築堤以前の多摩川河畔は,地形条件に応じて荒地,草地以外は林地,竹林,桑畑,普通畑,水田,果樹栽培などに利用されていた.1918年以後漸次築堤が完成し,幅広く分布する高水敷は治水上,荒地,草地となっていたが,第二次大戦中ないし戦後の食糧難時代には普通畑としての利用が盛んであった.1960年代の高度成長期に入り,周辺が都市的土地利用へと移行するにしたがって高水敷はゴルフ場,野球場その他の運動場などに利用されるようになった.とくに1964年の東京オリンピック,1966年の第一次開放計画,更には第二次開放計画がスタートとして,市民のためのオープンスペースとして開放されるに至った.下流部は感潮域に属し,レジャーボート,遊漁船などの水面利用も盛んであるが安全性の獲保が注目される.河川敷利用,わけても高水敷利用は,その適正化をはかるため土地利用変遷の歴史的,社会的経過をふまえた上で,洪水発生頻度などを考慮した対応が急務であると考えられる.
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