本稿が紹介する慣習の事例は,地域社会に埋め込まれた「古き良き」慣習の中に優れた環境保全能力を見出すという性質のものではない。この事例においては,古き慣習,すなわち地域をよりよく運営すべく地域社会構成員に共有されてきた社会のルールが,現代社会において環境問題を助長し,かつその問題解決を困難にしている障害要因として立ち現れる。
事例に即して言い換えると,共同空間の衛生環境を維持するために機能してきた地域社会のゴミ処理のしくみが,もはや都市のゴミ処理という公共的課題に対応しきれなくなっている。それどころか,そのしくみを含め,ゴミの処理をめぐって成員に共有されてきた信念と行動のパターンが,成員個々人の反衛生的行動を助長し,地域の新しいゴミ処理システムの構築を阻害する制約要因として作用している。本稿は,インド北部のブリンダバンという地方都市を事例に,ゴミ処理の慣習が地域の衛生管理に逆機能しているメカニズムを明らかにする。
ところで本稿は,この事例をもって環境政策における慣習理解の有効性を否定するものではまったくない。反対にこの事例を通して,問題の当事者である成員の行為選択に大きく影響を与えている集合的な信念体系,反復経験,期待される行為標準を歴史性に踏み込んで解明することが,現実的な問題解決への道のりを照らす重要な手がかりになることを示す。
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