土木史研究
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15 巻
選択された号の論文の61件中51~61を表示しています
  • 松村 博, 藤田 淳, 鈴木 敬二
    1995 年15 巻 p. 517-526
    発行日: 1995/06/09
    公開日: 2010/06/15
    ジャーナル フリー
    古い時代の土本構造物の研究においては土木工学上の知識や解析手法を適用することが有効な手段の一つとなりうると考えられる。本論文では、入佐川遺跡で出土した橋杭について、まず考古学的な見地から遺構の内容や遺跡における位置付けを明確にした上で、「橋」の構造の復元と年代推定を行った。過去の橋の発掘事例が十分ではないため、比較的古い時代に画かれた絵巻物の中から橋の構造がわかるものを検出するとともに、地盤の支持力や構造形の違いによる変位の差などを計算して推論の裏付けとした。その計算結果をもとに元の橋の形式を提案し、考古学の研究においても土木工学的な手法の適用が有力な補助手段となることを示した。
  • 岡林 隆敏, 小嶺 啓蔵
    1995 年15 巻 p. 527-532
    発行日: 1995/06/09
    公開日: 2010/06/15
    ジャーナル フリー
    本研究は、伝統的な近世の橋梁建設技術から近代的な橋梁建設技術に移行する過程を明らかにする研究の一環ととして、石造アーチ橋を事例にして、その時代的な変化を検討したものである。本研究は、明治中期から昭和初期に架設された、いわゆる近代の石造アーチ橋を対象にして、現存している橋梁831橋のデータベースを作成し、統計的に近代の石造アーチ橋の特徴を抽出した。さらに、現地調査と撮影した写真から、特に石造アーチ橋を建設する場合に着目すべき、橋脚の時代的な変遷に着目した。そこで、近世の石造アーチ橋から、石材の接着剤としてセメントを使用した近代の石造アーチ橋へ移行する過程において、橋梁の形態の変化と橋脚の形態の変化について考察を加えたものである。
  • 渡辺 明子, 伊藤 学, 窪田 陽一
    1995 年15 巻 p. 533-540
    発行日: 1995/06/09
    公開日: 2010/06/15
    ジャーナル フリー
    本研究では、埼玉県内に現存している明治から昭和初期 (第二次大戦以前) に架設された橋梁について、資料調査・現地調査を行い、その結果をデータベースに蓄積した。主に、鉄道橋について調査を行った結果、228橋分のデータを収集することができた。道路橋については、昨年に行われた調査の結果をもとに現地調査を行い、新たに7橋のデータを追加し150橋の現存が確認できた。これらの結果をもとに対象期間に架設された橋梁の特徴を述べ、考察するものである。
  • 山本 太郎, 清水 茂
    1995 年15 巻 p. 541-552
    発行日: 1995/06/09
    公開日: 2010/06/15
    ジャーナル フリー
    A database system is constructed on the bridges in Edo City (old name of City of Tokyo). The data of bridges during early Edo Era (approx. 17th Century) are included in this database.
    In the early Edo Era, after the Tokugawa Shogunate is established in the City of Edo, the City of Edo grew and brisked up rapidly. In the city, there are many rivers and canals, and thus many new bridges were built in the city with its growth. It is interesting to survey such bridges in the historical study on the bridge engineering.
    “The history of Tokyo City, Bridge Edition”, edited by Tokyo City Office in 1939, and old maps printed in the Edo Era are used as the sources of data.
    The database constructed in this paper shall be a powerful tool which supports the historical study on such bridges.
