スポーツ社会学研究
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19 巻 , 1 号
選択された号の論文の7件中1~7を表示しています
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特別寄稿
  • 広田 照幸, 河野 誠哉, 澁谷 知美, 堤 孝晃
    19 巻 (2011) 1 号 p. 3-18
    公開日: 2016/09/13
    ジャーナル フリー
     本論文の目的は、高度成長期(1950~60年代)における若い低学歴労働者がスポーツに対する強い希求(あこがれ)を持っていたことを確認した上で、その希求がその後どうなったのかを、各種の社会調査の報告書を再分析して明らかにする。
     高度成長期には、まだスポーツ施設が十分作られていないだけでなく、若い低学歴労働者は所得が低く、生活時間に余裕がなかったため、十分にスポーツを楽しむことができなかった。特に男子の労働者たちは、余裕ができたらスポーツを思いっきりやりたいと考える者が多かった。1960年代後半~70年代には、スポーツ享受を阻んでいた上記の諸要因が次第に克服されていった。
     本稿で立てる問いは2つである。1)後続の若い世代、すなわち、1970~80年代の若者たちも、スポーツに対する同様の希求を保持していたのか。2)高度成長期に勤労青少年だった世代は、その後の人生でどうスポーツを享受していったのか。
     一つ目の問いへの答えは、次の通りである。後続の世代の若者も、同様にスポーツに対する強い欲求を示した。しかし、①彼らは、スポーツ以外のさまざまなレジャーや活動にも興味を拡大させ、その結果、スポーツがもっとも強いあこがれの対象ではなくなった。②彼らは、高度成長期の若者がやりたがっていたスポーツではない、新しい種類のスポーツを求めるようになった。
     二つ目の問いへの答えは次の通りである。①高度成長期に若者だった世代は、年齢の上昇につれて、次第にスポーツ実施率を低下させていった。②スポーツの種類もスポーツ活動の目的も、年齢の上昇につれて変化していった。③彼らが中高年の年齢層になると、軽い運動を頻繁に行う者からまったくスポーツをやらない者まで、ライフスタイルに関して大きな幅が見られるようになった。
     以上の考察から、本論文は、ある世代の若者がスポーツにどういう意義を見出すかは、その時代に固有の社会的条件によって強い影響を受けていること、及びスポーツが個人の人生で果たす役割は多様であることを主張する。
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特集のねらい
原著論文
  • 菊 幸一
    19 巻 (2011) 1 号 p. 21-38
    公開日: 2016/09/13
    ジャーナル フリー
     本稿の目的は、スポーツ社会学における歴史社会学の可能性とは何かを明らかにすることである。
     そこで、本稿では第1に、社会学における歴史社会学の性格や位置づけの特徴が、近代社会に対する予見的で社会科学的な理論的認識を強化する方向性をもつことを明らかにした。その上で第2に、スポーツ社会学における歴史社会学の特徴も、そのような社会学における歴史社会学の成立に影響され、その範囲でスポーツの近代性を特徴づけるための「中範囲の理論」をスポーツの歴史現象に求める傾向があることを示した。そこでは、具体的にスポーツのプロフェッショナル化や暴力、あるいは伝統の発明や文化の翻訳というテーマが取り上げられている。また、このような歴史社会学的視点は、スポーツ社会学において主要な研究方法となっている量的社会調査の説明においても応用可能性をもつものである。
     一方、歴史社会学の対象としての「近代」とそれに基づくスポーツ認識からの問題設定の限界を超えるためには、その歴史認識の限界を指摘しなければならない。本稿では、平野[2005]が述べる、所謂「詩人の追放」をキーワードにしてギリシャ哲学の認識論にまで遡り、グローバル課題に向けた社会学的想像力を生み出す歴史社会学の新たな可能性を模索した。そこでは、従来のメディア・スポーツ研究の射程を超えた、人類史的な観点を含んだメディアとしてのプレイやゲーム、スポーツに対する歴史社会学的研究の重要性と可能性が示唆された。なぜなら、スポーツ社会学における歴史社会学の新たな可能性が、「スポーツ」という対象だからこそ拓かれると考えるからである。
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  • 坂 なつこ
    19 巻 (2011) 1 号 p. 39-40
    公開日: 2016/09/13
    ジャーナル フリー
     本稿では、日本におけるエリアス学派のスポーツ研究を概観し、そのインパクトや可能性について考察する。1980年代以降、スポーツ状況の多様化を受けて、体育・スポーツ研究は、新たな理論的枠組みを模索してきた。そのなかで、N.エリアスの研究はその理論的可能性を評価されてきた。しかし、スポーツ研究においては、「文明化の過程」、「自己抑制」、「暴力論」などが強調され、エリアスの社会学的方法論をそれらと結びつけ、理論構築する試みは限定的である。エリアスの文明化論や暴力論は、彼の社会学的方法論から導かれたものであり、伝統的な二元論や認識論を克服する試みでもあった。「スポーツ化」や「開かれた諸個人」といった概念を方法論から読み解くことによって、グローバリゼーションにおける新たなスポーツの可能性を考察する理論的枠組みを提示しうる。
