日本における高気圧酸素治療の最初の報告は東京大学の古田とその共同研究者によって1963年に行われた。続いて1964年,札幌医大の和田らも高気庄酸素治療の実験成績について報告した。わが国における高気圧酸素治療の研究は,これらの二つのグループによって始められた。1年後には,名古屋大学でも, この研究が開始された。
1969年までの数年間,高気圧酸素治療は熱狂的ともいうべき関心をもって,日本の医学の広い分野に導入が試みられたが,二度の火災事故,とりわけ1969年に発生した東京大学の事故によって,最初のブームは急速に冷却された。これらの事故は,高気圧酸素治療が極めて危険な治療法であるという誤解を一般の医師や社会に持たせてしまった。この研究を行う医師は急激に減少し,この治療を中止する病院が増加した。
日本高気庄環境医学会は「高気圧酸素治療の安全基準」を制定して,その後の事故の続発の防止に大きな努力を払ったが, しかし,冷却された情熱を再び呼び起こすことは困難であった。
それから数年後, 1971年に行われたSMON(subacute myelo-optico-neuropathy)に高気圧酸素治療が有効であるという岩手医大の鈴木の報告は, この治療が置かれた困難な状況を解決する第一歩となった。
後にSMONはキノフォルム中毒であることが判明したが,1971年当時は,この疾患の原因は不明で,確実な治療法も発見されていなかったので,この疾患は,その時期の日本においては大きな社会問題であった。鈴木の報告は強い関心を集め,これを契機として,この治療の有効性と安全性が再認識されるようになった。
その後日本では網膜動脈閉塞や突発性難聴などの新しい多数の適応が開発され,現在では,臨床医療の有用な手段としての地位を確立した。
高気圧酸素治療のための装置の開発と改良にも多くの努力が行われ,現在では世界の水準を越える優秀な装置が製作されている。
この論文では日本における高気圧酸素治療の歴史を要約し,また将来を展望したい。
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