スポーツ社会学研究
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13 巻
選択された号の論文の7件中1~7を表示しています
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  • 佐伯 年詩雄, 平野 秀秋, 黄 順姫, 亀山 佳明, 萩原 美代子, 清水 諭
    13 巻 (2005) p. 1-10
    公開日: 2011/05/30
    ジャーナル フリー
  • ブルックス アンドリュー, 前田 和司
    13 巻 (2005) p. 11-22,121
    公開日: 2011/05/30
    ジャーナル フリー
    本稿では、オーストラリアの事例を用いながら、アウトドア・アクティビティと、自然及び社会の関係について検討する。それは、外国から持ち込まれた植物、動物、あるいは農業実践が過去において環境問題を引き起こしてきたように、普遍的な形態にあるアウトドア・スポーツやアウトドア・レクリェーションが、オーストラリアにとっていかに不適切であるかを検討することになる。そして、アウトドア・スポーツやアウトドア・アクティビティが、意図的であれ無意図的であれ、どのように環境教育の一種と見なされているかを議論する。本稿では、アウトドア・スポーツやアウトドア・アクティビティがどのように形成され、どのように広範な社会に貢献するのかを理解するために、それらを社会的、文化的に構成されたものとしてだけではなく、地理的に構成されたものとして理解されなければならないことを述べる。そして3つの事例を提示する。(1) オーストラリアにおけるブッシュウォーキングの歴史は、ある土地を理解しようという欲求に主として駆り立てられた社会運動が、公教育と訓練科目の影響の下で、その土地を不慣れで精通していない場所とみなすことに基づいた一般的なアウトドア・スポーツへといかに変容させられたかを描き出す。(2) Lyell Forest 固有の歴史と特性は、その森の、地元コミュニティにおける様々な理解を形成するアウトドア・アクティビティの多様なパターンと交差する。この事例は、アウトドア・アクティビティがコミュニティの中で環境的知識をどのように分配するか、そしてコミュニティの関心をどのように形成するのかを見せてくれる。(3) 輸入されたスポーツとしてのクロスカントリー・スキーは、オーストラリアの山岳地帯を普遍的な遊び場へと変容させようとするテクニカル・スポーツとみなすことができ、それはある種の誤った環境教育である。ここでは、クロスカントリー・スキーを、ローカルな環境に対して敬意を払うために、どのように展開させることができるかについて議論する。
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  • 須藤 春夫
    13 巻 (2005) p. 23-37,122
    公開日: 2011/05/30
    ジャーナル フリー
    メディアにとってスポーツの存在は、競技の事実を伝える報道対象にとどまらず、メディアの普及やメディア間の競争を有利に展開する手段として利用されている。日本では戦後、全国紙の部数競争にプロ野球が広告シンボルとして利用されたが、民放テレビの全国普及によってプロ野球は視聴率を獲得する有力な番組コンテンツとしての機能を担うようになった。1990年代以降は、国際的潮流においても人気の高いプロサッカー、オリンピックなどのスポーツ競技が、メディア (とりわけテレビメディア)の有力なコンテンツとしての地位を占めるに至り、これらのスポーツ放送権を獲得する競争が熾烈化している。メディアとスポーツの癒合は、一方でメディア技術の発展によって進行するが、他方ではメディア市場におけるスポーツの独占的な「囲い込み」の結果であり、スポーツはメディアの経営戦略に大きく影響を受けることになる。メディアにとってスポーツはコンテンツ商品であり、メディアマーケティングの対象として扱われるが、スポーツも自らの商品価値を高めるためのマーケティングによってメディア対応を図ることから、市場を媒介とする両者の融合はいっそう進展する。マルチメディア時代に入りメディアの多様化と競争の激化は、スポーツコンテンツをさらに重視するが、スポーツビジネスに成功することがスポーツの発展を意味しないのは、ヨーロッパのプロサッカーチームの消長が示している。スポーツを楽しむファンの存在を脇に置き、市場の作用力がスポーツ全体を覆い尽くす現状は、メディアで「見るスポーツ」を人間の身体性の表現行為からエンターテイメントと広告媒体のコンテンツに変容させたといえよう。