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  • 市井 吉興, 山下 高行
    19 巻 (2011) 1 号 p. 55-72
    公開日: 2016/09/13
    ジャーナル フリー
     本稿では、日本のマルクス主義のスポーツ研究の特徴を明らかにすることを試みる。この目的のため Carrington and McDonald により編集された近年のマルクス主義のスポーツ研究を分析した著作をとおし、英語圏のマルクス主義のスポーツ研究の推移を明らかにし、日本のマルクス主義のスポーツ研究と比較する。また日本のマルクス主義のスポーツ研究史を簡単に要約する。
     私たちが結論とするのは、第一に、日本のマルクス主義のスポーツ研究は、実践的な観点から日本の資本主義社会で克服する必要のあるものとして、より多くスポーツそのものの課題に焦点を当てているように思える。第二に、スポーツに関して、たとえば日本共産党のような左翼政党とともに取り組むスポーツ運動が少なからず存在し続けていたことにある。初期において、それらはプロレタリア・スポーツ運動として始まったこと。そして、それらの諸運動は、日本のマルクス主義研究に影響を与え、アカデミックな研究においてさえ、その重要な背景の役割を果たしたことである。すなわち、そのことは日本のマルクス主義研究に実践的な性格を付与し、結果として、マルクス主義は他のスポーツ組織や学問と首尾よく共同することができたことである。
     私たちは、変化する社会の中で現在のマルクス主義が、実践的レベルでも理論的レベルでも、直面している困難な課題に対して示唆することとしたい。
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  • 磯 直樹
    19 巻 (2011) 1 号 p. 73-87
    公開日: 2016/09/13
    ジャーナル フリー
     ブルデューはスポーツに長く関心を抱いていたが、それについて論じた論稿は3つしかなく、スポーツ社会学について体系的な研究を残したわけではない。にもかかわらず、フランスのスポーツ社会学にはブルデューが多大な影響を及ぼしてきた。本稿では、このようなブルデューとスポーツ社会学の関係について考察する。
     ブルデューがスポーツについて問うたことは、その独自の社会学と深く結びついている。ブルデューはスポーツの歴史的・社会的条件は何かと問い、各々のスポーツ種目をめぐる実践と消費の分析に関心を抱いていた。また、スポーツに固有の空間の特性について考察を試みた。こうしたブルデューの問題関心は、彼の社会学を支えるいくつかの概念、例えばハビトゥス、資本、界、社会空間などとつながっている。ブルデューのスポーツに関する問題提起を受けつつ、その社会学をスポーツ研究に応用したのがポシエロやドゥフランスであった。彼らによって、ブルデューの社会学を応用したスポーツ社会学の体系が構想されていった。つまり、「ブルデュー派」スポーツ社会学は、ブルデュー自身によってではなく、彼に近いスポーツ社会学者たちによって担われていたのである。
     ブルデュー自身とスポーツ研究の関係は限定的であったため、ブルデューの社会学を従来とは違った方法でスポーツ研究に応用することは十分に可能である。そうした新しい応用の方法については、一方ではブルデュー自身がオリンピック論で示したような国際的・グローバルなスポーツ研究が考えられ、また一方では、ヴァカンがシカゴの黒人ゲットーで行ったボクシングのエスノグラフィのような生身の人間と向き合う局地的な研究が考えられる。ブルデューの社会学を部分的に受容することももちろん可能であり、スポーツ社会学においてブルデューを受容する方法は、各々に自由な選択として開かれている。
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  • 森津 千尋
    19 巻 (2011) 1 号 p. 89-100
    公開日: 2016/09/13
    ジャーナル フリー
     本稿では、文化政治期において、総督府機関紙であった『京城日報』が、その政治的立場から「内鮮融和」政策の一環としてスポーツ大会を開催し、また紙面でも統治者側の視点から大会を報じていた点について検討する。
     『京城日報』は野球・庭球を中心とした全国大会を継続的に主催し、その大会には多数の朝鮮人選手が参加していた。さらに紙面では、試合に関連する記事はもちろん、その他関連イベントや祝広告が掲載され、朝鮮スポーツ界における大会の重要性が強調された。
     また『京城日報』は、定期的に日本チームとの招聘試合も主催していた。主に6 大学野球のチームが招聘されたが、試合を報じる記事では、日本チームの技術・能力の高さが称えられ、朝鮮チームの「憧れ」「手本」として位置づけられていた。
     このようにメディアの送り手として、『京城日報』が「内鮮融和」を推進する統治者側の立場からスポーツ大会を開催し、また紙面でも統治者側の視点から大会や試合について語っていたことが本稿では明らかになった。
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