スポーツ社会学研究
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32 巻, 2 号
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特集
  • 西山 哲郎, 竹﨑 一真
    2024 年32 巻2 号 p. 3-4
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/04/30
    ジャーナル フリー
  • 片岡 栄美
    2024 年32 巻2 号 p. 5-22
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/04/30
    ジャーナル フリー
     スポーツは男性支配の価値観と親和性が高い。また日本のスポーツ部活動や教育的指導の場では、体罰や罰走、坊主刈りのように、いまだに奇妙で理不尽ともいえる規則や慣習が継続している。男性優位の価値観や認識も、スポーツ界で再生産されがちである。
     本稿は、スポーツと男性支配の関係を象徴的次元から検討し、スポーツ界が男性性の保護区とならないように変革するために有効と思われる2つの社会学的アプローチを提案する。第1がアーティキュレーションの概念を用い、言説の意味編成を変えていく言説的実践による変革の方向である。理不尽だと選手が考えるスポーツ界で自明とされてきた坊主刈りや罰走、暴力などが教育的意味を持たされていたことを脱構築し、その意味や定義をスポーツや部活動、教育の文脈ではなく、虐待や人権侵害や健康問題などの社会問題として他の文脈へ接合(アーティキュレーション)し直し、言説の再編成を行なうことで、スポーツ指導を理由にした支配と服従の関係を見直すことができる。第2が、ブルデュー理論を参考として、スポーツと男性支配の問題を社会全体の象徴支配や象徴的暴力の問題として捉え、そこからの意識改革を行なう方向性である。これは、ジェンダー差の大きな日本社会の課題でもある。
     また本稿では、スポーツの苦手な男子や体育会系とは異なるハビトゥスを持つ男性同士の象徴闘争やリベンジの問題にも焦点をあてた。インタビュー調査のほか全国大学生調査(質問紙調査)データを用いて、男子の体育会系とオタク、サブカル系、アート系の特徴を、文化資本、社会関係資本、政治的資本で比較することで、資本構造の違いとかれらのハビトゥスの特徴を明らかにした。その結果、コアな体育会系男子は読書率が低く、新しい知識の吸収も弱い文化資本ではもっとも低い位置にあった。社会関係や社交では体育会系は他のタイプよりも優位な立場にあるが、排他的で保守的な価値観や性役割分業意識も強く、かつ自信をもち、彼らが男性支配の価値観から脱却することの困難さが明らかとなった。
     最後にスポーツ指導と選手たちの自立性の醸成について、疑似的自立性と自己指令的自立性の違いについて論じた。
  • スポーツと「男性的な物質」の社会学
    竹﨑 一真
    2024 年32 巻2 号 p. 23-38
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/04/30
    ジャーナル フリー
     テストステロンはスポーツ科学において重要な物質の一つとみなされている。テストステロンは、人間の身体の優位性を生み出し、運動パフォーマンスに影響を与えるとされ、また性別確認の判断材料にもされている。そのため、テストステロンは「男性的な物質」とみなされているのである。しかしその一方で、テストステロンが真に「男性的な物質」なのかには十分な科学的根拠がない。それゆえに、テストステロンはすでに男性性というジェンダーから切り離されていると指摘する研究もある。しかしながら、それでもやはりテストステロンを「男性的な物質」として位置づける言説や科学的知識は多い。
     そこで本研究では、科学技術研究(STS)における「もつれ」と「多」の概念を援用し、テストステロンをめぐるスポーツ科学の知識がどのように編成されているのかを分析することで、スポーツ科学がいかにしてテストステロンを男性性の枠の中に留めるような知を生産しているのかを考察した。
     第一に行ったのは、テストステロンとトレーニングをめぐる知識がどのように生産されているのかを考察することであった。第二は、テストステロンとその他のアクターの新たな「もつれ」の意味を明らかにすること。そして第三が、女性アスリートとテストステロンの関係であった。結果、僅かしかないが他の研究と共通する事実を積み重ね続けることによって新たなトレーニングプロトコルを作成したり、テストステロンの働きを見い出すためにさまざまなアクターと結びつけたり、そして女性アスリートとテストステロンの関係についての知識を蓄積しないことが、テストステロンを男性性の枠の中に留めていることに繋がっていることがわかった。
