スポーツ社会学研究
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30 巻, 1 号
選択された号の論文の5件中1~5を表示しています
特集
  • 原 祐一
    2022 年 30 巻 1 号 p. 3-5
    発行日: 2022年
    公開日: 2023/04/26
    ジャーナル フリー
  • ―カンタン=ブローの「預言」への一考察―
    市井 吉興
    2022 年 30 巻 1 号 p. 7-23
    発行日: 2022/03/30
    公開日: 2023/04/26
    ジャーナル フリー
     本稿の目的は、国際オリンピック委員会によるライフスタイルスポーツのオリンピックへの取り込み(co-option)をめぐるカルチュラルポリティクスに注目し、ライフスタイルスポーツがオリンピックとの関連で避けることのできない「コンフリクト」について、検討を試みることにある。
     このコンフリクトとは、ライフスタイルスポーツがオリンピックに取り込まれるとき、ライフスタイルスポーツが、ヘニング・アイヒベルグ(Henning Eichberg)が述べた「業績達成型スポーツ(achievement sports)」という近代スポーツのイデオロギーとの「同一性」を求められることである。以下に、本稿の議論のプロセスを簡潔に示したい。
     第1章では、ライフスタイルスポーツが「業績達成型スポーツ」という近代スポーツのイデオロギーへの「抵抗」や「オルタナティブ」といった独自のスポーツ文化を掲げて誕生、発展してきた意義を、改めて確認する。
     第2章では、ライフスタイルスポーツがIOCによるオリンピックへ取り込まれるプロセスを、2014年12月にIOC総会で決議された「オリンピック・アジェンダ2020」の前後でのカルチュラルポリティクスの違いに注目する。
     第3章では、ライフスタイルスポーツがオリンピックに取り込まれるとき、ライフスタイルスポーツが近代スポーツのイデオロギーとの「同一性」を求められることで生じる「コンフリクト」について検討を試みる。この問題を検討する際、テオドール・アドルノ(Theodor Adorno)が『否定弁証法』(1966=1996)において深化させた「物象化」概念を援用したアントワーヌ・カンタン=ブロー(Antoine Cantin-Brault) のスケートボード分析に注目したい。
     カンタン=ブローは「スケートボードが2020年にオリンピック種目になる可能性があることは、スケートボードの物象化の最後の一撃となることは間違いないだろう」[Cantin-Brault, 2015: 65]と述べたが、彼の「預言」をどのように解釈するのかが、2020東京オリンピック後のライフスタイルスポーツのあり方とも関わることになると考える。
  • ―なぜ超人スポーツ協会は誕生し挑戦するのか―
    髙橋 義雄
    2022 年 30 巻 1 号 p. 25-35
    発行日: 2022年
    公開日: 2023/04/26
    ジャーナル フリー
     技術革新の兆候を感じた編集委員会が、『スポーツ社会学研究』第23巻の特集論文で、超人スポーツ委員会についてすでに触れている。それから7年の間に、超人スポーツ協会は法人化し、様々な活動を実施してきた。現在ではヒューマンオーグメンテーション(Human-Augmentation)と呼ばれる技術が急速に発展し、「人機一体」と称されている。脳神経科学や医学などの学際的な知見によるこれらの技術は、工学が社会実装化を試みている。2013年に2020年東京オリンピック・パラリンピックの招致に成功し、アニメやロボットなどの日本が得意とする分野の科学技術の発展のための関係者間のプラットフォームが構築された。一方で、人間拡張技術によって、人間の「身体所有感(Sense of self-Ownership)」と「運動主体感(Sense of self-Agency)」の研究が進んだ。その結果、近代スポーツ科学が当然のこととして扱ってきた物理的な肉体としての身体の再検討が必要になった。つまり、人機一体化したアバターという機械は、「私」の範囲なのか、それとも「機械」の範囲なのかという認識の揺らぎを生じさせた。さらに、不測の事故が発生した際の責任は人間にあるのか、それとも機械側にあるといったルールの整備、個人の権利や情報保護、科学技術における経済安全保障の議論に照らした身体活動や個人の生理的情報のビックデータの管理が必要になっている。また、人間と機械の変化と適応のなかで、人間を機械依存の最適化方向へ適応させ、自らの心身自体を縮小しスポーツ競技者単体の能力を低下させてしまう危険性も指摘されている。不自由な設定をしてそれを楽しむスポーツの特徴は、人間拡張技術をスポーツに導入しやすくする。そのため、人間拡張技術による「人間像」の議論は、スポーツを通じてこそ可能になるとも考えられる。
