環境社会学研究
Online ISSN : 2434-0618
12 巻
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巻頭エッセイ
特集・小特集 世界遺産
特集 世界遺産
  • 宗田 好史
    2006 年 12 巻 p. 5-22
    発行日: 2006/10/31
    公開日: 2018/12/25
    ジャーナル フリー

    1992年にわが国が世界遺産条約を批准したのは,72年に条約がユネスコ総会で締結された20年後のことである。以前の無関心ぶりと比較すると,その後14年間の国内の様子は,にわかな世界遺産ブームといえよう。テレビ番組,出版界,観光業界それぞれに世界遺産を冠した商品があふれている。特に,近年の豊かな高齢者たちの旅行好き,文化好きの傾向に世界遺産は合うらしい。踏破し,揃え,集めたいという国民の嗜好を刺激するのかもしれない。

    その一方,全国各地では地元の文化財を世界遺産にという活動が盛んになった。かつて,白神山地のブナ林保存を訴える活動が,わが国の世界遺産条約批准に大きな影響を与えた。同様に,現在の文化財保護法,自然環境保全法などで守りきれない遺産を,世界遺産というタイトルをもつもう一つの法体系,制度的枠組み,社会的認知などで一層の保護・保全強化をねらう活動が広がったとも考えられる。その反面,世界遺産のタイトルだけが欲しいという活動も多いだろう。

    しかし,世界遺産はどうして生まれたのか。ユネスコは,今それをどうしようというのか。なぜ世界遺産を守るのか,なぜ各国は登録を続けるのか。これら素朴な疑問について国内では十分な議論が尽くされているとはいいがたい。マスコミは,世界遺産を美術全集や観光案内と同じように紹介することが多く,一般市民の関心もこの域をでない。登録に向けた各地の動きには,国宝・重要文化財の上の「肩書き」と考えるもの,ローカルな価値評価を世界に発信するものなど様々な認識がある。実際,世界遺産は多様性をもったグローバルな文化活動である。しかし,そうはなりにくい地元にはどんな問題があるのだろう。

    本論では,世界遺産条約成立から現代までの経緯から文化遺産に関する議論の展開を探り,国内の議論とは異なった点が多い国際的状況を点検する。次に,近年話題の中心になった文化的景観,産業遺産,文化的ルートなど新しい種類の文化遺産を取り上げ,あわせてそれらの遺産の保護のために必要な管理計画を紹介し,管理運営上も問題となる文化遺産と観光の問題を紹介しつつ,地域社会と文化遺産の関わりの問題を探る。

  • 才津 祐美子
    2006 年 12 巻 p. 23-40
    発行日: 2006/10/31
    公開日: 2018/12/25
    ジャーナル フリー

    世界遺産への登録を地域おこしの切札のように考えている地域は少なくない。実際,現在日本各地で行われている世界遺産登録運動は,枚挙に暇がないほどである。しかし,世界遺産登録は,当該地域に望ましいことばかりをもたらすわけではない。本稿で事例として取り上げる「白川郷」では,近年特に,この文化遺産の骨子である景観に「変化」が生じていることが問題として指摘されている。

    この場合の変化は,観光客急増に起因した「悪化」という意味で使われることが多い。しかし,「白川郷」で起きている変化は,〈景観の「悪化」〉だけではない。修景行為に伴う〈景観の「改善」〉もまた「白川郷」で起きている変化だといえるからである。つまり,「白川郷」では,〈景観の「悪化」〉と〈景観の「改善」〉の両方に変化が生じているといえる。しかしながら,実は,個々の変化を「悪化」と見るか「改善」と見るかは,評者によって違うのである。そこで必然的に,誰がそれを判断するのか,ということが問題になってくる。

    また,〈景観の「悪化」〉であろうと〈景観の「改善」〉であろうと,それらの変化が「白川郷」に暮らす人々の生活に直結しているということも重要である。にもかかわらず,従来景観の変化が取り沙汰される場合,その点が軽視されがちであった。

    そこで本稿では,住民と「専門家」という二つの行為主体に関する考察を軸に,生活者である住民の視点に留意しつつ,現在における景観保全の在り方の問題点を明らかにした。その際,これまでほとんど指摘されてこなかった,世界遺産登録後の〈景観の「改善」〉のための規制強化に着目し,検討を加えた。

  • 小野 有五
    2006 年 12 巻 p. 41-56
    発行日: 2006/10/31
    公開日: 2018/12/25
    ジャーナル フリー