     以上から、テストステロン研究の進展が、近代的人間[Man]の理想化という権力を拡大し続けるための装置となっていることが明らかとなった。
  • “ゲイバレー” を事例に
    高尾 将幸, 谷木 龍男, 秋吉 遼子
    2024 年32 巻2 号 p. 39-52
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/04/30
    ジャーナル フリー
    本稿の目的は、インクルーシヴ・マスキュリニティ論を中心としたマスキュリニティ研究の近年の動向を踏まえつつ、日本における性的マイノリティ自身によって組織化されている草の根レベルのスポーツ活動の事例としてゲイ男性当事者が自ら組織化しているバレーボール(ゲイバレー)の実践を取り上げ、その活動と歴史の一端を詳らかにするとともに、当事者がこの実践に対して抱いている意味や、そこで取り結ぶ関係性のあり方を探索的に明らかにすることであった。
    調査方法としてゲイバレーに参加する当事者への半構造化インタビューを実施し、音声データが作成したトランスクリプトをデータとして用いた。
    当事者たちがゲイバレーに見出している意味として、二つの点を指摘した。一つは、ゲイバレーは日常的な異性愛規範から逃れる安全な場として経験されていた。しかし「ノンケ」の参加が認められた大会の存在が示しているように、非当事者を排除するものではなかった。二点目として、ゲイバレーではパートナー探しに関わる選り好みの視線が薄らぎつつも、ゲイ男性当事者同士のつながりが担保されるという、独特なつながり方を当事者に可能にしていた。
    最後に、インクルーシヴ・マスキュリニティ論との関係でゲイバレーの実践について考察した。ゲイバレーは、棲み分けによってヘテロノーマティヴな空間を温存する場合と、「ノンケ」の人びとを巻き込みつつマスキュリニティのあり方を相対化する可能性を持つことを示唆した。また、現在の若い世代のプレーヤーがゲイバレーの当事者以外の人びとへの可視化を期待していることから、ある程度、日本において文化的ホモフォビアが減少しつつあることを示した。さらに、ゲイバレーには強い競技志向が存在するという意味で主流の近代スポーツに同調しているが、他方で「ノンケ」の参加が認められた大会や即席チームによる東京以外の地域で開催される大会への参加など、多様な関り方に開かれていることを示した。
原著論文
  • ―ジム空間における身体性・関係性・集合性に着目して―
    堀田 文郎, 松尾 哲矢
    2024 年32 巻2 号 p. 53-68
    発行日: 2024年
    公開日: 2024/10/30
    [早期公開] 公開日: 2024/07/26
    ジャーナル フリー
     本稿は「ボディビルダーらはジム空間においていかなる世界と対峙しているのか」という問いを起点に、ジム空間で織り成されるボディビルダーらの身体文化について検討した研究である。特に本稿では、ボディビル・ジムに関する先行研究を参照しつつ、ジム空間で展開される固有の身体性・関係性・集合性の内実、すなわち、①ボディビルダーの行う身体実践やジム空間にて身体が有する意味(身体的位相)、②そのボディビルダーらが織り成す相互作用や関係性(関係的位相)、③そのような相互作用が総体として惹起する集合性(集合的位相)という3つの位相で織り成される具体的な様相と位相間の関係性に着目しつつ分析を行った。
     その結果、ジム空間においてボディビルダーらが、一方では、ウェイトトレーニングという身体実践を介して自身の身体と誠実に向き合い(身体的位相)、また他方では、身体以外のものと向き合うことを禁じる暗黙の禁忌と他の使用者との社交を必要最低限にまで抑える暗黙の規範を遵守する様相が看取された(関係的位相)。そして、このような身体実践と相互作用の一連の体系は、ボディビルダーらの間に暗黙的な一体性を醸成すると同時に、ボディビルダーらにとっての身体(筋肉)を至高の価値を有する聖なるものとして構築し、ジム空間に、身体と向き合うための神聖な教会とでもいうべき独自の世界を招来する様相が明らかになった(集合的位相)。
