筆者は過去のマクロレビューに「マクロエンジニアリングの概念(VOL.10, No.2 1998)」、「今だからこそマクロエンジニアリング(VOL.14, No.2 2001)」の2回にわたり、マクロエンジニアリングの考え方、理念を示してきた。 世界は1990年の東西ドイツの統合をはじめとした冷戦崩壊後、2001年の9.11アメリカ同時多発テロ事件を経て、以前の様な大きな意味の戦争はないものの、内紛、民族紛争等、人命を奪い合う残念な行為と行動が続いている。 その様な背景の中、基本的な見地から見ると、甚だしい経済成長、或いは経済的安定が継続し、かつ戦争のない安定した国々と、経済成長が進まず、或いは経済的不安定が継続し、いつも内紛等の戦闘状態により、国家が破壊され、国民的な存在が脅かされている不安定な国々の両極端に色分けされている現状が顕著に示されている。 ここに示す不安定な国々の国民は、もしかしたら長い歴史の育みの中で、「逆境に苛まれている」、との感性はなく、いつもこの様な状態、すなわち「戦いこそが、自分たちの生活の基盤」と考えているといっても過言ではない様な錯覚に陥る雰囲気すらある。これらの事実、事象はなぜ生じているのであろうか。もともと人間は基本的にある範囲で平等であり、基本的なある範囲で差別されることなく、かつ、基本的に平和に暮らすことが前提で誕生しているはずである。それにも拘わらず、なぜ、この様な状況が発生しているのであろうか。 係る観点から、筆者は過去の2論文を再度見直し、一般的にいわれている「エンジニアリング」の定義と比較しながら、改めて、正に世の中が必要としているマクロエンジニアリングの概念の変遷と、その理念に基づくアクションプログラムの実行について言及、検証してみる。
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