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  • 渡 正
    13 巻 (2005) p. 39-52,123
    公開日: 2011/05/30
    ジャーナル フリー
    障害者スポーツをめぐっては現在のスポーツが抱える問題点がもっとも顕在化する場として、また近代スポーツのオルタナティブについて思考する場として議論が蓄積されてきた。そのため今まさにスポーツを実践している「障害者」の姿や経験が議論から遠景化してしまっていたことは否定できない。
    本稿はこうした問題意識から、車椅子バスケットボールチーム、選手への調査をもとに、「障害者スポーツ」、「障害者」カテゴリーが実践当事者にとってどのように把握されているのか、また、スポーツを実践する彼らにとって、自己の「障害」や他の「障害者」がどのように把握されているのかを明らかにする。
    彼らは、身体条件の平等性という前提が崩れていることを知りながら、あえて競技スポーツの中でスポーツを実践していた。また支配的社会から押し付けられた「健常者/障害者」カテゴリーのなかで、選択的に「にせものの障害者」という位置を占めてもいる。さらに、車椅子バスケットボールを健常者社会の押し付ける「障害者スポーツ」ではなく「スポーツ」としてカテゴリーをずらし、「健常者/障害者」という恣意的なカテゴリーを行き来する姿が、車椅子バスケットボール選手へのインタビューから明らかになった。これは彼らのスポーツの実践のなかから、スポーツとともに生み出された「スポーツにおける障害者観」ということができる。
    だがこのとき彼らの実践が、自ら選択的にカテゴリーを「ずらし」、カテゴリーの自明性を崩している一方で、「重度者」を「障害者カテゴリー」として実体的に措定するという、極めて両義的な性格を有していることも明らかにした。
    スポーツ社会学領域における障害者スポーツ論は「障害者」と名指されて生きざるを得ない彼らの生にとって、さまざまな生活の一断片に過ぎないスポーツ場面における経験が何をもたらしているのかを詳細にみていくことが求められていることを指摘する。
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  • 稲葉 佳奈子
    13 巻 (2005) p. 53-67,124
    公開日: 2011/05/30
    ジャーナル フリー
    本稿は、日本のスポーツとジェンダー研究の新たな視角を提示することを目的とする。日本のスポーツとジェンダーを問題にしたいくつかの研究をとりあげ、それらがスポーツの何を問題にし、それをどのように分析し、スポーツのどこに変容の可能性を見出しているのかという点に注目しながら、これまでの議論を整理した。このとき理論的に依拠しているのは、バトラーの『ジェンダー・トラブル』[1990=1999]におけるジェンダー論である。したがって、本稿が用いるジェンダーという語には、社会的・文化的な「性」のみならず、身体レベルでの「性」が含まれる。
    これまでの研究によって、スポーツによる/における「男/女」の構築や、それを支えるのが異性愛主義であることなどが明らかにされてきた。それらは日本のスポーツとジェンダー研究の大きな成果である。しかし一方で、本稿がとりあげた先行研究の検討から、それらが異性愛主義の問題性をいかに認識するかという点においていくつかの課題をもっていること、それゆえに、模索されているスポーツの変容の可能性においても、ある「限界」が内包されているということが明らかになった。
    そうした状況の乗り越えを図るために、以下の結論を示した。変容の可能性は、異性愛主義体制において「男/女」が構築されるときの「失敗」に見出せる。したがって、今後の研究に向けて想定され、日本のスポーツとジェンダー研究におけるもう一つの視角として提示されるのは、異性愛主義体制の「内部」からの「攪乱」である。そのような視角からの理論的検討は、スポーツによる/における「『男/女』の完璧な構築」プロセスでつねにすでに起きているはずの「失敗」を、あるいはその瞬間を、そして「失敗」を生みださずにはいられない体制の非本質性を、理論的に可視化して示してみせることになる。
