55才男子.昭和30年よりスチレンモノマーを架橋用にしたポリエステル樹脂槽の製造に従事した.作業は素手で行ない,流涙,鼻汁を頻回に経験していた.3年後黄疸にて入院治療をうけたが,この頃より頭重感,不眠,全身倦怠感,四肢のしびれ感,筋肉痛が始まり,時には激しい苦痛を訴えた.昭和44年5月当科ヘ入院した.入院時現症では痩せ,および上下肢,躯幹の表皮が萎縮性を示し,四肢,躯幹に軽度の筋萎縮を認めた.四肢の腱反射の亢進があり,知覚検査で両側上下肢のしびれ感,両側下腿に冷感覚の低下を認めた. 入院時検査成績では,皮膚生検上中等度の表皮の萎縮を認め,筋生検および筋電図は神経原性の変化を示した.尿中クレアチン排泄量は187mg/dayと増加が認められたが,尿中馬尿酸排泄量は0.28∼0.32g/dayと正常であった.肝機能,血算,血液生化学,血清反応,尿検査には異常を認めなかった. 入院および経過約1年の観察で,症状はほとんど不変であり,心季亢進,呼吸困難,不眠,頭痛ならびに食思不振を伴う高度の不安神経状態が出没した. 汎発性強皮症が鑑別の対象になったが臨床ならびに組織学的所見より除外された. スチレン中毒症と考えられる症例は文献上Carpenter(1944), Barsotti(1952), Klimkova-Deutschova(1962), Praatt-Johnson(1964), Stewart(1968),松下(1968),原(1970)-以上神経障害例-,およびKatz(1962,肝,脾,血液障害例)らの報告をみる.これらの症例の臨床所見は必ずしも一致していないが,われわれの症例は,末梢性の神経障害,腱反射亢進,ならびに精神症状を示した点が,Klimkova-Deutschova,松下の報告と共通であり,さらに皮膚および筋萎縮の存在が新知見であった.
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