代理出産の利用をめぐる議論は,用いる生殖技術の変化や,関与する人々の多様化に伴い,拡散する傾向にある.一方,同様に生命科学技術が引き起こす,脳死臓器移植や安楽死など生から死への変化に関する問題では,フーコーの生政治論を援用することで,一定の秩序に沿って説明する動きが生じている.本稿は,同様の生政治論を代理出産の文脈に応用し,代理出産にまつわる諸現象の奥に存在する力学を確認することで,混迷を極める議論を,秩序立てたものへと整理する試みを実施する.
まずは本稿で扱う生政治論の射程を確認するため,フーコーの生政治論と,その没後に展開された生政治論の概観を整理する.次に生政治論の中でも「人体の解剖・生政治論」に焦点を当て,そこで意図される権力構造を確認する.その上で,20 世紀後半から生じた,人の生殖に関する認識の変化を「人体の解剖・生政治論」を用いて説明する.それらを踏まえて,代理出産に関する言説を中心に,生政治の作動形態を具体的に論じていく.
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