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30 巻, 4 号
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  • 小島 幸彦
    1982 年 30 巻 4 号 p. 117-147
    発行日: 1982/03/25
    公開日: 2007/09/28
    ジャーナル フリー
    (1)サシバ Butastur indicus のテリトリーとテリトリー行動について,大阪府河内長野市で1979年4月1日から7月20日まで3番い(A,B,C)を対象に調査を行った.
    (2)観察個体が止まり木として利用した樹木の位置と飛行中の移動跡を地図上に記録し,それらの最外郭を結んで行動圏とした.行動圏内に,個体が止まった樹木位置のすべてを含むような凸多角形を書き,パーチング•エリア(perching area)とした.テリトリー所有個体が侵入個体を追跡して行き,追跡を打ち切った地点の最外郭を結んでテリトリーとした.
    (3)雄の行動圏面積は平均191.63ha,雌のそれは平均152.37haであった.番いごとに雌雄の行動圏は互いによく重なっていた.隣接異性間,同性間ともに行動圏の重複が著しかった.
    (4)A番いの雌雄の行動圏およびパーチング•エリアの形状と面積の季節的変化を検討した.繁殖ステージが進むにつれて,雌の行動圏とパーチング•エリアは番い相手の雄のそれらに重なっていった.
    (5)テリトリー所有個体が他個体に対して何らかの攻撃的行動を示した観察例を攻撃的出会いとし,テリトリー所有個体が他個体の存在を許容した観察例を許容的出会いとした.他個体と出会ったサシバのテリトリーとテリトリー行動145際に番いの雌雄がとった行動は,容認,威嚇,鳴き帆翔旋回,羽ばたき旋回,急降下,樹上追跡,空中追跡,足蹴り攻撃の8類型に分類された.各行動型の記載をした.
    (6)総出会い数に対して許容的出会いの占める割合を許容率とした.出会いの相手に対する反応の雌雄差をこの許容率をもとに検討した.番いの雄の方が雌より他個体に対して攻撃的であり,その攻撃性は相手が成鳥,幼鳥,異種の順に減少した.番いの雌は同性の出会い相手に対して最も攻撃的であり,その程度は雄同士のそれと同様であった.
    (7)テリトリー所有個体は,飛行高度300m以上の個体に対しては許容性を示し,高度300m以下の個体に対しては攻撃性を示す傾向が認められた.これは,テリトリーの3次元構造を示唆するものである.隣接番い間での著しい行動圏重複は,このテリトリーの立体構造によって説明できる.
    (8)番いの雄の場合は出会いの83.5%が攻撃的行動へ推移し,雌の場合は出会いの48.9%が攻撃的行動へ推移した.テリトリー所有個体が他個体と出会って最初にとる行動は主に威嚇または追跡(樹上追跡,空中追跡)であった.侵入個体がテリトリー内に長時間滞在すれば威嚇と追跡の行動型を中心に攻撃的行動が循還的に生じた.
    (9)種間の出会いでも,テリトリー所有個体が最初にとる行動は,主に威嚇または追跡であった.種内の出会いに比べて種間の出会いでは,攻撃的行動は比較的短い行動連鎖で終結した.種間の出会いでは,出会い数が少ない割に足蹴り攻撃が多く観察された.
    (10)アカマツ,クロマツ,スギ,ヒノキなどの針葉樹がサシバの止まり木としてよく利用された.番いの雌雄ともに利用回数の多い樹木ほど雌雄間の共用率が高かった.番いが利用した樹木は,狩り場と営巣林に最も集中的に分布していた.
    (11)テリトリー面積は雄では平均112.14haで,行動圏の約60%を占めた.雌のテリトリー面積は平均58.90haで,行動圏の約40%を占めた.テリトリーとパーチング•エリアは互いによく重複していた.テリトリー所有個体が侵入個体に対して威嚇を示す地域は,侵入個体に対して追跡行動によって実際に防衛する範囲,つまりテリトリーとほぼ一致した.
