スポーツ社会学研究
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選択された号の論文の8件中1~8を表示しています
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  • ホーン J.D.
    2 巻 (1994) p. 1-22
    公開日: 2011/05/30
    ジャーナル フリー
  • 平野 秀秋
    2 巻 (1994) p. 23-33
    公開日: 2011/05/30
    ジャーナル フリー
  • 西山 哲郎
    2 巻 (1994) p. 35-51
    公開日: 2011/05/30
    ジャーナル フリー
    本研究において、“翻訳”という言葉は、次に挙げる、関連するがしかし個々別々の三つの出来事を指している。すなわち、1) 明治以降、英国パブリック・スクールに端を発しアマチュアリズムを精神的支柱とした近代スポーツが輸入される中で、各種武術が、学校式教育法を基盤とし武士道を精神的支柱とした武道として再構築されたが、この過程において、段級制度が、以前より日本の身体文化を支えて来た家元制度から切り離され、武道という近代スポーツを支える装置として〈再定義〉されたこと。2) この段級制度が、スキーのような純然たる外来スポーツの〈輸入〉に転用されたこと。そして、3) この段級制度の活用によって、ブルジョワ・スポーツの最たるものであったスキーが大衆スポーツとして〈読み替え〉られて行ったこと。この三つである。
    これら三つの“翻訳”を通じて、私は、スポーツと社会の関係に対するジョン・ハーグリーヴズの見解を裏付ける事例を見いだしたと信じている。彼のヘゲモニー理論は、上部構造/下部構造の図式に捕らわれ硬直したマルクス主義イデオロギー理論の批判から生まれたものだが、スポーツを、宗教や政治や、果ては経済とも同等の社会実践と解釈することで、それを資本主義社会における大衆のアヘンとして見下す態度や、反対に普遍的な人間形成の一助として手放しで評価する態度の両方から我々を解放するものである。
    なお、本論文はスポーツの脱・進化論的な歴史記述としても読み取れるが、そのある種弁証法的な配列の中で、自民族中心主義の温床である「日本特殊論」の一神話が脱構築されているとしても、それは偶然ではない。
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  • 高橋 豪仁
    2 巻 (1994) p. 53-66
    公開日: 2011/05/30
    ジャーナル フリー
    本研究の目的は、スタジアムにおけるプロ野球の集合的応援には、どのような型が繰り返し行われているかということを儀礼の観点から明らかにすることである。広島東洋カープの応援を事例として、広島市民球場で行われたナイトゲーム9試合を観察し、応援行為に共通して見られる型を見い出し、そこで用いられている応援のリズム・パターンを北沢の理論を援用して象徴=構造論的に検討した。
    この研究によって次のことが明らかになった。
    (1) スターティングメンバー発表時の応援、1回表前の選手のコール、攻撃前の三三七拍子や7回攻撃前の風船飛ばし等、ゲームの時間や空間の境界をしるしづけるものとして、応援がなされていた。また得点、出塁、アウトを取る等のゲームの状況に合わせて、一定のパターンで、太鼓や鐘が打たれ、トランペットや笛が吹かれ、メガホンが打ち鳴らされた。応援行為の定式化と反復性が可能となるのは、スポーツの進行そのものが特定のルールによって秩序づけられていることによる。
    (2) 集合的応援行為において応援団は重要な役割を果たしていた。ライト側応援団、センター側応援団、レフト側応援団は、各選手のヒッティングマーチを互いにタイミングを合わせて演奏した。応援団はフィールドからのゲームの進行状況に関する情報を用いて、観戦者たちの集合力を喚起していた。
    (3) 応援で用いられるリズムの基本型は、農耕儀礼で用いられる「ビンザサラ」のリズムと同じであった。また、リズムの型は3拍と7拍が核となり、女性のジェンダーを表象し、現世から神々への報告である「打ち鳴らし」の形態をとっていた。このことは、プロ野球の応援において、豊饒を願う農耕儀礼と同じように、自分のチームの勝利をかなえようとして行う、日本の神話的思考に基づく呪術的な行為が表出されているということを示唆しているのかもしれない。
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  • 吉田 毅
    2 巻 (1994) p. 67-79
    公開日: 2011/05/30
    ジャーナル フリー
    競技者におけるバーンアウトに関する研究が、1980年代後半から行われている。しかしながら、まだバーンアウトに陥った競技者のその後については明らかにされていない。そこで本研究は、5名のバーンアウト競技者の変容過程を調査し、その結果をスポーツ的社会化論の新たな視点、すなわち青年期以降のスポーツによる社会化の視点、またソーシャライジーの主体的側面を捉える視点から考察した。彼らの変容過程に関する調査には、非指示的 (自由) 面接が用いられた。