    北海道のシレトコ(知床)は,2005年7月,ダーバンでのユネスコの会議で正式に世界自然遺産に登録された。しかし,シレトコを世界遺産候補地として国内で決定する過程において,アイヌ民族はまったく関与できなかった。しかし,アイヌ民族の「代表」組織である「北海道ウタリ協会」だけでなく,アイヌ民族のいくつかのNPO団体がIUCN(国際自然保護連合)に対してシレトコ世界遺産へのアイヌ民族の参画を求める要請を個別に行ったことで,最終的にIUCNは,アイヌ民族がエコツーリズムを通じてシレトコ世界自然遺産の管理計画に参画することが重要であるという勧告を出した。本論ではまず,日本の社会において,このような異常とも言える事態が起きた要因を分析する。この分析にもとづき,アイヌ民族がおかれている現状を環境的公正とガヴァナンスの視点から考え,先住民族のガヴァナンスを実現する手段としてのアイヌ民族エコツーリズムの戦略について検討する。本論は,研究者が自らの「客観性」や「中立性」を重んじるあまり,自らを常に対象の外において現象の記述に終始し,研究者自身が問題に介入することを避けてきたことや,問題が一応の解決を見てから「研究」を始める,という姿勢への批判的視点にたっている。シレトコ世界遺産問題を具体的な事例として,研究者=運動者という立場から今後の環境社会学の研究のあり方について考えたい。

  • 野田 浩資
    2006 年 12 巻 p. 57-71
    発行日: 2006/10/31
    公開日: 2018/12/25
    ジャーナル フリー

    「京都」は1994年に世界文化遺産に登録された。本稿は,1990年代後半以降の京都市の景観問題,歴史的環境保全の軌跡を,「伝統の消費」という観点から論じる試みである。具体的には,「町家保全」と「まちなか観光」の動きを追跡することとなる。前稿(野田,2000)では,主に1990年代半ばまでを扱い,〈京都らしさ〉を求める「外からのまなざし/内からのまなざしの交錯」が,都市計画と景観保全に制度化されたことを指摘した。本稿では,歴史都市・京都をとりあげることによって,世界遺産という「外からのまなざし」によって,「古都という名称のテーマパーク化」が進行しつつあるという,悲観的な診断をもとに,グローバル化の進む現代社会において「外からのまなざし」「グローバルなまなざし」に抗した「都市再生」のあり方について考えてみたい。

小特集 世界遺産
論文
  • 安部 竜一郎
    2006 年 12 巻 p. 86-103
    発行日: 2006/10/31
    公開日: 2018/12/25
    ジャーナル フリー

    本稿は,本誌第11号の特集における三浦の指摘に示唆を得て構想された。本稿では,インドネシア南スマトラ州において,強力な外部のアクターによる資源の囲い込みに対する抵抗として先住者の慣習的な森林管理権の主張が立ち現れた例を示す。ここでは,「環境共生の知恵を持つ先住者 vs 外部の開発資本」という古典的な物語に留まらず,外部のアクターも同様に「環境保全」の知識を武器に森林へのアクセス権を争っている。インドネシアの社会的文脈においては,慣習的な森林・水管理権の正統性の主張は外部の強者に対抗する上でそれなりの効力を有する。しかし,同時にこの主張は,先住性/共同性に基づく資源の独占を意味するから,移住者や被差別者など共同性の中心から遠い者を資源から排除する根拠ともなりうる。これは,私有または国有による独占と先住/共同性に基づく独占という2つの資源の独占形態が対峙した結果でもある。したがって,慣習的な共同管理権の主張が実際に弱者の排除につながるか否かは,個々の問題の歴史・地理的な背景に加えて,各アクター間の具体的な相互作用を明らかする必要があり,その手法として環境問題の政治過程論を提案する。

  • 武中 桂
    2006 年 12 巻 p. 104-119
    発行日: 2006/10/31
    公開日: 2018/12/25
    ジャーナル フリー

    本稿は,札幌市近郊の大規模森林を事例に,行政の管理下にある自然環境に対して,かねてからその周辺に暮らす人びとが今日に至るまでどのようにかかわってきたを考察したものである。

    野幌国有林は,昭和43年(1968年)に「北海道開基百年」を記念して道立自然公園に指定されて以来,「野幌森林公園」として知られている。ライフスタイルの変化や都市化などにより自然環境に触れる機会が減少傾向にある現代,そこは近隣住民にとっての「身近な自然」であり,多くの人びとに幅広く利用されている。一方で,指定直前まで,そこは周辺部落に暮らす人びとの生活の糧「ヤマ」であった。ただし,次第に生活の糧としての国有林の役割は薄れ,自然と「ヤマ」との関係は希薄になる。野幌部落の人びとは物理的な要因を認めつつも,その決定的な理由を「公園化」に求める。そしてそこが公園であるという現実を理解しながらも,彼らは今なお野幌国有林を「ヤマ」と呼び,「ヤマ」を守る活動を続け,そこを「ヤマ」として生活意識につなぎとめている。よって,現在の野幌国有林を,「重層的な環境意識を備えた空間」として提示することができる。

