒群が散在していた。
    6.1~6月の間に捕えたコアユの精巣には, 成長期の第1次精原細胞, およびこれらの増殖分裂がみられる。夏季には成熟分裂が盛んになり, 生殖期が近ずくと急激に精子形成が進展し, 9月には精子が完成され, 放精が行なわれる。1精巣内のそれぞれの小室における精細胞の発育度の差は, まず認められない。
    7.放精した精巣の小室壁には, 新たに作られた休止期の精原細胞層が認められた。これが雄魚の生存期間中に機能的な精子にまで発育するかどうかは不明である。なお, 間充織内の細胞には, 2型が区別できた。
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  • Juraj HOLCIK
    9 巻 (1962) 1-6 号 p. 153-162
    公開日: 2010/06/28
    ジャーナル フリー
  • Tokiharu ABE, Shiro SHINOHARA
    9 巻 (1962) 1-6 号 p. 163-171_1
    公開日: 2010/06/28
    ジャーナル フリー
    Three species of lutianid fishes of the genus Paracaesio, namely, P. caeruleus (KATAYAMA), P. kusakarii ABE and P. tumidus (TANAKA), are important food-fishes in Japan and Ryukyu Islands. In addition to these species, there occurs another congener in Ryukyu, and, though not commonly met with, it is known as “ Hingashitchu* ” among a few experienced fish-dealers in the island of Okinawa, one of the Ryukyus. In 1960, the junior author suggested without giving it a new scientific name that the “ Hinga-shitchu ” might represent a new species, and since passed on the specimens of this fish to the senior author who has access in Tokyo to thousands (of caeruleus) or hundreds (of kusakarii and tumidus) of individuals of the three congeners mentioned above in a year. As these members of Paracaesio are subject to considerable individual variation in the shape of the body, coloration, size and arrangement of teeth, etc. (probably correlated with the sexes at least partly), and as the number of the specimens of the “ Hinga-shitchu ” available is so small, it took some time before the present authors have been led to the conclusion that a new scientific name should be given to the “ Hinga-shichu ” and that it is very closely related to Apsilus fuscus** KLUNZINGER (not of VALENCLENES, 1830) known from Red Sea and Paracaesio xanthurus (BLEEKER) from the East Indies.
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