     そして本稿では、以上の分析をヴァカンのボクシング・ジム研究と対照させることによって、ボディビル・ジムで織り成される身体文化に関する考察を行った。そこでは、ボディビル・ジムの身体文化が個人主義的でありつつ共同的であり、共同的でありつつ個人主義的であるという特質、また、身体が空間の中心的な特異点となり、その身体的位相から共感的・身体的なつながりとしての関係的位相や集合的位相が立ち上がるという特質を有していることを考察した。
  • ー社会調査データの二次分析を通じた一考察ー
    下窪 拓也
    原稿種別: 研究論文
    2024 年32 巻2 号 p. 69-83
    発行日: 2024年
    公開日: 2024/10/30
    [早期公開] 公開日: 2024/09/03
    ジャーナル フリー
     本研究は、運動・スポーツ実施の社会経済的格差の把握に向けて、運動・スポーツの実施動機と社会経済的地位の関連を検証した。これまで、世帯年収や学歴と成人の運動・スポーツ実施の関連が繰り返し報告されてきた。適度な運動の実施は健康に資するため、社会経済的地位による運動・スポーツ実施の格差は、健康の格差に繋がる。しかし、先行研究では社会経済的地位に応じた運動・スポーツ実施動機に関する議論が不十分であった。
     本研究は、量的調査データの二次分析を通じて上記の課題に着手した。分析では回答者を、「1日30分以上の汗をかく運動を週に2日以上」実施している運動習慣者、習慣者の定義には該当しないが運動を実施している運動実施者、そして過去1年間に運動・スポーツを実施していない非実施者の3グループに分け、社会経済的地位との関連を検証した。その後、運動習慣者と実施者を対象に実施動機の潜在構造を分析し、実施動機と社会経済的地位の関連を検証した。一連の分析から以下の結果が得られた。まず、運動実施者と習慣者は非実施者よりも世帯年収および学歴が高い傾向があり、さらに運動習慣者は実施者よりも世帯年収が高い傾向がある。ただし分析モデルの説明力は高くない。次に、社会経済的地位と実施動機の関連から、運動実施者の中で、運動・スポーツを楽しむことや親しい他者との交流を動機とする人は中学・高校卒者に多く、多様な目的を志向する人 は世帯年収が400万円以上ある傾向がある。一方で、運動習慣者内では実施動機と社会経済的地位は統計的に有意な関連が確認されなかった。最後に、未来志向によって社会経済的地位と運動・スポーツ実施動機の関連を解釈できる可能性を議論した。
  • 森田 達貴
    2024 年32 巻2 号 p. 85-99
    発行日: 2024年
    公開日: 2024/10/30
    ジャーナル フリー
     近年、運動部活動指導者の負担軽減が重要視されるなかで、これまで指導者に対する「外部からのまなざし」に関するストレスはほとんど論じられてこなかった。特に、2010年代以降はSNSの普及によって、指導者は不特定多数からの批判や誹謗中傷に晒される状況もあることから、そうした現代的なストレスとなり得る「外部からのまなざし」の詳細を明らかにすることは重要な視点と考えられる。
     そこで、本研究ではTwitterにみられる高校野球指導者の語られ方を明らかにすることを目的に分析を行った。分析は、高校野球指導者に言及したTwitterの4,466投稿を対象に、感情分析やトピックモデルを用いた分析、その他の多変量解析の手法を用いて実施された。
     分析の結果、高校野球指導者は、甲子園大会における勝利という成功を期待・称賛される一方、体罰をはじめとする非倫理的行為や、試合における投手の采配が批判されていた。また、高校野球指導者は、〈資質〉、〈采配〉、〈プロアマ〉、〈名将〉、〈ハラスメント〉、〈研鑽〉の6つの主要なトピックから語られていた。さらに、〈采配〉や〈ハラスメント〉にはネガティブな投稿が多いことや、〈資質〉や〈采配〉は選手権大会期間中に投稿が集中していることなどが明らかになった。
     本研究の結果から、外部の人々は高校野球指導者が行う「教育」の監視者でありながら、特定の指導者に対しては、「甲子園中心主義」的な考え方から、「競技」的な側面に関わる指導を強烈に期待していることが窺えた。「見る側の論理」を持つ外部の人々にとっては、高校野球の「物語」を味わうことが重要であり、指導者に対しては、甲子園大会に関わる「競技」的な成功(勝利)へ向けた努力と責任を果たすことを求めているのである。そして、このような外部からの「監視」と「期待」のまなざしは、従来に増して複雑かつ多層的に絡み合っており、指導者にストレスを認識させている可能性がある。
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