スポーツ社会学研究
Online ISSN : 2185-8691
Print ISSN : 0919-2751
ISSN-L : 0919-2751
27 巻, 1 号
選択された号の論文の6件中1~6を表示しています
特別寄稿
  • ―グローバル化の時代におけるオールブラックスとグローバルラグビー―
    スティーブ・ ジャクソン, 熊澤 拓也, 高尾 将幸
    原稿種別: 研究論文
    2019 年 27 巻 1 号 p. 3-18
    発行日: 2019/03/30
    公開日: 2020/05/14
    ジャーナル フリー
     この論文の目的は、ラグビーワールドカップ2019 日本大会の文化的モーメントと場を取り上げることで、スポーツ史上、最も成功しているチームであるラグビーのニュージーランド代表チーム、オールブラックスの状況について探究することである。より具体的には、(a)ニュージーランドラグビーとオールブラックスのプロ化と商業化の展開について、歴史的に概観し、(b)ニュージーランドラグビー協会(NZR)が直面した近年の課題とそれらに対する協会の反応について確認し、最後に、(c)ラグビーワールドカップ2019 という歴史的分岐点における、グローバルスポーツとしてのラグビーの状況について意見を述べる。
特集
  • 坂 なつこ
    2019 年 27 巻 1 号 p. 19-24
    発行日: 2019/03/30
    公開日: 2020/05/14
    ジャーナル フリー
  • ―ラグビーの多様化と価値の生成―
    松島 剛史
    原稿種別: 研究論文
    2019 年 27 巻 1 号 p. 25-40
    発行日: 2019/03/30
    公開日: 2020/05/14
    ジャーナル フリー
     「スポーツ」とは、一般的に多種多様な運動競技、ゲームの総称であるが、ありとあらゆる活動を全世界的に統括する組織は存在しない。現状では数多くの国際スポーツ組織がそれぞれの種目を統括する中で、「スポーツ」全体の世界がかたちづくられているというのが妥当であろう。ワールドラグビーとは、15 人制から7 人制のゲーム、また他の競技では見られないナショナル代表選手の資格規定をもつなど、ラグビーユニオンのユニークな世界をグローバルに統治する機関である。
     本稿は、1980 年代からワールドラグビーがいかなる経緯から世界のラグビーを一つにまとめることを目指し、どのような目的や方法によってその世界を発展させようとしたのかを明らかにするものである。ワールドラグビーは、ラグビーとはどうあるべきかという規範と価値を掲げ、メンバーがその実現にコミットして活動し、その結果に基づいてラグビーの世界を治める集合体であった。言い換えれば、ワールドラグビーは、ラグビーの統治において道徳や価値観を持ち込み、形式的にメンバーの自由を拘束するだけでなく、ラグビーの理想的な発展という共通の利益に向けた献身やメンバー間の強いつながりを重視する方法を採用していた。また、当時のワールドラグビーの活動をひも解けば、その勢力圏を拡大する過程で、女性や若者、7 人制ラグビーなどの包摂を通じて国際競技会事業を多様化し、またそれらの社会的価値を向上させる取り組みをおこなっていた。
     こうした活動の背景からは、アマチュアステータスがほころびを見せ、ラグビーの世界の分裂や混乱が危惧される中にあって、ラグビーを自己利益の手段、あるいは自由な操作の対象とみなす組織内外の圧力から守り、内発的かつ持続的な発展を志向するワールドラグビーの姿が浮かび上がってくる。
  • ―地方小都市釜石の挑戦―
    向山 昌利
    原稿種別: 研究論文
    2019 年 27 巻 1 号 p. 41-58
    発行日: 2019/03/30
    公開日: 2020/05/14
    ジャーナル フリー
     2011年3月11日以降、日本で開催されるスポーツ・メガイベントは、東日本大震災と結び付けて語られるようになった。スポーツ・メガイベントと震災復興の関係性に関する研究は、主に2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会を事例として積み重ねられているが、そこでは被災地の具体的な姿が描き出されることはなかった。
     本稿ではスポーツ・メガイベントと自然震災からの復興を直接結びつけて検討することのできる機会である岩手県釜石市でのラグビーワールドカップ(以下、RWC)開催を事例とし、2019年日本大会における開催都市立候補構想の誕生から、開催権獲得後までのプロセスを跡付けながら、被災都市がどのような論理でスポーツ・メガイベントを引き受けるのかを具体的に描く。なお、本稿では復興事業の推進ならびにメガイベント開催がきわめて政治的、行政的であることに鑑みて、行政機能としての釜石市役所の役割に注目する。