  • 岡林 隆敏, 井手 義治
    1995 年15 巻 p. 553-558
    発行日: 1995/06/09
    公開日: 2010/06/15
    ジャーナル フリー
    近年、パーソナルコンピュータの飛躍的な性能向上と画像・映像に関する周辺技術の開発により、コンピュータによる画像処理が容易にできる環境が整ってきた。そこで、歴史研究の分野において、画像データベースの研究が進められている。本研究は、パーソナルコンピュータによる画像データベースの構成方法について検討したものである。具体的な事例として、長崎大学付属図書館古写真写真画像データベースと長崎市文化財検索画像データベースを作成した。
  • 文化施設の名前の土木遺産としての価値評価ダム名・ダム湖名を中心として
    竹林 征三
    1995 年15 巻 p. 559-569
    発行日: 1995/06/09
    公開日: 2010/06/15
    ジャーナル フリー
    文化遺産としての土木施設とは、土木施設そのものと、土木施設の名前とに大きく分類される。文化遺産として考える場合、「建造物の名前」はどのような特性を持ち、評価されるかを「建造物そのもの」との比較において考察を加える。土木史、さらには土木施設がおりなす文化史として考えた場合、「土本施設の名前」が「土木施設そのもの」よりも地域社会に大きなインパクトを与え、歴史的にも意義を持つ例もある。
    ここでは、土木施設の命名の由来についてダム名、ダム湖名等について分析し考察を加えた。また、土木施設の命名にあたっては地域計画のデザインコンセプトのもとに、トータルネーミングデザインが重要であることについての言及し、土木史的観点から評価を加えた。
  • 篠田 哲昭, 中尾 務, 早川 寛志
    1995 年15 巻 p. 571-576
    発行日: 1995/06/09
    公開日: 2010/06/15
    ジャーナル フリー
    本報告は、江戸幕府の素期に、諸外国からの要請や圧力に対抗する攘夷のために、海防を目的とした幾つかの砲台構築を行った。なかでも、江戸近海に並ぶ北辺海防の最重要拠点として、箱舘に「弁天岬砲台」および「五稜郭」の建設を上申した。この計画・建設に直接携わったのは、村垣淡路守を筆頭に河津三郎太郎、武田斐三郎等であったが、武田斐三郎は、軍学者 (特に兵学築城術) の家系に生まれ、後に蘭学を学び、弁天岬砲台および五稜郭の計画・建設に携わっている。また、斐三郎によって日本古来の築城術と、蘭学による西欧築城法の利点を合わせ持った近代火器に対処し安全で合理的な構築が行われたものと思われる
    函館区史によると、1896 (明治29) 年函館港防波堤の建設に携わった廣井勇氏が弁天岬砲台の解体を行った際に「此の建築は今日の物に比して豪も劣る所なし、其の四隅に鉄柱を貫通せしめたるが如き用意周到というべし」と驚嘆したことから、その技術的水準を窺うことが出来る。
    筆者らは、「弁天岬御台場」の計画・建設についての経緯を資料に基づいて整理解読し、報告したものである
  • 寺中 啓一郎, 大野 克也, 和野 信市, 石川 淳
    1995 年15 巻 p. 577-586
    発行日: 1995/06/09
    公開日: 2010/06/15
    ジャーナル フリー
    1854 (安政元年) 頃より外圧により、わが国に下田、箱館などのいくつかの港が開港され、国内のみならず外国との通商貿易が盛んになってきた。日米修好条約により開港された横浜は、東京をしのぐ港として繁栄していった、しかし一方、首府東京にも港湾を整備すべきとの論も強く、国防上の問題や防疫の面などでいくつかの間題を残しながらも、荒川 (隅田川) 周辺海域の自然条件を克服して近代港湾を整備すべきとの要望があり、政治・社会的にも多くの曲折を経ながら目的達成に向かって遂次前進していったことは否めない。このような幾多の実現への困難のなかでここにのべるような困難な幾多の事件が発生した。
    現時点にたってみると、結果的に今日みられるような大東京港が成立してきていることが理解される。
    明治34年6月21日、熱烈な港湾整備論者であった星享東京港築港委員長が兇漢の刃に倒れ、このため築港計画も一時休止状態にならざるを得なっかった。ここでは、本文では、ここまでの時代的経緯を可能なかぎり技術的視点により言及したものである。
  • 後藤 恵之輔, 崔 勝弼, 全 炳徳
    1995 年15 巻 p. 587-591
    発行日: 1995/06/09
    公開日: 2010/06/15
    ジャーナル フリー
    元録13年 (1700年) に幕府に献上された長崎対馬の国絵図は、我が国に残存する他の国絵図と比べて極めて精度の高い地図である。本研究では、この対馬国絵図について、その歴史的背景を調べるとともに、精度をチェックし、どのような技術により作られたかなどを調査、考究するものである。
  • 防災まちづくりを先人の知恵に学ぶ
    後藤 恵之輔
    1995 年15 巻 p. 593-601
    発行日: 1995/06/09
    公開日: 2010/06/15
    ジャーナル フリー
    本年 (1995年) 1月17日に起こった阪神大震災は、防災まちづくりの重要性を再認識させた。本研究では種々の災害のうち火災を取り上げ、その防止策の一つとして防火壁を考え、成功事例である長崎県対馬厳原町のそれについて、歴史的かつ社会・経済史的に考察したものである。厳原の現地において、防火壁の現状を踏査するとともに、厳原町教育委員会と郷土史家を訪ね、防火壁築造に至るまでの背景、防火壁の築造と効果などについて調べた。厳原において防火壁ができたのは、江戸時代に度重なる大火が続いたためであり、築造後では大火は無く、防火壁が効果的に機能していったことが明らかである。現在では、島の土地狭小により、家屋の敷地や道路の用地が限られる結果、防火壁は消滅したり姿を変えようとしている。
  • 1994. 10. 7 土木史研究委員会幹事会での勉強会より
    越沢 明
    1995 年15 巻 p. 603-614
    発行日: 1995/06/09
    公開日: 2010/06/15
    ジャーナル フリー
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