音楽表現学
Online ISSN : 2435-1067
Print ISSN : 1348-9038
15 巻
選択された号の論文の4件中1~4を表示しています
  • 共同の音楽実践とその目的設定をめぐって
    牧野 広樹
    原稿種別: 原著論文
    2017 年 15 巻 p. 1-18
    発行日: 2017/11/30
    公開日: 2020/05/25
    ジャーナル フリー

    本稿では、ドイツの音楽教育家フリッツ・イェーデ(Fritz Jöde, 1887–1970)の音楽観にみられる共同性のあり方を、彼の著作にみられる「共在(Beieinander)」と「統一性(Einheit)」という二つの語をもとに考察する。「共在」の位相における音楽表現の目的は、音楽実践を契機として、様々な人々が集い、対話が生まれることにあった。この位相は、 多様性を重視するポリフォニー的思考によって成り立っており、いわゆる今日のコミュニティアート的実践に類似する点が多く見受けられる。一方、「統一性」の位相では、まずドイツ民族の統合が目的として設定され、ドイツ民族の一体化と同化を進めるための求心力として、音楽表現の目的が規定された。イェーデが共同の音楽表現に求めたこの二つの異なる 目的は、音楽表現の目的意識に関して、われわれの認識に今なお再考を迫るものであるように思われる。

  • 水野康孝の生涯にみる軌跡
    鈴木 慎一朗
    原稿種別: 原著論文
    2017 年 15 巻 p. 19-36
    発行日: 2017/11/30
    公開日: 2020/05/25
    ジャーナル フリー

    本稿の目的は、水野康孝の生涯を声楽家ならびに音楽教員としての実績から検討することにより、岡山大学でのオペラ公演の立ち上げの背景を明らかにすることである。具体的には第一に岡山大学でのオペラ公演の実態を概観する。 第二に水野の生涯に関して声楽家と音楽教員の側面から考察し、日本語のオペラ公演に至った背景を追求する。岡山大学教育学部では、新制大学最初の卒業生を輩出した 1953(昭和 28)年、演奏会形式で歌劇「ファウスト」の発表を行い、 1955(昭和 30)年には歌劇「魔弾の射手」を本格的なオペラで発表した。水野のオペラに対する情熱を高揚させた要因としては、1949(昭和 24)年、柴田睦陸らの尽力により、東京芸術大学に「オペラ研究部」が創設されたり、朝比奈隆と野口幸助らが中心となり、「関西オペラグループ」(1954 年、関西歌劇団と改称)が結成されたりといった動向があった。 また、彼らと戦前からのつながりがあったため、水野は楽譜やオペラに関する情報ををはじめとして、岡山大学のオペラ公演に向けての支援を得ることができた。

  • 初版における挿絵と詩文を手がかりに
    澤田 まゆみ
    原稿種別: 評論論文
    2017 年 15 巻 p. 37-54
    発行日: 2017/11/30
    公開日: 2020/05/25
    ジャーナル フリー

    山田耕筰の《子供とおったん》は、子どもを題材として書かれた山田の最初のピアノ曲である。総合芸術を目指す文化的世相の中、楽劇や舞踊詩を多く生み出していた山田は、姉とその二人の子どもとの生活をとおして初めて平和な家庭の実在と、生活に基づいた芸術の存在を知りえてこの小品集を作曲した。1917 年大阪開成館からの初版では、斎藤佳三による挿絵と山田による詩文が添えられ、斎藤との芸術的交友や甥や姪たちへの愛情が伝わってくる。《子供とおった ん》は、当時山田が没頭していた舞踊詩とは一線を画し、後の詩と音楽の融合による歌曲や童謡を中心とする創作期との間にあって、生活に基づいた芸術の存在に気づいた山田の大きな感動と新たな創作活動に対するメッセージをわれわれに示している。

  • 奏者間のやり取りに着目した検討
    寺内 大輔
    原稿種別: 評論論文
    2017 年 15 巻 p. 55-72
    発行日: 2017/11/30
    公開日: 2020/05/25
    ジャーナル フリー

    本稿は、アメリカの音楽家、ジョン・ゾーン(John Zorn 1953— )の代表作《コブラ(Cobra)》(1984)を対象とし、その演奏行為に内在する〈ゲーム〉としての特質を考察する論文である。まず、〈ゲーム〉としての特質が内在する音楽のなかで、《コブラ》以前にゾーン以外の作曲家によって作られた諸作品が持っていた特質を振り返る。次に、《コブラ》における奏者間のやり取りに着目した検討を行い、演奏の進行を司る〈プロンプター〉が〈ゲーム〉を活性化させるためにトリックスターとしての性格を有していることを指摘し、また演奏者相互のやり取りが流動的な関係性のなかで 展開していることを論じる。それをふまえ、《コブラ》の演奏行為に含まれる〈ゲーム〉としての特質を 4 つの視点で考察 する。最後に、〈ゲーム〉としての《コブラ》が多様な側面を持っていること自体が、前述の《コブラ》以前に作られた諸作品には見られなかった特質―面白さを生み出したと結論づける。

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