    さらに,野幌部落の人びとは今日に至っても国有林を「自分たちのヤマ」とし,「かかわることの正当性」を主張する。その根拠は,生活設計の結果として大地を切り開く行為としての「開拓」にある。つまり,具体的な働きかけの場面を喪失しても,入植当初からの土地に関する区分と領有意識を受け継いでいる意味において,ある種の「所有」を正当化しているのである。

  • 山越 言
    2006 年 12 巻 p. 120-135
    発行日: 2006/10/31
    公開日: 2018/12/25
    ジャーナル フリー

    アフリカにおける自然保護運動は,植民地時代に行われた強権的な保護区の設置に起源を持つ。各国の独立後も,国際的な自然保護への要請や,先進国からの観光需要を主たる駆動力として運営が行われ,アフリカの人々にとっては自発的な動機に乏しい,外在的な活動であり続けた。今日の参加型保全活動の文脈においても,アフリカの人びとの主体性や保全理念の欠如を主張する,権限委譲への懐疑論がかまびすしい。

    本稿では,人々と野生チンパンジーとの平和的な共存の地として描かれてきた,ギニア共和国ボッソウ村を舞台に,2002年,同村における政府系研究機関の設立に伴い勃発した,村人によるチンパンジー生息地の森林伐採行動の詳細を記述した。伐採運動は,表向きには生活苦による焼畑耕作地確保の必要性という理由で行われたが,実際には,政府系研究機関によって奪われようとしていた,観光収入の配分などの決定権を維持することが主因であったと考えられる。2002年の一斉蜂起の後にも,数世帯による伐採・耕作が継続した。その背景には,学術研究の隆盛により変容していた村の植生景観を,変容前の姿に取り戻す意図が働いていたと考えられる。このような運動の背景にある景観認識は,外部者が持ち込む保全モデルとは異なる,在来知に基づいた保全モデルによって裏付けられていた。

    本事例があぶり出したボッソウ村における在来保全モデルは,村における人獣共通感染症やチンパンジーの襲撃による人身被害への対策という点で合理性があり,一般性のある保全生態学的知識に基づいた外来の保全モデルとの間で,単純に甲乙をつけることはできない。今後の保全対策は,両モデルの間での健全な対話に基づいて決定されていくべきであろう。

  • 川田 美紀
    2006 年 12 巻 p. 136-149
    発行日: 2006/10/31
    公開日: 2018/12/25
    ジャーナル フリー

    本稿は,ローカル・コモンズを分析の対象として,人びとと自然との間にどのような直接的な交流がなされているのか具体的に示すことを目的とする。それを示したうえで,自然を「保護」するために人びとはどのような規範をもっているのか検討する。

    具体的には,茨城県の霞ヶ浦周辺村落を事例として,1930~50年頃の自然の共同利用を,空間・時間・属性・規制という4つの側面に整理して記述する。

    その結果明らかとなったことは,次の3点である。第1に,地域にはさまざまな資源の共同利用が重層的に存在しており,それぞれの利用で規制のあり方が異なっているということ,第2に,水田のような私有地さえも,ある条件下では共同利用空間になるということ,第3に,共同利用の規範には,制裁的なものから,楽しみとしての利用を肯定するようなものまで存在するということである。

  • 猪瀬 浩平
    2006 年 12 巻 p. 150-164
    発行日: 2006/10/31
    公開日: 2018/12/25
    ジャーナル フリー

    「よそ者」論の要点は,環境運動のダイナミズムを,それに関わる主体の間に存在する,当該地域の自然や社会組織との関わり,拠って立つ価値観の違いによって,説明する点にある。既に指摘されているように,「よそ者」や「地元」という枠組は,固定的なものではなく,常に変容の過程の中にあり,「よそ者」と「地元」との間に連続性を想定した上で,両者を分析概念として維持し,その間を揺れ動く人びとの生き方の様態を描写する必要がある。

    このような認識に立った上で,本論は,「よそ者」と「地元」との間の折衝を,文化人類学において得られた「学習」論の知見を応用することによって,新たな枠組を模索するものである。そこにおいて,個体中心の知識詰め込み型「学習」モデルが批判され,実践の共同体に参加し,その技能や知識を学びながら,社会関係を再生産していく過程こそが,学習であると定義される。この考えによりながら,本論文では筆者が関わる都市近郊の農的緑地空間である「見沼田んぼ」の取組みを取り上げ,埼玉県の公共政策を受けてはじまった農園活動の中で生起する,「非農家」であるよそ者と「農家」である地元との折衝の過程を素描しながら,「学習」の過程として整理する。

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