     本稿を通じて、釜石市が地域資源を駆使しながらRWCの開催権獲得を目指した点、また釜石市がRWCを活用することで被災からの復旧だけでなく被災前からの地域課題の克服を企図していたことを明らかにした。くわえて、被災後という特殊な状況の中でRWC開催都市としての立候補構想の検討を住民と深めることが、行政にとって技術的に非常に困難であったことを指摘した。
     本稿は、震災復興途上におけるスポーツ・メガイベント招致プロセスの実相を行政の視点から明らかにしたものの、RWC釜石開催をとらえる期間ならびに視点において限定的であるといえる。今後は、RWC開催が釜石市に及ぼす影響をRWC開催中ならびに開催後にまで射程を延長してとらえていくことが求められる。また、スポーツ・メガイベントのステイクホルダは、グローバルレベルからローカルレベルに複層的に存在している。そのため、ステイクホルダ各々の視点から複合的に捉えたRWC釜石開催の全貌を浮き彫りにすることも次への課題となる。
原著論文
  • ―教育的技法としての「規律」と「自主性」に着目して―
    下竹 亮志
    2019 年 27 巻 1 号 p. 59-73
    発行日: 2019/03/30
    公開日: 2019/03/30
    ジャーナル フリー
     本稿は、これまでの研究において看過されてきた「指導者言説」を対象として、戦後の運動部活動をめぐる言説空間を再構成する試みの序説的位置づけを持つものである。具体的には、これまでの運動部活動における中心的な教育的価値として議論の対立軸であった「規律」と「自主性」に着目し、その二項対立的な把握の仕方を乗り越えることを試みた。その際、ミシェル・フーコーにおける自由と安全の作用と戦略の論理の視座から、「規律」と「自主性」を「教育的価値」ではなく生徒の振る舞いを導く「教育的技法」として捉える必要性を指摘した。その上で、1970 年代半ばから1980 年代の「指導者言説」を分析した。
     そこには、3つの特徴的な語りを見出すことができる。まず、当時の生徒の利己主義、無気力、無感動、無関心といった問題が認識されるなかで、「人間教育」としての運動部活動という主題が浮上していたこと。次に、そのような状況において、一方では「自主性」が指導者の課す厳しい練習などの「規律」それ自体に向かって発揮されるべきものとして語られていたこと。しかし他方で、「規律」を中心とした指導の困難さが語られるなか、指導者たちは練習と試合を住み分け、前者に「規律」を後者に「自主性」を割り振るという手法に活路を見出したことである。ここに見出せるのは、「規律」と「自主性」の配分問題という、これまでの研究で着目されてこなかった新たな問題設定である。このような当時の「指導者言説」の分析を踏まえて、最後になぜこの時期に指導者たちは突如として冗長に語ることができるようになったのかという問いについて考察した。
  • ―日本のアクターによるアフリカにおける野球普及活動を事例として―
    石原 豊一
    2019 年 27 巻 1 号 p. 75-89
    発行日: 2019/03/30
    公開日: 2019/03/30
    ジャーナル フリー
     新たな開発援助として「開発と平和のためのスポーツ(Sport for Development and Peace, SDP)」が注目され、先進国アクターによる途上国へのスポーツ普及策がなされるようになってきている。これについて、本稿では、日本のアクターによるアフリカにおける野球普及活動と、その結果生じたアスリートの国際移動の事例に着目し、スポーツという身体的文化活動が、途上国が抱える諸問題を解決することができるかという点について考察する。
     本稿において取り上げるのは、日本のNGO による野球普及活動の結果生まれた、プロ予備門と言うべき独立プロ野球リーグと契約したアフリカ人プロ野球選手の事例である。最初のジンバブエ人選手の事例は、国内情勢の悪化から現地での普及活動が困難になったための苦肉の策として行われたものであったが、その結果、「開発援助発のプロ野球選手」が、ひとつのモデルケースとなり、開発援助よりもむしろ「プロ野球選手」送出が目的化したような事例も見られるようになってきている。現実には、独立プロ野球リーグでの報酬は非常に低く、ここへの選手送出が、スポーツ普及を通じた途上国社会の経済的自立の援助と捉えることは難しい。また、アフリカにおける野球普及活動が啓蒙活動などの一助となるというアクター側の自己の評価についても疑問が残る。
     アフリカにおける野球普及は、あくまで娯楽の提供という援助の一手段であるに過ぎず、その限界を受け入れた上で、チームプレーを通しての教育的効果などの有効性を探っていくことが、今後のSDP の一環としての野球普及活動の方向性ではないだろうか。
feedback
Top