本稿の目的は、国際オリンピック委員会によるライフスタイルスポーツのオリンピックへの取り込み(co-option)をめぐるカルチュラルポリティクスに注目し、ライフスタイルスポーツがオリンピックとの関連で避けることのできない「コンフリクト」について、検討を試みることにある。
このコンフリクトとは、ライフスタイルスポーツがオリンピックに取り込まれるとき、ライフスタイルスポーツが、ヘニング・アイヒベルグ(Henning Eichberg)が述べた「業績達成型スポーツ(achievement sports)」という近代スポーツのイデオロギーとの「同一性」を求められることである。以下に、本稿の議論のプロセスを簡潔に示したい。
第1章では、ライフスタイルスポーツが「業績達成型スポーツ」という近代スポーツのイデオロギーへの「抵抗」や「オルタナティブ」といった独自のスポーツ文化を掲げて誕生、発展してきた意義を、改めて確認する。
第2章では、ライフスタイルスポーツがIOCによるオリンピックへ取り込まれるプロセスを、2014年12月にIOC総会で決議された「オリンピック・アジェンダ2020」の前後でのカルチュラルポリティクスの違いに注目する。
第3章では、ライフスタイルスポーツがオリンピックに取り込まれるとき、ライフスタイルスポーツが近代スポーツのイデオロギーとの「同一性」を求められることで生じる「コンフリクト」について検討を試みる。この問題を検討する際、テオドール・アドルノ(Theodor Adorno)が『否定弁証法』(1966=1996)において深化させた「物象化」概念を援用したアントワーヌ・カンタン=ブロー(Antoine Cantin-Brault) のスケートボード分析に注目したい。
カンタン=ブローは「スケートボードが2020年にオリンピック種目になる可能性があることは、スケートボードの物象化の最後の一撃となることは間違いないだろう」[Cantin-Brault, 2015: 65]と述べたが、彼の「預言」をどのように解釈するのかが、2020東京オリンピック後のライフスタイルスポーツのあり方とも関わることになると考える。
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