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  • 高橋 豪仁
    13 巻 (2005) p. 69-83,125
    公開日: 2011/05/30
    ジャーナル フリー
    本研究では、スポーツ観戦を介して形成された同郷人的結合を検討するために、1つの事例として、関西に在住する広島東洋カープのファンの集まりである近畿カープ後援会を取り上げ、この集団の設立母体であった近畿広島県人会に言及しつつ、後援会が如何にして形成されたのかを明らかにすることを目的とする。戦後の復興期において広島と大阪の間の物流のパイプ役として近畿広島県人会は機能しており、広島県から近畿圏への労働力のスムーズな移動に貢献していた。目に見える形で広島との繋がりを意識することのできるスポーツ観戦は、広島県人会のメンバーにとって、大阪の広島県人としてのアイデンティティを確認する場であり、広島県人会の政治経済的秩序を正当化する上でも必要とされていた。
    大阪カープ後援会結成のための共感の共同性を作り出したものは、単なる故郷に関する共通の記憶ではなかった。それはカープによって上演されたV1の物語であり、広島から大阪に出て来て働くという共通の体験を再帰的に映し出す社会的ドラマだった。このドラマの持つ力によって、広島県人会の活動の一部であったカープの応援が、1つのアソシエーションとして県人会組織から独立し、大阪カープ後援会となったのである。
    後援会はその設立以来、広島県人会と同様に同郷集団的機能を有しており、後援会に所属する広島出身者は大阪で「故郷」広島を発見し、アイデンティティをそこに見出しつつも、自らを大阪に結びつけながら、自己のアイデンティティを位置化していた。しかし、一方で、1970年代後半からのカープ黄金期には、カープによって同郷的アイデンティティを持ち得ない人も入会し始めることとなった。同郷団体である広島県人会の体制を象徴的側面から支えていたスポーツ観戦・応援行動が、1つのアソシエーションとして独立した時、そこに同郷人的結合に拠らない結節が混在するようになったのである。
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  • 吉田 幸司
    13 巻 (2005) p. 85-97,126
    公開日: 2011/05/30
    ジャーナル フリー
    2002年日韓ワールドカップ開催のために、候補地自治体は各地で新しいスタジアムを建設した。埼玉県によって建設された県営埼玉スタジアム2002も、その一つである。埼玉県はスタジアム建設当初から地元のJリーグチーム、浦和レッズのホームスタジアム誘致をめざしてきた。しかし、スタジアム完成から3年以上が経過しても、浦和レッズのホームスタジアムは、さいたま市営の浦和駒場スタジアムのまま、移転はなされずにきた。
    このホームスタジアム移転をめぐって、県とクラブはそれぞれの思惑で埼玉スタジアムの移転・使用の正当性の根拠として「公共性」を主張してきた。本稿ではまず、スポーツ社会学領域における公共性論を、暫定的に「スポーツの持つ公共性」を論じる立場と、「スポーツの創造する公共性」の可能性を探る立場という、二つの潮流として整理し、その上で、浦和レッズ・サポーターへの参与観察を元にした、事例研究を考察した。
    埼玉スタジアムを核とした「スポーツによるまちづくり」という公共事業が公共性=公益性を担保する、というロジックを「大義」とした埼玉県の思惑にレッズ・サポーターは一方的に屈服してしまうことなく、また表立って抵抗するわけでもなかった。だがそれでもホームスタジアム移転をクラブは留保してきた。その理由を「聖地」駒場で築き上げてきたレッズ・サポーターの「浦和スタイル」に見出す。
    本論文は、このホームスタジアムの移転に際して、これまで県やクラブの主張する公共性の「大義」に、レッズ・サポーターはかかわることがなかったことを踏まえ、それでもこの移転問題に「かかわらざるをえない」レッズ・サポーターを、その浦和スタイルから捉えかえす試みである。
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