  • 松尾 哲矢
    2022 年 30 巻 1 号 p. 37-56
    発行日: 2022/03/30
    公開日: 2023/04/26
    ジャーナル フリー
     本稿では、ゆるスポーツに着目し、スポーツ〈場〉の構造変動と文化変容の可能性について検討した。分析においては、ブルデューの〈場〉の議論を踏まえ、再生産戦略、正統性の獲得と象徴闘争の視点で検討した。
     ゆるスポーツは、近代スポーツを相対化し「即時性―遊戯性・世俗性」という価値意識を有しており、社会課題に応じてスポーツを「つくる」点に力点を置く。「つくる」視点としては、「マイノリティからの視点」を重視し、「マイノリティデザイン」という理論的方法論を有していた。
     ゆるスポーツの展開にあたっては、個のスポーツの普及・発展という方法ではなく、スポーツをつくる場の持続可能性を高めるという手法を用いていた。世界ゆるスポーツ協会の運営においては、産業としてのスポーツに立脚しながら、プロフェッショナルとして独自のスポーツ〈場〉の形成と相対的自律性の確立を企図した動きが看取された。
     次にゆるスポーツの推進の方法論と密接に結びついた産業化の動きに着目し、「教育としてのスポーツ」から「産業としてのスポーツ」への地殻変動の動きを「聖―俗―遊」図式と文化的機能という視座から整理した上で、ゆるスポーツの特徴と構造変動の可能性について検討した。
     産業としてのスポーツの正統性の獲得にあたっては、遊としての自省機能がより問われることになる。その意味で、ゆるスポーツは、マイノリティを起点として「つくる」プロセスにおいて自らの存在を疑い、反省的思考を内在化させる方法論を有しており、正統性の獲得の可能性が示唆された。
     さらに、ゆるスポーツの動向を相対的に分析するために、わが国における「ニュースポーツ」運動に着目し、その戦略と近代スポーツの枠組みに飲み込まれる様相について分析し、その結果を合わせ鏡としてゆるスポーツの可能性について検討した。
     最後に、ゆるスポーツの可能性について、well-beingと文化享受、スポーツをつくる文化の創造と文化変容から検討した。
原著論文
  • ―ボランティア住民のホスピタリティに着目して―
    菅原 大志
    2022 年 30 巻 1 号 p. 57-72
    発行日: 2022/03/30
    公開日: 2022/04/20
    [早期公開] 公開日: 2021/11/30
    ジャーナル フリー
     農山村の文化・環境を活かしたスポーツイベントが各地で盛んに行われている。地域活性化を企図する農山村において、スポーツイベントは有効な観光産業となりうるが、スポーツイベントの産業化は、参加する住民の〈ホスピタリティ〉[須藤,2008]の感情労働化につながる可能性がある。本稿は、産業化されたスポーツイベントの現場において感情管理がどのように要請され、また受容する住民はどのような対応が可能なのか、宮城県登米市のマラソンイベントを事例として論じた。
     ボランティアとして参加した住民の地域生活の分析から、ランナーを楽しませるためのものとしてイベントを意味づける主催者に対し、住民はイベントを自分たちの関係性を維持・再構成する機会として読み替えたことが明らかになった。こうした読み替えにより、感情労働に陥らないイベン トへの参加が可能になっていた。
     これまでのスポーツイベントと地域活性化に関する研究は、主に「効果」や「地域づくり」への視点からイベントの運営方法に焦点化し、イベントを受容し参加する地域住民の行動については事業の理念に沿うものが分析評価の対象となってきた。それゆえ、そこから外れる住民行動は議論の対象とならなかった。これに対し本稿は、地域生活に目を向けることで事業の理念を相対化する住民の論理と対応を明らかにするとともに、感情労働論の知見が有する意義と限界を論じた。
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