スポーツ社会学研究
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29 巻, 1 号
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特集
  • 髙尾 将幸
    2021 年 29 巻 1 号 p. 3-4
    発行日: 2021/03/31
    公開日: 2022/04/20
    ジャーナル フリー
  • ―スポーツにおける「理不尽さ」の受容と年功序列システムの功罪―
    片岡 栄美
    2021 年 29 巻 1 号 p. 5-23
    発行日: 2021/03/31
    公開日: 2022/04/20
    ジャーナル フリー
     西洋スポーツが、暴力性を排除する形で発展してきたのに対し、なぜ日本の学校の体育部活動では、スポーツ選手は理不尽な体罰や暴力的支配を受容して、部活動に順応し続けるのだろうか。本稿の目的は、ブルデュ―の理論と方法を用いて、日本の体育会系ハビトゥスの特徴を、大学生への混合的手法による調査により明らかにすることである。得られた知見は、以下のとおりである。
     自分を体育会系だとアイデンティティ自認する大学生は、全体の41.6%で学生の中の一つの大きなカテゴリーである。体育会系ハビトゥスの特徴は、性役割分業の肯定、勝利至上主義、権威主義への賛成傾向、伝統主義と地位の上昇志向である。
     体育部活動経験者の多くが、指導者やシニアメンバーから体罰や過度の制裁をうけて、連帯責任で「理不尽な」経験をする。彼らは体育部活の1年目に「理不尽さ」を多く経験し、それを受容することで、権威に従属するハビトゥスを学習する。しかし年功序列システムにより、2年目以降は先輩としての権力を平等にもつことで、彼らの支配欲は満たされる。権力が年功によって平等に移譲される年功序列システムこそが、「理不尽さと暴力を伴う支配とそれへの服従の文化」をメンバーに伝統的慣習として継承し、体育会系ハビトゥスの再生産に寄与している。
     上級生からの理不尽な要求や暴力を受容し、忍耐する理由は、そこに合理的理由として3種類の報酬があるからである。
     日本的アスリートの自律性とは、管理と制裁の恐怖の中で育成された自律性であり、西洋的な意味での自己規律的な主体性とは異なる。それゆえスポーツ以外の場では、規範を破り、自律的ではなくなることも多い。スポーツ以外の体験が少ない彼らは、同質的なメンバーとの相互作用に偏り、多様な価値観を知らないまま外的権威への同調的価値を持ちやすい。
  • 秋吉 遼子
    2021 年 29 巻 1 号 p. 25-40
    発行日: 2021/03/31
    公開日: 2022/04/20
    ジャーナル フリー
     本稿では、スポーツ社会学においてどのような社会調査が行われているのか、トライアンギュレーションの視点から検証する。2000年以降に発行された「スポーツ社会学研究」の(原著)論文74本を対象にレビューを行い、生涯スポーツの視点から、運動・スポーツ実施関連調査を踏まえ、今後のスポーツ社会学領域研究の展望を考察する。
     2000年以降の「スポーツ社会学研究」の(原著)論文は、現代思想、カルチュラルスタディーズ、歴史学的な分析視点が多く、研究手法は、文献研究が43.2%(32本)で最も多く、インタビュー調査(36.5%)、ドキュメント分析(20.3%)の順であった。文献研究、ドキュメント分析、インタビュー調査等の質的調査は、2000年以降継続して用いられている。特にここ5年間は、フィールドワーク・参与観察とインタビュー調査という組み合わせが多い傾向にある。一方、質問紙調査を用いているのは、2010年の後藤論文が最後であった。
     また、わが国では、運動・スポーツ実施等に関する全国的な社会調査が複数行なわれており、運動・スポーツやレジャーに関する概観図は明らかになってきている。それらの調査によって経年変化を捉えることもでき、貴重なデータである。しかし、質的調査で得られているような、表象されていない事象等を調査項目として組み込むことで、現在の生涯スポーツ実践のシステムから疎外されている人たちを見つけ出すことが可能になるかもしれない。
原著論文
  • ―社会調査データの二次分析による世代効果の検証を通じた一考察―
