科学技術社会論研究
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17 巻
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巻頭言
短報
  • 廣野 喜幸
    原稿種別: 短報
    2019 年 17 巻 p. 18-36
    発行日: 2019/04/20
    公開日: 2020/04/20
    ジャーナル フリー

     1980 年代のバイオテクノロジーの進展は人体の商品化を可能にし,資本システムは実際に人体を商品化してきた.先進諸国は臓器売買を禁じる法律を制定したが,発展途上国では(特にイランでは国家主導で)売買がなされている.経済的アクターによる生権力は,近代世界システムが外部を周辺化したさいに,強制労働という規律権力で始まり,18~19 世紀を中心とする黒人奴隷制度で「生き続けよ,そうでなければ死に廃棄せよ」とする生権力の形態をとり,それが引き続き人体のパーツに達したと解釈できる.このタイプの経済的生権力は近代世界システム論のいう半周辺地域に,より深く浸透しているが,この機序の詳細を解明することが今後の課題となろう.

  • 標葉 隆馬
    原稿種別: 短報
    2019 年 17 巻 p. 37-54
    発行日: 2019/04/20
    公開日: 2020/04/20
    ジャーナル フリー

     生命科学の発展は多くのベネフィットを社会にもたらすと同時に,「生」が持つ様々な側面を資本化し,市場の中に投げ入れてきた.現代における「生」の資本化は,とりわけ1970 年代以降のバイオテクノロジーの急速な発展と,それに適応する形で1980 年代のアメリカにおけるプロパテント政策を背景として急速に進んでいったものであるが,このような「生」の「生-資本」化を巡る視座は近年における科学技術社会論の中心的な関心の一つになりつつある.その中で,「生-資本」を巡る「語り」やポリティクスがどのような実態を持つのかについてのアプローチが続けられている.

     このような状況を踏まえ,本稿では,特に2000 年代半ば以降における国内外の「生―資本」を巡る議論を概観すると共に,科学技術社会論が当該テーマに関して今後取り組むべき課題とその方向性について素描を試みる.

  • 命の選別と切り捨てへの力動の両輪として
    児玉 真美
    原稿種別: 短報
    2019 年 17 巻 p. 55-67
    発行日: 2019/04/20
    公開日: 2020/04/20
    ジャーナル フリー

     世界各地で「死の自己決定権」「死ぬ権利」を求める声が広がり,積極的安楽死と医師幇助自殺の合法化が加速している.それに伴って,いわゆる「すべり坂」現象の重層的な広がりが懸念される.また一方では,医師の判断やそれに基づいた司法の判断により「無益」として生命維持が強制的に中止される「無益な治療」係争事件が多発している.「死ぬ権利」と「無益な治療」をめぐる2 つの議論は,決定権のありかという点では対極的な議論でありながら,同時進行し相互作用を起こしながら「死ぬ・死なせる」という方向に議論を拘束し,命の選別と切り捨てに向かう力動の両輪として機能してきたように思われる.日本でも「尊厳死」のみならず積極的安楽死の合法化まで求める声が上がり始めているが,「患者の自己決定権」概念は医療現場にも患者の中にも十分に根付いておらず,日本版「無益な治療」論として機能するリスクが高い.日本でも命の切り捨ては既に進行している.

  • 医療費増加の責めを高齢者に帰する言説の分析
    花岡 龍毅
    原稿種別: 短報
    2019 年 17 巻 p. 68-78
    発行日: 2019/04/20
    公開日: 2020/04/20
    ジャーナル フリー

     医療費が増加するのは高齢者が増えるからであるという一般に流布している見解が誤りであることは,医療経済学においては,ごく初歩的な常識である.本稿の課題は,こうした誤った認識の根底にある思想を「高齢者差別主義」と捉えた上で,こうした一種の「生物学主義」が浸透している社会の特質を,フーコーの「生政治」の思想を援用しながら検討することである.

     生権力は,もともと一体であるはずの集団を,人種などの生物学的指標によって分断する.年齢などの指標によって高齢者と若年者とに分断する「高齢者差別主義」もまた生権力の機能であるとするならば,そして,もしこうした仮説が正しいなら,フーコーの指摘は現代の日本社会にも当てはまる可能性がある.フーコーが私たちに教えてくれているのは,生権力のテクノロジーである生政治が浸透している社会は,最悪の場合には自滅にまでいたりうる不安定なものであるということである.

  • 経緯・現状とそれを支える文化構造
    柳原 良江
    原稿種別: 短報
    2019 年 17 巻 p. 79-92
    発行日: 2019/04/20
    公開日: 2020/04/20
    ジャーナル フリー

     代理出産は1976 年に米国で発明された商業的な契約である.当時の批判的な世論に影響された結果,商業的要素の低い人助けとしての位置づけがなされた.その後ベビーM事件により下火となるも,1990 年代に体外受精を用いる形で普及し,2000 年代からは生殖アウトソーシングと呼ばれる越境代理出産が流行し,世界的な一大市場を形成してきた.