    本研究で得られた主な知見は、以下の通りである。
    1) バーンアウト競技者は、それぞれなりに情緒的な支えを得たことにより、積極的な主体性を発揮して問題的状況を解決し、バーンアウトを克服するに至った。彼らは、こうした過程を通して、自らの主体性ないしはアイデンティティを再形成したと言えよう。すなわち、彼らは、スポーツによる再社会化を遂げたと考えられる。
    2) バーンアウトの克服ないしは予防のためには、当該競技者が情緒的な支えを得ることが重要である。しかし、それが身近で得られない場合は、自ら積極的な主体性を発揮 (形成) することが必要となる。こうした主体性を発揮するためには、内省活動を活発化し、自我の社会性を空間的・時間的により拡大することが有効な手がかりになると言えよう。
    3) スポーツ的社会化論における課題は、少年期のみならず、バーンアウトを始めとして青年期以降にも色々と存在するであろう。それを解明するためには、スポーツによる社会化研究の対象を、青年期や成人期へと拡大することが不可欠である。それにより、スポーツにおける再社会化の様々な様相を分析していくことが重要と思われる。
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  • 松田 恵示, 島崎 仁
    2 巻 (1994) p. 81-94
    公開日: 2011/05/30
    ジャーナル フリー
    『タッチ』は、当初より若者たちの圧倒的支持を受けたマンガである。作品の終盤、甲子園出場を最後まで争ったライバルの「ま、そのうちまた、どこかのグラウンドで会うこともあるだろう」という言葉に対して、主人公の達也は「もういいよ、疲れるから」と間を外してしまう。このシーンはいわゆる「名場面」として刻印されるシーンなのだが、このシーンの解釈は、作者と読者が共有する生きられたスポーツ経験を掘り起こすことに他ならない。本稿の課題はこの作業を通して生きられた具体的、全体的経験としてのスポーツ (行為) を社会学的に捉える視角 (特に「遊」概念に照準したもの) について考察を深めることにある。
    この作品は、「アジール的空間、コミュニタス的時間と、その終わり」を主題とする青春マンガである。野球と恋愛が主な素材であるが、作品の前半と後半ではその描かれ方がちがうことに気づく。ここでそれを「出来事としてのスポーツ=コケットリーの戯れ」と「物語としてのスポーツ=コケットリーのイロニー」と呼んで区別する。検討の結果、「コケットリーの戯れ」と「出来事としてのスポーツ」は非〈目的-手段〉図式上の行為として親和性を持つ。この親和性は、意味を形成する主体の不在=伝統的主体概念を出発点とした思考の外側からの視線を共有することによって生じている。この親和性が持つ伝統的な主体性に対置されるパースペクティブは、近代化が進んだ社会の現実原則が伝統的な「主体性」を背景とするものであるならば、現実社会に対向するパースペクティブでもある。それゆえこれは、青春=アジールを現すものともなりえる。非主体と反主体あるいは不主体の混同が見られるために,「出来事としてのスポーツ」というパースペクティブをうまく捉えきれていないこれまでの「遊」概念は、スポーツを理解する上で今後さらに精練されなければならない。
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  • 東元 春夫
    2 巻 (1994) p. 95-101
    公開日: 2011/05/30
    ジャーナル フリー
    この研究はスポーツの社会における「言いわけ」を分析することにより、その社会における「正当な」社会ルールの本質をさぐろうとする試みである。通常「言いわけ」は失態のとりつくろいなど事後的に行われる副次的自己防衛行為であるが、逆に最初に社会的に蓄積された「言いわけの在庫」があり、それに触発されて行為が行われることも多い。
    ここでは1991年の新聞紙面に現れたプロ野球の契約更改交渉事例を対象に分析を行った。中日・落合選手による「夢」や「子供たちの野球離れ」「世間を騒がせたくない」という発言および調停委員会の (持込み続出)「懸念表明」には日本のプロ野球界の旧態依然とした体質が見られアメリカとの文化的相違が対照的である。
    スポーツの集団および下位集団には「言いわけ」の在庫が存在し、それらはその集団の成員によって学習され共有されるとすれば、スポーツ独自の、あるいはそのスポーツが行われる社会独自のボキャブラリーが存在するものと推察される。
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  • 平井 肇
    2 巻 (1994) p. 103-106
    公開日: 2011/05/30
    ジャーナル フリー
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