日本のSTSは,公害問題についての宇井純や原田正純,もしくは反原発運動の高木仁三郎らの系譜を受け継ぐという想定があるが,これはある種の思い込みに終わっているのかもしれない.実際,日本のSTS は今や体制や制度への批判ではなく,科学技術と社会の界面をスムースに接合させる機能を自ら担っている.そのため本稿では,日本のSTSで“科学批判”と呼ばれる潮流の衰退が進んでいる現状について,まずはおおまかな図式を示してみる.
またこの変容を考えるため金森修の所論を,戦後日本の科学批判の歴史にそって検討する.さらに日本でSTSの出現に至った2 つの重要な潮流,すなわち一つ目は廣重徹に濫觴を持ち中山茂が本格展開した思潮(この流れは80 年代に吉岡斉を生み出す)と同時に,村上陽一郎のパラダイムがある種の転換(「村上ターン」)を迎えたことが,戦後科学論の分岐点として,STSを制度化の背景になっていたことを論じる.
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