     このような代理出産には,乳児売買,かつ女性の赤ちゃん工場化であるとの批判がなされてきたが,後者は女性の〈妊娠・出産というサービス〉と解釈されることで,身体の商品化を免れるレトリックが構築されてきた.しかし代理出産の現状は,それが女性の生命機能全体の商品化であることを示している.

     これら代理出産を支える論理は,生命科学知により分節化されつつ発展する「生-資本」が機能する社会の中で構築されている.そして代理出産市場は,このような社会で人の潜在的な〈生殖可能性〉を喚起しながら拡大を続けている.

  • 代理出産をめぐる日仏の動向
    小門 穂
    原稿種別: 短報
    2019 年 17 巻 p. 93-103
    発行日: 2019/04/20
    公開日: 2020/04/20
    ジャーナル フリー

     本報告は,代理出産を女性の身体の資源化ととらえ,母体の資源化に抗うにはどうすればよいのかという観点から,日本とフランスで公表されてきたルールなどにおける代理出産の禁止のあり方に着目し,どのように禁止してきたのか,禁止のやり方は変わってきたのか,禁止の効果はどのようなものかを明らかにすることを試みる.両国とも代理出産が容認されていないが,その禁止の方法や,外国での代理出産で生まれた子の国内での親子関係確立に対する扱いは異なる.日本ではガイドラインにより実施が認められていないという状況が続いているが,代理出産に関する紛争を抑えるという面では一定の効果を挙げているように思われる.フランスでは法律で禁止してきたが,近年のヨーロッパ人権裁判所の判決を受け,外国での代理出産で生まれた子の国内の父子関係は容認されるようになった.フランスの現状は,禁止する法律を作ることだけで抗うのは難しいことを示している.

  • 山本 由美子
    原稿種別: 短報
    2019 年 17 巻 p. 104-117
    発行日: 2019/04/20
    公開日: 2020/04/20
    ジャーナル フリー

     胎児組織の研究利用の規制は,各国でも胚の場合に比べて緩い規制となっている.とくに日本では胎児組織の利用に特化した規制はなく,死亡胎児や中絶胎児は現実に無防備の状況にある.また,日本では中絶が比較的自由に実施されてきたのにもかかわらず,中絶の実態や中絶胎児の処遇について議論されにくい.国際的には,ES細胞やiPS細胞の利用によって,胎児組織利用を代替しようとする傾向にある.一方で,欧米を中心に胎児組織―とりわけ中絶胎児―の研究利用は合法化されており,胎児組織は少なくとも基礎研究において不可欠となっている.本稿は,日本を中心として,胎児組織の利用と保護の規制からこぼれ落ちる存在に焦点をあてるものである.また,こうした存在を,子産みをめぐる統治性や生資本との関係から素描する.それは,今日の生権力のあり方に立ち現れているバイオテクノロジーと資本主義の関係であり,そこに配役されているのが認知する主体としての妊婦なのである.

  • 遺伝性疾患のある当事者の語りから
    二階堂 祐子
    原稿種別: 短報
    2019 年 17 巻 p. 118-128
    発行日: 2019/04/20
    公開日: 2020/04/20
    ジャーナル フリー

     科学と医療の進展によって細胞内の染色体やDNAの形状が解明されると,科学者らはその状態に「欠損」「不全」「過剰」などの言葉を付与した.名を与えられたそれらはその後,あたかも構築をまぬがれた実体であるかのように,個体の社会的差異の源泉としてふるまうようになった.こうして,遺伝子の状態が障害の原因であると診断された人の身体は,能力主義的に,あるいは見た目によって価値づけられると同時に,ある遺伝情報を実体として構築するための舞台になっているといえる.

     本稿では, 遺伝性疾患のある人が,文化的構築物である遺伝情報をどのように用い,受け止めているのかをインタビュー調査事例より明らかにした. 結果,数値や記号として示される診断告知としての遺伝情報と,インタビュー協力者が不可逆的な生の時間の流れを振り返って用いる遺伝情報は,象徴的媒体としての働きが異なっていることがわかった.協力者の生の時間の流れにある遺伝情報は,他者(家族や友人,介助者,医療者,教育者等)との関係,手術の経験,薬の摂取,補助具の利用等の記憶を刻印する媒体として機能していたのである.