    下窪 拓也
    2021 年 29 巻 1 号 p. 41-54
    発行日: 2021年
    公開日: 2021/04/15
    [早期公開] 公開日: 2021/01/22
    ジャーナル フリー
     本研究は、メガスポーツイベントの招致開催がもたらす長期的な無形の影響の解明を目的とし、オリンピック競技大会の招致開催が、人々のナショナルプライドに与える影響を検証する。メガスポーツイベントの開催と開催国の人々が持つナショナルプライドとの関連はこれまでにも議論されてきたが、先行研究では、開催時期の時代背景による影響は等閑視されてきた。
     時代的背景から、1964 年東京オリンピックと1972 年札幌オリンピックの開催は、戦後の復興と国際社会への復帰という意味合いを強く持つため、日本人のナショナルプライドに強い影響を与えたことが想定される。本研究では、この東京オリンピック経験世代と札幌オリンピック経験世代の世代効果に着目して、大会の開催がナショナルプライドに与える長期的な影響を分析する。分析では、社会調査の二次データを用いて、東京オリンピック経験世代と札幌オリンピック経験世代の世代効果が、スポーツに関するナショナルプライド(スポーツプライド)と一般的なナショナルプライド(ジェネラルプライド)に与える影響を検証した。
     分析の結果は、仮説とは反して、世代効果はスポーツプライドには統計的に有意な負の影響を示し、ジェネラルプライドに対しては統計的に有意な関連を示さないことを明らかにした。オリンピック競技大会の商業主義化に伴いナショナルな表象が薄れたことで、かつての国威発揚の意味合いを強く持つ東京オリンピックや札幌オリンピックを経験した世代は、昨今のスポーツに対してもはや国への誇りを重ねなくなったのだと考えらえる。あるいは、先行研究では、1990 年代以降の日本社会の不安の蔓延に伴い、若者のスポーツプライドが高まっていることが示唆されていることから、相対的に東京オリンピックや札幌オリンピックを経験した世代のスポーツプライドが低く観測されている可能性も考えられる。最後に、本研究の限界を議論した。
  • 笠原 亜希子
    2021 年 29 巻 1 号 p. 55-69
    発行日: 2021年
    公開日: 2021/04/15
    [早期公開] 公開日: 2021/01/22
    ジャーナル フリー
     わが国における知的障害者のスポーツプロモーションの課題のひとつは、意思の伝達や決定に問題を抱える知的障害者がスポーツをする当事者としていかに社会認識されるのかということにある。そこで本稿では、この課題への解決を前進させ、社会的に問題を共有する上で必要と考えられる社会構築主義的視点に立って、他者と共に自己決定をする知的障害者の「身体経験」を明らかにする論理とは何かを議論することを目的とした。それはすなわち、従来の「身体論」に基づいてその論理を探究しながら、その理論的限界を追究し、そこから新たな可能性を論じることを意味している。
     本稿ではまず、知的障害者のスポーツをめぐる「身体経験」が社会的に不可視されることについて、政治的構築主義の視点からその論理を問題化した。次に、現代社会における障害者の身体をめぐる経験の理論的課題をおさえた上で、障害学と、スポーツ社会学における「経験」の論理は、その中心に心身二元論と言語を前提とする現象学的身体論があることを確認し、知的障害者の「身体経験」を理解する上において理論的限界があることを指摘した。そこで、このような理論的現状を乗り越える理論として「肉体論」をとりあげ、その理論的背景にある人間の「未確定の存在」[Gehlen, 1993=2008]を手がかりにして、社会構築主義的視点における政治的構築主義の立場から「身体経験」の展開可能性について論じた。最終的には、この肉体論を補完する理論として、比較社会学における「間身体的連鎖」[大澤,1996]を取り上げ、スポーツ社会学における「肉体論」と「間身体的連鎖」を関係づけることを通じて、知的障害者のスポーツをめぐる他者を包括した「身体経験」を考察する上で必要と思われる新たな理論的な枠組みの可能性を指摘した。
2020 横浜スポーツ学術会議
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