  • 横田 義雄, 呉地 正行, 大津 真理子
    1982 年 30 巻 4 号 p. 149-161
    発行日: 1982/03/25
    公開日: 2007/09/28
    ジャーナル フリー
    日本のガンは,明治維新まではかなり多かったと思われるが,狩猟の圧力と農工業の発展に伴う生息環境の悪化により,羽数が減少の一途をたどり,1960-1970年頃には10,000羽以下(表5)となった.1971年にガン類はすべて狩猟禁止となった.1980年現在の渡来数は10,000-15,000羽(表2)で,そのうちマガンは約60%,ヒシクイは約35%,コクガンは約5%である.シジュウカラガンは1970年以降は伊豆沼で毎年1-3羽,カリガネも1975年以降伊豆沼で毎年数羽見られているが, ハクガン,サカツラガン,ハイイロガンは日本では稀である(表4).
    日本のガンの越冬地は9か所で,うち3か所はコクガンの越冬地である(図1).残りの6か所はマガンとヒシクイの越冬地で,太平洋岸にあるのは宮城県伊豆沼(ガンの最大羽数の渡来地)1か所である.他の5か所は日本海岸にあり,羽数は少ない(表2).渡りの中継地は13か所で,うち11か所は北海道にある(図1).渡りのコースは図3,4,5に示した.
    毎年9月下旬に渡来し始め,10-11月に最大羽数となり,3月に渡去を開始し,3月下旬から4月に北海道に集結し4月末から5月初めに日本を離れる.
    日本のガンの最大羽数カウントは,12月の上•中旬頃,降雪期の前がよい.降雪によりガンが分散するため有効なカウントが困難になるためである.
    マガンとヒシクイの採食する植物は,水田の籾(落穂,落籾),畦の雑草,ヒシ(Trapa)やマコモ (Zizania),その他の水生植物である.コクガンはアマモ(Zostera),アオノリ(Enteromorpha),養殖ノリ(Porphyra)を食い,陸上採餌はしない.
    日本のガンの羽数減少は明治以来進行していたが,第2次世界大戦以後の1950-1970年間に急減したことは注目に価する.これは日本のガンの特徴と言ってよく,根本的な保護対策が望まれる.
  • 田宮 康臣, 青柳 昌宏
    1982 年 30 巻 4 号 p. 163-164
    発行日: 1982/03/25
    公開日: 2007/09/28
    ジャーナル フリー
    筆者らは南極ロス島バード岬のアデリーペンギン北ルッカリーにおいて,ナンキョクオオトウゾクカモメが,ペンギンの巣からいったん奪い,放棄した生卵を1個採集する機会に恵まれた.そこでこの生卵をルッカリーの中に営巣する一番いのナンキョクオオトウゾクカモメの巣中に入れ,抱卵させる実験を試みた.ナンキョクオオトウゾクカモメはアデリーペンギンの卵を継続して抱卵し,20日後に孵化させた.孵化したアデリーペンギンのひなは,ナンキョクオオトウゾクカモメによってガードされたが,餌を与えられることには成功せず,数日でおそらく飢えのため死亡した.これは,親とひなとの間で給餌行動のパターンが一致せず,また餌の種類や給餌様式もまったく違っているためと考えられる.
  • 呉地 正行, 横田 義雄, 大津 真理子, 小野 登志和, 星子 廉彰
    1982 年 30 巻 4 号 p. 165-167
    発行日: 1982/03/25
    公開日: 2007/09/28
    ジャーナル フリー
    Lake Izunuma, Miyagi Pref., has the largest population of geese wintering in Japan. On 8 October 1980 we found a juvenile Swan Goose Anser cygnoides at the lake in a flock of White-fronted Geese (Fig. 1). This bird, the sole Swan Goose recorded in the winter of 1980-81 in Japan, was always observed together with White-fronted Geese. We followed up the Swan Goose, as a marker of the movement of the Izunuma White-fronts, during the northbound migration. It took the course from Lake Izunuma to Hachiro-gata in Akita Pref. (observed 13 March 1981) and then to Seika-ko in Hokkaido (observed 8 April to 5 May 1981) (Fig. 2). The route thus brought out is a second northbound migration course of the Izunuma White-fronted Geese, the main route being the course from Lake Izunuma to Hachiro-gate and then to Ishikari Plain in Hokkaido (Fig. 3).
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