犯罪統治のアクターとしてのコミュニティは, ─「社会的なものを通した統治」から「コミュニティを通した統治」へ,といった物語に象徴されるように ─近年においてその存在感を高めていると言われる.本論文の前半では,「シカゴ・エリア・プロジェクト」や「青少年動員計画」に代表されるようなコミュニティ・オーガニゼーション・アプローチの展開を振り返りながら,そうした物語に疑義を呈し,実のところ犯罪統治のアクターとしてのコミュニティには,福祉国家期より重要性を付与されてきた長い歴史があることに注意を促す.翻ってその歴史は,犯罪統治実践に関わるコミュニティ組織が,“個人の変容やそれを条件とした社会的包摂ではない,社会の変革を通した社会構造上の抑圧・差別・不平等の解決”(「統治の社会化」)にさまざまなかたちで挫折していく歴史でもあった.さらに,近年の新自由主義・新保守主義的な「コミュニティを通した統治」のなかでは,コミュニティ組織は“犯罪者が責任化された主体として立ち直りを果たすように支援すること”を責任化されるようになってきており(「責任化の責任化」),コミュニティが「統治の社会化」に寄与する方途はますます先細っているように思える.現代において,「統治の社会化」はどのように展望されるべきだろうか.本論文の後半では,犯罪統治実践におけるいくつかの経験的事例(治療共同体,ハームリダクション,アボリショニズム)を手がかりに,この問いに対する探索的な考察を試みる.
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