  • 武藤 香織
    原稿種別: 短報
    2019 年 17 巻 p. 129-139
    発行日: 2019/04/20
    公開日: 2020/04/20
    ジャーナル フリー

     本稿では,いわゆる「遺伝子検査」の日本国内の規制状況を論じる.「遺伝子検査」の規制には2 つの省が関与する.厚生労働省は,診断的検査(発症前遺伝学的検査を含む)を所掌する.健康・医療戦略の閣議決定(2014)までゲノム医療が推進されなかったため,保険収載済みの検査は74 項目に留まる.経済産業省は,DTC検査や診療所で販売される消費者向け検査を所掌するが,その質は規制せず,業界団体が自主的に管理する.だが,これら2 つの「遺伝子検査」を消費者が区別することは困難であろう.米国では,食品医薬品局(FDA)が全ての「遺伝子検査」を所掌し,上市前承認の要否判断にはリスク別アプローチを採用した.FDAの方針に則ると,日本の消費者向け検査の大半は販売禁止となるが,一部の発症前遺伝学的検査は消費者への直接販売が可能だ.日本の原則なきデマケーションを見直し,消費者が「遺伝子検査」のリスクを理解できる基本方針を示すべきである.

  • 医療情報の電子化と次世代基盤法
    佐々木 香織
    原稿種別: Research Note
    2019 年 17 巻 p. 140-155
    発行日: 2019/04/20
    公開日: 2020/04/20
    ジャーナル フリー

     本稿は次世代医療基盤法(2018 年5 月施行)に伴う医療情報の社会的役割の変容を考察する.20 世紀末までカルテに代表される診療記録は,主に医療目的の使用であった.しかし診療記録のIT化に伴い,ビッグデータ解析のような情報集積による医療研究が技術的に可能となる.そこで上記の法により,医療研究を発展させるべく個人情報保護法の例外として診療記録の二次利用を法的に許容させたのである.

     よって本稿は,①診療記録を集積し研究へ二次利用することに伴う,カルテの存在意味の変容,②診療記録とそれを利用する医師,患者,集積データ管理者や加工者,との関係性の変容,の二点を議論する.議論にあたり,社会学と経済学の交換理論を援用する.カルテの価値が交換過程―売買を含む―を通じ変化する点を考察可能とするからである.したがって本稿は,診療情報をめぐるある種の資源化と商品化に関する事例研究として位置づけられるだろう.

  • バイオバンクと「約束」のあり方
    井上 悠輔
    原稿種別: 短報
    2019 年 17 巻 p. 156-163
    発行日: 2019/04/20
    公開日: 2020/04/20
    ジャーナル フリー

     医学・生命科学研究の活性化は,人体を対象とする研究が一層活発になることを意味する.人を観察して一般化されうる知識を引き出すための科学研究と,研究に参加する個々人の多様な意思とのバランスをどう取るべきだろうか.本稿では,人体に由来する生物学的な試料(人試料)と,こうした研究活動の基盤として国を挙げて整備されているバイオバンクに注目し,特に「同意」をめぐる多様な理解と論点を検討する.

  • 見上 公一
    原稿種別: 短報
    2019 年 17 巻 p. 164-175
    発行日: 2019/04/20
    公開日: 2020/04/20
    ジャーナル フリー

     生命医科学の発展とともに様々な形で人体の資源化は実現されてきたが,資源化された人体を直接的に産業と結びつけることは必ずしも社会として受容されてこなかった.これに対し,再生医療の特徴の一つとして,実現された際にもたらされる経済効果への期待が明示的である点が挙げられる.本稿は,そのような再生医療における人体の資源化と経済活動の結びつきを正当化するための社会装置という観点から,幹細胞バンクについて,特にヒト人工多能性幹細胞(hiPS細胞)研究の一環として国内に設置された二つの幹細胞バンクに焦点を当てて検討を行う.hiPS細胞の医療応用への道筋としては,再生医療と病態モデルの作成による創薬の推進が提示されており,これらの幹細胞バンクはそれぞれの道筋に対応するものと理解できる.二つの幹細胞バンクとそこに見える人体の資源化の在り方の考察を手がかりに,人体の資源化に関わる社会装置に目を向けることの重要性について考える.

原著論文
  • 日本における生命科学・ライフサイエンス論の場合
    田中 丹史
    原稿種別: 原著
    2019 年 17 巻 p. 179-192
    発行日: 2019/04/20
    公開日: 2020/04/20
    ジャーナル フリー

     本稿は生命科学・ライフサイエンス論の3 人の著名な研究者の見解を科学者の社会的責任論の観点から考察した.まず分析対象とするのは江上不二夫の見解である.江上の特徴は生命科学・ライフサイエンスを人文・社会科学を含む学際領域と捉えた点にあり,その研究審議の結果を踏まえて市民との対話の必要性も説いている.続いて取り上げるのは、中村桂子の議論である.中村は基礎研究の段階から,生命科学・ライフサイエンスには科学コミュニケーションが重要になることを主張していた.さらに1990 年代以降,生命誌の研究に移行すると,科学者の内的責任と外的責任の双方が当然視されるような世界観を打ち出している.最後に取り上げるのは,渡辺格の主張である.渡辺の生命科学・ライフサイエンス論の特徴は淘汰されるマイノリティもコミュニケーションに参加すべきとした点にある.3 人の主張はそれぞれ科学者の社会的責任論を展開していた点に特徴があると言える。

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